Octet・joe

ilia lui

第1話  見えない壁

 西暦2037年、世界各地に拡がるポピュリズムの勢いが、多くの国々の政府機能を弱体化させていた。理念や思想に乏しい一部の愚衆によって頻発されるデモやテロは、人々の心を絶えず蝕む脅威となっている。


 一方、こうした世界の流れに抗して政府がまだ機能している大国では、自国主義の方向へと舵取りがなされ、その結果、国際的な条約や取り決めが形骸化し、食料、資源、環境問題等々、地球規模の社会問題がなおざりにされていた。


 人々は、新たな秩序を求めて、大国たちのリーダーシップに期待を寄せていたが、大国間のエゴイズムがさらなる混乱や争いを引き起こすという現実だけが明確になり、そうした期待はすべて虚しく消えていった。


 人類社会は、持続可能性の極めて低い末期的状況に追い込まれていた。


 そうした中、ヨシュア国の領海海底にレアアースやメタンハイドレートといった豊富な海洋資源が存在することが明らかとなった。ヨシュア国の近隣諸国は、海底調査のためにヨシュア国領海内に不法に侵入し始め、ヨシュア国と近隣諸国との間には国民感情的な問題も含めて様々な摩擦や衝突が生じ始めていた。


「潜航深度300m、水中速度28ノット、本艦はおよそ20分後に目的地のカイマン諸島の西側領域に到達する」


「艦長、右舷前方、ヨシュア国巡視船を確認しました」


「よし、進路を北北東にとり、そのまま微速前進!」


「艦長、ヨシュア国巡視船より通信傍受、これ以上の航行は領海侵犯の恐れ有りとのことです」


「かまわん、進め! どうせ奴らには何もできん。それより、本艦の周囲一キロメートル、いや三キロメートル以内に何か不信なものがないかもう一度確認しろ!」


「了解!……周囲三キロメートル以内にレーダーの反応は特にありません」


「特に?」


「本艦の三時の方向に魚群の反応があります。大きさから判断すると、どうやらこれはアコウダイの群れのようです」


「アコウダイ?」


 アルザム国の原子力潜水艦は、隣国であるヨシュア国との境界にある排他的経済水域を潜航していた。


「魚群、本艦の右上方を通過します」


 そのとき、ズズズーンという大きな音とともに、艦内が一瞬ブラックアウト状態となり、非常灯の赤いランプが点灯した。


「どうした!? 何が起きた!?」


「艦長! メインエンジンが停止しました!」


「何!?」


「こちら指令室、機関室応答せよ! 何が起きた!?」


「こちら機関室、エンジントラブル発生! 前進航行に関する制御回路が全て遮断されました! 艦長、本艦は現在、後進以外航行不能です!」


「くそ! またか! 総員に告ぐ! 至急この海域を離脱せよ!」


 アルザム国の原子力潜水艦は後退を余議なくされ、自国領海へと進路を変更した。


「ヨシュア国の〈見えない壁〉か……一体何がどうなっているのか全く見当もつかん」


 静厳な雰囲気が永年にわたって積み重ねられてきたような、そんな重く暗い深海の中、一匹のアコウダイが、自国領海に戻るアルザム国の原子力潜水艦を静かに見守っていた。


(いいぞ、そうだ、そのまま大人しくお家に帰るんだ。ここはお前たちの来るところじゃない)


「アルザム国潜水艦のEEZ離脱確認。ミッション・コンプリート!」


 おぼろげな意識のもとに、合成音声が届いた。


「これよりオクテット回収用の通信ラインを開きます。よろしければ、どうぞお戻り下さい」


(ふう、今回もなんとかやれたな)


 アコウダイの姿が光の玉に変わり、その光の強さが急速に弱くなって消失した。


                    ◆


 ヨシュア国南海に位置するビントン島。ヨシュア国国家防衛庁に属する異能防衛部(Defense Department of Unusual Ability:通称DDU)の基地は、その島の一角にある。


