ミス・アムネジアは突然に

冷門 風之助 

VOL.1

 ◎正直に言って、今回の記録を諸君らに開陳することは、ためらいがあった。実につまらんからである。従って、もし諸君らが”下らん”と思われたなら、すぐに読むことをお止しになることをお勧めする。私立探偵・乾宗十郎◎


東京駅に着いて外に出た時、空を見上げて、間断なく降ってくる雪にうんざりしながら息を吐き、タクシー乗り場に急いだ。

時計を確認した。時刻は午後4時丁度。

 この冬始まって以来、東京への初雪である。

 暖冬だなどと言っているくせに、何故とち狂ったようにこんな雪に見舞われなくちゃならんのだろう?

 俺は雪も雨も、いやそもそも冬という季節が一番苦手だ。

 夏だって特別好きじゃないが、それでも何とか我慢は出来る。

 しかしこの寒さという奴にはどうにも勝てん。

 タクシーの運転手にヒーターを一杯効かせてくれと頼み、ソファに身体を埋める。

 ここしばらく、九州へ出張に行っていた。

 警官上がりの同業者から、少しばかり厄介な仕事の助太刀を頼まれ、それを片付けてきたところだ。

 日頃タフガイで売ってるこの俺も流石にくたびれるほどの仕事だったが、それなりに実入りも良かった。


 胸のポケットには、『6』に続いて0が6桁ついている小切手、俺にしちゃ破格の探偵料ギャラがあった。

 しかし今日は日曜、こいつを金に換えるにはあと一晩待たなければならん。

 それでもないよりはましだ。

 俺は一秒でも早く新宿にある、我が愛しのネグラ、ビルの7階屋上、ペントハウスに帰り着くことだけ、今頭にあるのはそれだけだった。


 新宿に着いた。

 金を払って車を降りると、いささか小やみになったものの、雪はまだ降り続いている。

 俺は身体を震わせた。

”しまった”

 思わず嫌なことを思い出し、口の中で呟いた。

 ネグラの一番奥の棚にしまっておいた、最後の命の綱ともいえる、ジャック・ダニエルNo.7が、空になっていたことを思い出したのである。

 やむを得ん。

 懐はあったかいが、小切手ではどうにもならん。

”仕方ないな”

 俺はビルの近く、シャッターを開けたばかりの酒屋に立ち寄り、

”武士のたしなみ”であるところの、ふくらはぎに張り付けた肌付きの一両である福澤先生を使って、ディスカウントコーナーにあったサントリーの角を手に入れた。

 紙袋に入れたそいつを抱え、ネグラへと急ぐ。

 ふと、児童公園の傍を通りかかった時、ある景色に気が付いた。屋根のある藤棚のすぐ下に設けられてあるベンチに、人影が見えた。

 

 ここは新宿だ。

 宿なしの住民氏の姿など、それほど珍しくもない。

 しかし、それらは概して”おっさん”と相場が決まっているものだが、俺が見つけたのは、疲れたようにベンチに横たわっている若い女性だった。

 

 いつもの癖で、公園に足を踏み入れ、出来るだけ傍に近寄り、彼女を観察した。

(いつものパターンで申し訳ないが、あくまでも職業的な目である。好色とは無縁のものだ)

 年は22~3くらいだろうか。

 パーマをあてていない、まっすぐなロングヘアは背の中ほどまであり、

 濃いグリーンのワンピースに、薄い茶色のパンプスを素足に履いているだけの、実に粗末な服装だ。

 顔立ちは・・・・そうだな。いつもの有名人で例えるならば、いや、今度ばかりは文句なし、俺のマドンナである芦川いづみを現代風にしたような顔立ち、そう思ってくれればいい。

 勿論コートも着ておらず、ぐったりしたような感じで、身体を細かく震わせている。

 荷物と言えば、頭の下に枕代わりにした、一抱えくらいのグレーのバッグがある程度だ。

『おい、君』

 声をかけてみる。

 返事はない。

『さっきから雪が降っているのは知ってるだろ?このままにしておいてもいいんだが、放っておくと凍死するぜ。』

 やっと彼女が身体を起こし、不安そうな眼差しを俺の方に向けた。

 俺はコートの中に手を入れ、ホルダーを出して広げ、認可証ライセンスとバッジを見せた。

乾宗十郎いぬい・そうじゅうろう、この通り国から鑑札を受けている私立探偵だ。必要があれば話を聞こう。とりあえず事務所に来たまえ』

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