神様から打診されたので異世界をこの手で癒やす(救う)ことに決めました

きょんきょん

第1話 後悔

「くそっ……どうすればいいんだよ!」


 時刻は午後十時五五分――閉店時間まで残り五分を切った店内は週末にも関わらず誰一人として客の姿が見当たらない。対して斜向はすむかいのライバル店は閉店前に駆け込んできた客で混雑している。

 今月末の家賃を支払わないと強制的に退去させられるというのに――。どうしようもない現実に俺は一人頭を抱えて絶叫した。


 この一ヶ月、不眠不休で店を開け続け、文字通り身を粉にして働いていたにも関わらず収益はほんの雀の涙程度。

 チンと、虚しく音を立てるレジスターの中身を何度確認したところで、僅かばかりの小銭と千円札が増えているはずもなし。


 この半年、客足の途絶えた店の維持費はかさむわ貯金は走り崩すわで、開店当初は俺とこの店を応援してくれていたはずの彼女からとうとう愛想を尽かされ、「独立なんてしなきゃよかったのよ」と当初とは言ってることがまるで真逆な罵りを受けて別れを告げられる始末――。


「もう死んじゃおっかな」


 考えまいとしていた選択肢がふとした拍子に口からこぼれ落ちると、思いの外あっさりと覚悟が決まり、ふらつく足取りで看板をクローズにすると最寄りのコンビニに手頃なサイズのロープを購入しに出掛けた。


「いらっさいませ〜」


 自動ドアを潜ると妙なイントネーションの留学生のアルバイトが、サンタの帽子を被って陽気に出迎えた。


「そういえば……今日はクリスマスだったのか」


 国民の一大イベントに気が付かないほど周りが見えず、精神的に追い込まれていたと知ると無性に涙が溢れて止まらない。       

 ――大の大人が公の場で泣くな。

 なんとかこらえるも店内に流れるジングルベルの歌が追い打ちをかけてくる。


 全国規模で展開している大手マッサージ店に勤めて苦節十年――念願の独立資金を貯めた俺は日頃から折り合いの悪かった上司に退職届を叩きつけ、使い道のなかった有給を全て消化しきったうえで関西から東京近郊に位置する地元へUターンを果たした。


町田まちだ君。上司の顔に泥を塗るような真似をしてただで済むと思わないことだね――」


 最後の出勤日、上司が発した言葉が心の隅で引っかかってはいたものの、地元の商店街の一画に念願の店舗を構えることができた。

 昨今どの駅周辺にも必ず一軒は見かけるマッサージ店だが、幸いなことに地元の商店街には競合他社が一軒も進出しておらず、しかも通行人の多くは主婦層や高齢者ばかりといった優良顧客がわんさか利用する見抜き通り沿いの立地であることが功を奏し、下手な広告を打つまでもなく開店当初からひっきりなしに客が訪れ、すぐに従業員を雇わないと回らないまでに忙しい日々を送っていた。


忠志ただしなら何処でも上手くやれるって信じていたよ」


 その年のクリスマスの夜。閉店後に自宅のアパートで彼女の宏美ひろみとクリスマスケーキを半分に分け合っていると、前触れもなくテーブルの上にいかにもが入っていそうな小さな箱が置かれた。

 開いてみると、ゴールドとシルバーの指輪が二つ収められているではないか。


「私達付き合ってもう十年でしょ? そろそろ結婚してもいいかなって」

「うわぁ……宏美からプロポーズされるってどんだけ俺ってダサいんだよ……」

「そんなことないよ。だって忠志は自分の夢を叶えて忙しい毎日を送ってるんだもん。今はそれどころじゃないってことくらいわかってたし、口を挟まないようにしてた。だからこれは私の最初で最後の我儘わがまま。ねえ、駄目かな?」

「そんなことない。嬉しいよ」


 宏美とは専門学校からの付き合いで、気がつけば今年で丸十年も共に過ごしている。自分のマッサージ店を持ちたいと訴えたときは反対されるかもと心配したが、一緒に開店資金を貯める手伝いまでしてくれて、いざ開店すると我がことのように喜んでくれた。どんなことでも共に一喜一憂してくれる最高の女性――だからこそ、素直に応じることができない自分がいた。 

 

「だけど……今この指輪を受け取ることはできない」

「なんで? もしかして私と結婚したくない?」

 顔を青褪めさせる宏美に、そうじゃないことを告げる。

「今は店が繁盛して確かに忙しい。だけどこれが長続きするかは誰にもわからない。俺の本心は宏美と今すぐにでも籍を入れたいけれど、もう少し――あと、二年間店が維持できたら、その時は俺からもう一度クリスマスにプロポーズをさせてくれないか。結婚指輪を欠かさずにね」


 勝手な言い分であることは重々理解したうえで恐る恐る宏美に視線を向けると、やはり落胆したような表情いろを湛えていた。


「はあ……これでも清水の舞台から飛び降りる覚悟でプロポーズしたんだけどなぁ」

「本当にごめん。自分勝手だと飽きられても仕方ないけど、俺も宏美とともに長い人生を歩むには生半可な答えは出せないんだ」

「わかったよ。その日まで待ってるから――」


 プロポーズの答えを聞くことはもう敵わない。什器じゅうきに陳列されたビニール紐の強度を確かめ、末期の水の代わりにウイスキーのボトルを手に取りレジに運ぶと会計を済ませた俺に「あなた、くらい顔してますね」と、核心を突くような一言を突き刺してきた。


「気のせいだよ」


 曖昧に微笑んでみてレジ袋を受け取ると、これから人生最後となる荷物の重さが片手にのしかかり腕が痺れる。そそくさとその場を後にし、開かれた自動ドアの隙間から吹き荒ぶ寒風に目をしばたかせると背後からまたもアルバイトに声をかけられた。


「辛いときは笑うの一番。電話は二番よ。メリークリスマス」


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