 DDUの本部にある〈ピット〉と呼ばれる小型操縦ポッドの中に、ジョー・キリイ(26歳)は座っていた。


 ジョー・キリイは、DDUに所属する一等空士である。里親の影響で、子供のころから宇宙飛行士に憧れていた彼は、宇宙飛行士養成学校に入学し、卒業後は、念願のヨシュア国宇宙開発機構に入所した。彼はそこで、ヨシュア国初の有人火星探査計画の宇宙飛行士になるための訓練に明け暮れていた。


 しかし、国防に関する極秘計画である〈オー・プロジェクト〉が立ち上がると、その計画の核となる宇宙パイロットメンバーの一人に選ばれた。そして現在彼は、オー・プロジェクトを遂行し得る唯一人のパイロットとして、その任務に就いている。


 ピットの内部に設置された保存装置の硬質ガラスケースの中に光の玉が出現した。


「マイティメタル回収完了。続いて、オクテットフォーメーション解除スキームに入ります。アバタープログラムNo.1ログオフ、No.2ログオフ」


 一定の間隔で次々とプログラムナンバーが呼び出されるのに対応してケース内の光の玉の輝度が徐々に弱くなり、それと共にジョーの意識がより明確なものになっていった。


「……プログラムNo.8ログオフ、全てのアバタープログラムがログオフされました」


 合成音声の出力が終わると、ジョーの視界がはっきりと広がり、彼はミッションを無事終えたことを認識することができた。ケースの中には、「マイティメタル」と呼ばれる、鏡のような光沢を放つ銀色の物体がケース内の保存液の中に浮いていた。


 シートに備え付けのフルフェイス型脳波検出装置が、ジョーの頭からゆっくりと上方に移動した。それと同時に、身体モニターセンサ付きの両手・両足固定装置が解除された。


 ジョーは、伸びを一つしてシートを降りると、後ろ側にあるハッチを開けて外に出た。


 ピットの外では、コントロールシステムのチーフエンジニアであるロッキー・サンズィ(24歳)が、アイスコーヒーの入ったロングカップを持って立っていた。


「ジョーさん、お疲れ様です。どうぞ、いつものアメリカンです」


「サンキュ、ロッキー」


 ジョーは、礼を言ってアイスコーヒーを受け取ると、それを一気に飲み干した。


「くうー、こめかみのあたりがキンキンする」


「体調の方はどうですか?」


「ああ、大丈夫だ、今のところ全く問題なし。それより今回の擬態はどうだった? はっきりいって傑作だったろう?」


「そうですね。私がこれまで見た中では一番の出来だったかもしれません。まさかアコウダイとは。かなり勉強されたみたいですね」


「この一週間はアコウダイのことを調べまくったよ。まあ勿論採用されるかどうかは〈オヤジ〉次第だけど。ロッキー、知っているか? アコウダイって魚は高級魚の一種でな、特に刺身がうまいそうだ。今度、みんなでどこかに食べに行こうぜ!」


「いいですね、是非。それにしてもジョーさん、今回のミッションもお見事でしたよ。オクテットのコントロール精度がさらに向上しています。これでまたプロジェクトの成功に一歩近づきましたね」


