沙覇丘 砂漠の町

敦煌

 の西方、広大な旅畔りょはん砂漠の中に、沙覇丘さはきゅうと云う小さな町がある。


 沙覇丘には賑やかな市場があった。門をくぐるとすぐに、沢山の人の群れとむせ返るような熱気に襲われ、ざわめきや喧騒が聞こえて来る。ちょうどうまの刻であったから、真白い日光は、黒々としたひとびとの頭や石畳の道に、ぎらぎらと照りつけていた。

 連なる店は全て麻の幕屋であった。ある一つの中を覗くと、そこには店主を囲むように奇妙な形の壺がたくさん置いてあり、それらは珍しい香料や、酒や、獣の乳で満たされていた。となりの籠には砂色の蜥蜴とかげや黒いさそりが蠢いていた。その屋根からは、はたして得体の知れない肉が吊るしてあった。

 その幕屋の列の中を、駱駝らくだは反物を乗せた車を引いて、蹄を鳴らながらゆっくりと歩いて行く。絶えず往来するひとびとは色とりどりな異国ふうの服を身にまとい、或る女は瑠璃色の水差しを頭に乗せている。また或る男は麻袋を積んだ小さな荷車を押している。中にはわたしたちとは顔立ちの違う異邦人も多く見受けられた。


 その頃のわたしは疲れていた。以前はる所で郡令をしていたが、ときに冬隷とうれいが軍権・政権を全て掌握し、相国に相成ると、突然転機が訪れた。わたしが住まう州の州牧が汚職の罪に問われ、それに連座して郡令、県候もすべて職を解かれた。こうしてわたしは色々なものを失い、郡令府の邸宅からも追い出されて、もはや己は天に見捨てられたとまで思った。それで、幸い昨年の俸禄で金は少しばかりあったので、何も考えずに行く宛てもなく旅を続けていた。そうして、気まぐれに馬を走らせる内に此処に流れ着いたのである。


 しばらくこの珍しい光景に気を取られて立ち尽くしていたが、どうやら強い日差しに当てられて少し目眩を起こした様で、視界の端がじわじわと黒緑色に染まってきた。こめかみの辺りにも痛みが脈打っている。たまらず日陰に座り込んで休んでいると、道の真ん中でわっと声がして、

「やい女、おれはこうして急いでいるんだから、貴様、前くらい見て歩いたらどうだ」

 よく見てみると、そこには荷台を押した男と、素焼きの壺を抱えて座り込んでいた見窄みすぼらしい覆面の女がいた。上の空と言うように女は虚ろな眼を男に合わせずに、そのまま茫然と座り込んでいた。壺は白く、所々に茶や青で模様が描かれていて、片手で抱えられる程度の大きさであった。男はそれだけ云うと、舌打ちして、落ちた荷物を載せ直して、がらがらと乱暴に車を押して、石畳の道を去って行ってしまった。


 人混みの中、女は魂の抜けたように虚ろな眼をしてぼうっとそこに座っていたが、暫くするとゆっくりと壺から溢れた中身を拾い始めた。わたしは思わず、その光景に引き寄せられる様にして近づいた。この女から、常人とは思えぬ異様な気を感じたからである。

 はたしてその予感は見事に的中した。女はおもむろに手を伸ばして、そこら中にばらばら散乱している小さな白い欠片かけらを指先で摘むと、一つずつ丁寧に壺に戻していった。それがまるい暗がりの中に吸い込まれる度、壺底からからころと乾いた音がする。欠片はまっすぐなものもあれば、割れた碗のように湾曲したもの、小さな三角形、更に楊枝のように細いものもあった。わたしは我を忘れたようにこの奇怪な情景に見入り、無意識のうちに一歩、また一歩と女に迫っていた。

 その時である。わたしは、ようやくこの欠片の正体を知った。ある一つが拾い上げられた時、わたしの眼はその形状をはっきりと捉えた。


 骨である。


 乾いた乳白色のそれはなかば球状で、二つの大きな穴がぽっかりと開いていた。そして、その先に鋭く尖った嘴と思しきものが付いていた。これは鳥の頭蓋骨である。

 それを悟ったとき、わたしは暫時、心臓を掴まれたかのように感じ、思わずそこで足を止めた。おそるおそる、首を伸ばして壺の中を見てみると、融解する円い冥闇のなかに、小鳥や、鼠や、蛇や、蜥蜴とかげや、無数の獣たちの白骨が、くっきりと象牙色の陰影を落として、そこに存在していた。

 そこ迄見て突然、先ほどの恐怖にも似た衝撃は、すっかり女に対する微かな憐憫れんびんと強烈な侮蔑ぶべつに変わって、わたしの中に沸々と込み上げて来た。先ほどから続いている淡い頭痛に浮かされ、なかば朦朧とながら、その不思議な優越感と陶酔にわたしの鼓動は高鳴り、身体じゅうが熱で満たされるのを感じた。

 わたしはこの女の名前すら知らないし、女がなぜそのようなことするのか検討も付かなかったが、この市場で、鳥類畜生の死骨を壺に入れて、持ち歩いていると言うだけで、それはほかでもない明らかな愚弄の対象であった。


 女は、散乱した骨を全て回収し終わると、壺を抱えながら大儀そうに立ち上がった。それから漸くあたりを見回して、ごく近くに立っていたわたしに気づいた。すると女は、覆面越しだが確かに、こちらを見てにやりと笑ったのである。それは少なくとも、好意的な意味ではなかったように思う。ある種同情のような、或いは嘲笑のような、そう云った嗤いをかけられて、先ほどの酔ったような心もちはすっかり冷めてしまった。そうしてまた、女はゆらゆらと人混みの中に消えて行った。

 その姿は、まるで陽炎に溶け込むように、少しでも風に吹かれたら消え去ってしまうように思われた。

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