「ああ、そうだといいがな」


「どうしました?」


「いや、ちょっとな。なあ、ロッキー、ミッションのときにさ、アバタープログラムや俺の脳波に何か異常がなかったか?」


「いいえ、特に異常はありませんでしたよ」


「そうか、ならいいんだ」


「? 何か気になることでも?」


「いやなに、最近たまにだけど、ちょっとした違和感を覚えることがあるんだ」


「違和感?」


「まあ、気のせいかもしれないけどな」


「連日のミッションで疲れが溜まっているのでは?」


「そうかもな」


「アルザム国の偵察もしばらくは収まるでしょう、ここらで休暇を取られてはいかかがです?」


「是非そうしたいね。できれば今日のカンファレンスもキャンセルしたいよ」


「お気持ちは分かります。でも今日は国のお偉方がたくさん来るみたいですよ」


「それを考えるとほんとに憂鬱だよ。ロッキー、頼むから代わってくれ」


「いやです!」


「即答かよ! 何かこう、俺のことをもう少しねぎらうとかしないわけ?」


「もちろんシステムに関することなら私がいくらでも説明します。でもきっと彼らの関心は、ジョーさんのいう〈オヤジ〉にあるでしょうからね」


「〈オヤジ〉が話せたら直接聞いてもらうのに」


「超人格とのコミュニケーションは、今までに何度も試みました」


「だが〈オヤジ〉はダンマリを決め込む」


「そうです。ただ、理論的に〈オヤジ〉はジョーさん自身でもあるんですよね」


「ややこしくて訳が分からん」


「ですよねー」


「おいおい、頼りのお前までがそういうこと言うか?」


「超人格化現象には不明な点が山ほどありますからね。もちろん、その理論は一応提唱されていますが、証明にはまだまだ時間がかかるみたいですし、ましてや私などでは到底歯が立ちません」


「いいや、そんなことはない。現場の人間の方が詳しいなんてことはいくらでもあるぜ」


「ありがとうございます。でも私の仕事は、世界で唯一人、オクテットになれるジョー・キリイ空士がこぼす愚痴やぼやきの全てを、こうして親身になってお聞きし、広い心でしっかりと受け止めることだと思っていますから」


「なんだと!? こんニャロ!」


 ジョーとロッキーの二人は談笑しながら、長いわたり廊下を歩いて、突き当たりにある会議室に入った。


 扉を開けると、会議室にはすでにたくさんの人が集まっていた。一人の初老の男性が、ジョーの方に近づいてきた。


「今回も見事にアルザム国の連中を追い払ったな、ジョー!」


「あっ!? 空佐、ノア空佐じゃないですか! どうしてここに? もうお身体の方はよろしいのですか?」


 ノア・ゴーン空佐(61歳)は、ジョーの所属するDDUを取り仕切る司令官の一人であり、直属の上司でもある。


「君にも心配をかけたようだね。なあに、もともと大したことはないんだ。まあ、退院するときは医者に渋い顔をされたがね」


「俺、お見舞いにも行かないで……」


「何を言うんだ、君はこのプロジェクトのことだけを考えてればいい。私のために君の貴重な時間を使おうなんて考えるんじゃない。その気持ちだけで十分だよ、ありがとう」


「空佐が心筋梗塞で倒れたと聞いてすぐに病院に行きたかったのですが、委員会の許可が下りなくて。あの石頭たち、全然融通がきかないんですよ。でもこうしてプロジェクトに復帰されてほんとに良かったです!」


「いいや、残念ながら今後はオブザーバーとして参加することになる」


「え? ちょっと待って下さい、空佐、そんな話聞いていませんよ。委員会の連中がまた勝手なことを言い出したんですか?」


「いや、今回は私から申し出たのだ。すでに委員会の承認も受けてある。これ以上プロジェクトの足かせになるわけにはいかないのでな」


「足かせだなんて、そんなこと誰も思っていないですよ。それに、プロジェクトリーダーである空佐が外れたら、この計画はこれから一体どうなるんです?」


「私の後任は、これまで教官長を担当してきたアラン・オザット空曹になる。この会議で正式な発表があるだろう」


「あの鬼空曹がいきなりプロジェクトリーダーですか?」


「ふふ、鬼空曹か、たしかに彼は他人に厳しいが、それ以上に自分に厳しい男だよ。彼はきっといいリーダーになる。このプロジェクトを彼と共にやり遂げて欲しい」


「そんなこと急に言われても……」


「ジョー、オー・プロジェクトは国防の行方を左右する重大なプロジェクトだ。このプロジェクトにはすでに多くの人材と莫大な費用を投入してある。失敗は絶対に許されない。もし今わずかでも阻害的な要因があるなら、すぐに取り除いておくべきなのだ。分かるな?」


「それはそうかもしれませんが……」


「彼がリーダーになれば、今後は宇宙班との結びつきが強くなる。プロジェクトは一層加速して、君に要求されるものもこれまで以上に増えるだろう」


「おそらく、そうですね」


 ジョーは、視線を落としながら、溜息ではないが、意気の落ちた間を入れた。それを見たノア空佐は、しごく穏やかな雰囲気でその場を補った。


「ジョー、聞いてくれ、これから私はできるだけ君のバックアップをするつもりでいる。遠慮はいらん、もし何かあればいつでも私に相談するんだ。いいね?」


「ありがとうございます。ノア空佐」


「頼むぞ。さあそろそろ時間だ。席に着こう」


 壇の方に向かって左側の袖には、真新しい制服を着た中年の男性官吏がすでにスタンバイしていて、ぎらつかせた目で薄笑いを浮かべていた。


「みなさん、お待たせいたしました。それではこれよりプログレス会議を始めたいと思います」


 その講堂には、DDUのメンバーだけでなく、国会議員や政府関係者なども顔を連ねており、開始の宣言と同時に、潮が引くようにざわめきがかすんでいった。


 プログレス会議は、オー・プロジェクトの進捗状況を関係者に報告するための会議であり、およそ月に一度の頻度で開かれていた。


 別名「O・計画」とも呼ばれるこのプロジェクトの発端は、今から十年前に遡る。その頃、ヨシュア国の宇宙探査計画において、宇宙探査衛星〈アシピター〉が、小惑星〈ストリングリバー〉からある物質を採取して地球に帰還したのである。


 銀色に輝くその物質は、人類にとって全く未知の物質であった。硬度は地上で最も固いダイヤモンドを遥かに凌ぎ、融点は少なくとも1万℃を超え、耐薬品性も非常に高い。当時の人類のもつ科学レベルではその物質を分析することは容易なことではなく、研究はほとんど進まなかった。


 しかし、ある事件がそうした状況を一変させた。


 その物質を保管する研究室で火事が発生し、数人の研究者が閉じ込められたのだ。引火性の高い薬品が次々と爆発し、瞬く間にその研究室は火の海となった。研究者たちは悲鳴をあげ、絶命の危機にさらされた。


 そのとき、その物質の近くにいた研究者の一人が、取り巻く炎から逃れたいがためにある思いをイメージした瞬間、その物質の形状が突如変化した。


 なんらかの鉱物の塊に過ぎないと思われていたその物質が、椅子や机などの周りの物を巻き込みながら、研究者たちを取り囲む壁となり、そして出口へと続くトンネルを形成したのである。研究者たちは、そのトンネルを通って無事脱出することができた。


 その事件をきっかけとして、その物質は、人間の脳から放たれる特殊な脳波に反応し、その物質自体だけでなく、場合によっては周りに存在する物質をも巻き込みながら、その存在形態を自由に変えられるという驚くべき性質を備えていることが判明した。いつしかマイティメタルと呼ばれるようになったその物質は、地球上のあらゆる物質と同化することができ、また光や電波として存在することも可能であった。


 マイティメタルをコントロールするための技術として注目されたのが、リサ・カナエ博士らが提唱する超人格化理論に基づくアバター統合システムだった。


 このシステムはもともと、知的障害者をサポートするシステムとして開発されたもので、人工知能によって特別に構築された知的障害者のアバターを、本人の脳波とを統合して新たな人格を形成し、そのコミュニケーション能力を向上させるというものであった。


 新たに形成されたその人格のことを、研究者たちは「超人格」と呼び、この状態になったときの被験者の脳波は、なぜか通常よりも数倍強くなることが判明している。


 マイティメタルの研究チームは、そのアバター統合システムを応用して、オクテットシステムを開発した。


 オクテットシステムでは、高重合シリコーンを主材料として用いて最新のナノテクノロジーにより構築されたシリコンニューラルネットワーク(Silicone Neural Network:SNN)において、アバタープログラムと本人の脳波とを統合させることによって、超人格を形成させる。8

つのアバタープログラムを統合して形成された超人格を、特に「オクテット」と呼んでいる。


 オクテットは、マイティメタルの形態制御だけでなく、あらゆる情報やエネルギーを、SNNを介して自由にやり取りすることができる。


 ある物体にマイティメタルを同化させるときや、さらにはその物体の形状や性質を変えるとき、オクテットは、その物体に関する構造、機能、素材といった様々な情報を、マイティメタルを介して直接抽出するだけでなく、SNNに電子接続されているデータベースやインターネットなどからも検索によって取り込んでいることが確認されている。


 オクテットは、膨大な量のデータを瞬時に取り込んでこれを解析しながら、マイティメタルを制御して物体の形態を自在に操ることができる。


 そうした特殊な能力を持つオクテットとマイティメタルの存在を知ったヨシュア国国家防衛庁は、国防のため、即ち、ヨシュア国の国境を侵犯しようとするあらゆる物体を排斥するために、オクテットとマイティメタルを利用することを考えた。


 そして現在は、DDUが国防の中核を担っている。例えばアルザム国の潜水艦を追い返したときのことを説明すると、オクテットによって制御されるマイティメタルは、GPS衛星によって領海の特定の場所に転送され、そこでアコウダイとなってその群れに紛れこんだ。そうしてアルザム国の潜水艦に接近し、接触して、これと同化した。そこでオクテットとマイティメタルは、潜水艦の制御システムの構造を変更して、後退する以外の動作ができないようにしてしまったのである。


 ジョーのオクテットにコントロールされたマイティメタルは、国境侵犯しようとする物体、つまり偵察機や船舶、潜水艦はもちろんのこと、スパイ衛星に対してさえ簡単に侵入し、しかも何の痕跡も残さずにその物体から帰還することができる。


 いつしかヨシュア国の近隣諸国は、マイティメタルとジョーのオクテットによる妨害行為を、「見えない壁」と称し、原因不明の不可解な現象として脅威を抱くようになっていた。マイティメタルとジョーのオクテットを擁するDDUは、今や国防の要となりつつある。


 しかしながら元々のDDUは、ヨシュア国宇宙観測センターの研究チームによってなされたある発見が契機となって発足された組織であった。


 三年ほど前、ヨシュア国宇宙観測センターの研究チームが、国際宇宙望遠鏡の観測データから、巨大なマイティメタルの塊を核にもつ彗星が地球に近づいていることを見い出したのである。その彗星は百年の公転周期をもち、現時点において約半年後に地球に最接近することがシミュレートされていた。マイティメタルを大量に入手できる千載一遇のチャンスをものにすべく、オー・プロジェクトと共に、それを担うDDUが立ち上げられたのである。


 ジョーは、オクテットになれる世界で唯一の人間だった。


 オクテットになっている間、ジョーの意識は存在しているが、それとは全く違う、ジョーにはコントロールできない特別な意思が存在しているというのが、ジョーの感覚であった。

 傍目には、ジョー本人がマイティメタルを操っているようにみえるが、ジョーが言うには、その表現は正確なものではなく、マイティメタルを操っているのはあくまでもオクテットであり、オクテットがジョーの意思を汲み取っているに過ぎないというのである。


 講堂では、ジョーと、政府が組織した委員会メンバーによる質疑応答が始まっていた。


 その日は、見た目からおそらく40歳前後の男性の議員が、マイクを片手に壇上のジョーに質問をしていた。


「しかしだね、君は実際にマイティメタルを操っているではないか。そうなるとだ、その超人格とやらをコントロールしているのはやはり君自身であるといことになる。いや、そもそも超人格なるものの存在自体も君や周りの研究者たちの誤解で、本当はそんなものは存在していないのでは?」


「いいえ、科学者たちの言う超人格と呼べるものかどうかは分かりませんが、私はなんらかの存在をはっきりと感じることができます。ただコミュニケーションをとることができないだけで……」


「まったく拉致があかないな。他の人の意見も聞いてみたいが、残念ながらその超人格とやらを形成できるまともな人間は君しかいない」


「まともな人間?」


「アバター統合システムを使用している知的障害者たちは、我々の言う事を理解できんのだろう? それじゃあ話にならん。まあ、彼らに関しても、本当に超人格なんてものが形成されているのか怪しいものだが」


 その会議の趣旨は、政府に対して説明責任を果たすという、半ば形式的なものであった。要するに、DDUやオー・プロジェクトに関する国家予算の使い方が適正なものか否を判断するのが、委員会の主な役目であった。


 だだ、その質問の内容は、根拠のはっきりしない多くの謎を抱える問題、つまり「マイティメタル」や「超人格(オクテット)」について集中することが多く、たいていの場合ジョーは、官吏の話を黙って聞き、最後に「私には分かりません」と、一言だけ答えるしかなかった。


 だがそのときのジョーは、その議員に刹那で鋭利な視線を放つと、声を荒げて言った。


「馬鹿な! あんた、何を言ってる? 彼らこそ、オクテットシステムの礎をなす勇敢な協力者たちだ!」


「何だね、君のその態度は!?」


「そんな偉そうに言うんなら、あんたがやってみればいい。あんたたちは知らないんだ、超人格の怖さを」


 ジョーのこの言葉で、会場が一斉にどよめいた。


 その議員は突然舞い降りたお札でも拾い集めるように、気持ちだけが先行して体がついていかないといった感じで、あたふたとマイクを持ち直した。


「ジョー・キリイ空士! 失礼ですが、今あなたは怖いとおっしゃったんですか? 超人格は怖いと、今確かにそうおっしゃいましたね?」


 議員の口調が突然変わり、その本性が顕わになったようであった。その議員は、ジョーを初めとするDDUの関係者から情報を得ようとこれまで精一杯の虚勢を張りながら、不本意な挑発を重ねていた。しかしそれが今、ジョーの一言で一気に崩れ落ちたかのようで、奇妙な安堵感が議員を包んでいた。


 突然、アランが席を立ち、ジョーのところに早歩きで行くと、睨むでもなく何かを見据えたような眼でジョーに一瞥を与え、ジョーからマイクを取り上げた。


「議員、今日はここまでにしましょう」


「は? ちょっと待って下さい。いきなりでてきて何を言うのです。あなたは一体誰です?」


「私の名はアラン・オザット、階級は空曹です。このたびこのオー・プロジェクトの新たにプロジェクトリーダーを任された者です。突然の非礼についてはどうぞご容赦を」


 会場がまたざわめきだした。


「あなたがこのプロジエクトの新しいリーダー!? そんな話は聞いていませんね」


「そのことは、この会議の最後で正式発表される予定でした。しかし、今ここで私の口から申し上げます。ジョー空士はさきほどの任務で疲れきっています。また日を改めてお願いします」


「いえいえそうはいきません。私にはまだ彼に聞きたいことが山ほどあります。是非とも彼と話をさせて下さい!」


「詳しいことは、後ほど報告書を提出しますので」


 議員は息を大きく吸い込むと同時に、目をかっと見開き、握りこぶしに力を貯めた。


「報告書とは、廃品回収にさえ出せないあの紙くずの山のことですか?」


「議員、我々の立場も御理解下さい、あまりに過ぎますと……」


 アランは、その鍛えられた厚い胸板を前に張り出し、威圧を含ませた眼光をゆっくりと議員に落とした。


「規則百十三条の〈強制排除〉を行使すると?」


 議員は、アランの雰囲気に飲まれまいと、まっすぐな視線をアランに向けつづけ、こう言い添えた。


「あなたがたの計画は、国防という楯で守られています。国を守るためという大義名分です。しかしですね、実態が伴わなくてはそんなものは所詮単なる飾りです。私は皆さんに言いたい、我々はただの人間であって、いずれ必ず死ぬ運命にあります。そもそもそういう脆弱な存在である我々が、真実という断固不変たるものを覆い隠すことなど到底できはしない。今みなさんがしている行為そのものがまさに徒労であり、時間の無駄なのです。時間を無駄にしている者と、そうでない者との差は歴然です。今に分かります。あなたたちはいずれ、時間を無駄にせず生きている者たちにどんどん置き換えられていくでしょう。そして、あなたたちはそのときが訪れるまで、愚かにもその行為を決して止めない」


 会場の中に、両手の平を上にして肩まで挙げながら首を少し捻るあの仕草がそこかしこにみられ、失笑が漏れた。


「あなた方が私を嘲笑う気持ちも分かります。ですが、今この会場にいる者の中で、真に有意義な時間を過ごしているのは、この私とジョー空士だけなのです。真実に繋がるこの貴重な時間を破棄しなければならないというのは残念でなりませんが、ジョー空士の体のことも考えなくてはなりませんね、もう終わりにしましょう」


 議員は、大きな深呼吸をひとつして、天井を見上げ、そして階段を下りた。


 ジョーは、下を向いたまま、議員の足音を聞いていた。


 議員は、階段を下り終えたとき、ジョーの方に向き直り、マイクを通していないが、はっきりと通る声で言った。


「ジョーさん、顔を上げて下さい。おそらく今後、私がこの場であなたに質問することは許されないでしょう。だから言わせて下さい。あなた自身、本当のところはどう御思いなのでしょうか? 私のしていることを間違いと御思いですか? 立場上、そう認めざるを得ないのかもしれません。でもこれは、間違いなくあなた自身に逼迫している問題なのです。証拠はありませんが、しかし少なくとも私は、この計画のために88人の若い宇宙パイロットたちの人生が不当に奪われたと考えています。そして、これは先ほどのあなたの言葉から確信に至ったことですが、あなたにもその危機が近づいている」


 議員のこの言葉を聞いたジョーは、目を大きく見開いて顔をばっと上げると、思わずその議員に向かって声を上げそうになった。しかし、ジョーの前には、厳しい目をしたアランがいつの間にか立っていてジョーの衝動を制した。


「ジョー、今のことは忘れろ。君は次の任務のことだけを考えるんだ。さあ行け!」


 アランは、小声でジョーに降壇を促しながら、ジョーに代わって壇上に立った。


「みなさん、御静粛に。予定されていた時間にはまだありますが、ジョー空士との質疑応答はここまでとさせていただきたいと思います。代わりにこの私が、皆さんの質問に誠意をもってお答えいたします」


 野次馬根性をそそられ始めていた聴衆たちが、失望のため息をもらした。


 ジョーは、何か後ろ髪を引かれるようなもやもやした気持ちで、アランの方に振り返りつつ壇上を後にした。


「ジョー、こっちよ、はやくいらっしゃい!」


 壇上の袖のところに、一人の中年女性が待っていた。


「マリア」


「ジョー、お疲れ様!」


 その女性の名前はマリア・ハハノカン(41歳)。彼女は、DDUの医務部に所属する勤務医であって、ジョーの日常の訓練スケジュールや私生活全般をマネジメントする専属マネージャーでもある。


「ジョー、大丈夫よ。あの議員の言ったことは気にしないで。わかるでしょう?」


 憂いと、ある種の優しさを秘めたマリアの瞳が、ジョーの気分をわずかに和ませた。


「他にご質問はありませんか? それでは丁度時間がきたようですので、今日の会議はこれで終了といたします」


 講堂内にどよめきが残るなか、アランが足早に、ジョーとマリアのいる舞台袖にやってきた。


「マリアさんですね? 初めまして、今度新たなリーダーに任命されたアラン・オザットです。どうぞよろしく」


「アラン空曹、お話はノア空佐から聞いています」


「そうですか、それなら話は早いですかな?」


 アランは、彼女とジョーの間に割って入るようにして彼女と対峙した。


「アラン空曹、彼に言いたいことは山ほどあるでしょうけど、今は彼のスケジュールを優先すべきです」


「ええ、もちろんです。ただ、プロジェクトリーダーである私の立場がから一言いわせてもらえば、今日のような失態はもう二度と許されない。わかっているな、ジョー?」


 アランが振り向きざまにジョーに言葉を投げた。ジョーは俯いた。


「君が、私の言うことを初めからすんなりと聞き入れるような奴だとは思っていない。だが私も、それなりの覚悟をもってここにやって来ている。妥協はしない」


「覚悟ですって?」


 一瞬の沈黙からなる緊張がアランとマリアの二人の間の空気を震わせた。


 ジョーは黙ったまま二人の会話を聞いていたが、もうたくさんだと言わんばかりに会場の出口の方に向かった。


「ジョー、ちょっと待ちなさい。アラン空曹すみません、次の予定がありますので、これで失礼します」


 マリアは、ジョーの後を小走りで追った。アランは彼らを凝視しながら、しばらくその場に留まっていた。


 たとえジョーがDDUの上層部の意にそぐわない行為をしたとしても、彼は決して処罰されることはない。そのことはジョーにもマリアにも分かっていた。そもそも処罰されるための時間が用意されていないのだ。


 先の他国による国境侵犯のような緊急事態が発生した場合を除いて、ジョーのスケジュールは分刻みで決められていた。


 ジョーは、マリアの協力のもとに、殺人的ともいえる過密なスケジュールを淡々とこなしていた。マリアは、そうしたジョーにとって必要不可欠な存在であった。


 オー・プロジェクトが始まった頃、つまり、マリアがまだこのプロジェクトに参加していなかったころ、ジョーは、体中に取り付けられたバイオセンサーなどの計器類によって、その身体情報からプライベートな事柄に関するものまで、あらゆる情報が管理されていた。


 しかし、あるときからジョーの体に異変が生じ、オクテットの形成に障害が出るようになった。厳重に管理される生活を、ジョー自身は納得していたつもりでいたのだが、実際には予想以上にプレッシャーとなっていたのである。ジョーの精神はかなり疲弊していた。


 そのうちジョーは、とうとうオクテットを形成することが全くできなくなってしまった。そのため一時期、DDUは、オー・プロジェクトを中止せざるを得ない状況まで追い込まれていたのである。


 その状況を打破したのが、マリアだった。当時のマリアは、DDUを担当する産業医の一人として、大学病院から派遣されてきていたのである。困っている人を放っておけない性格のマリアは、産業医としての本業とは別に、心理カウンセラーとしても、一緒に働くスタッフたちの相談に乗っていた。スタッフたちは、DDUにおける仕事の特殊性のため、様々な悩みや不安を抱えていた。


 マリアは誰に対してもとにかく親身だった。それはジョーに対しても例外ではなかった。

 当時のジョーは、周りからの要求や期待が多過ぎて、自分自身を、組織のモルモットのような存在だと思い込んでいた。そうした憂いを一人で抱え込むジョーをみたマリアは、ジョーの体から計器類のすべてを強引に取り外してしまった。マリアは、ジョーをあくまでも一人の人間としてみていたのである。


 マリアのこの行動に、ジョーの体調を管理していた当時のスタッフたちは猛抗議をした。しかし、それからのジョーはまるで生まれ変わったかのように、オクテット・フォーメーションを立て続けに成功させたのだった。そしてそれ以来、ジョーの体に計器類を付けることはしなくなり、代わりにマリアがジョーのそばに居ることになったのである。


 マリアは現在、ジョーの専属マネージャーとしての任務についており、ジョーの体調管理と心的ケアだけでなく、訓練の内容とそのスケジュール、さらには食事や睡眠に至るまで、ジョーに関するほとんどのタスクを任されている。


 ジョーがオクテットになる前には必ず、マリアが彼の様子を直接見て異常がないかどうかを入念にチェックする。どんなに忙しいときでも、マリアはこれまでその行為を欠かしたことは一度もない。


 そんなマリアのことを、ジョーは初めから素直に受け入れていた。ジョー自身も不思議に思うほど、マリアに対してはなぜか、警戒心や猜疑心というものが全く起きなかったのである。

                      ◆


 マリアは会場の出口近くでジョーに追いつき、ジョーの右斜め後ろにきて歩調を合わせた。


 会場での議員やアランとのやりとり、そしてその原因となった自身の短絡的な行動について、マリアは何も言わなかった。しばらくそのまま二人は訓練施設までの渡り廊下を歩いていた。ジョーはため息を一つついた。


「助かったわ、ありがとう、ジョー」


 マリアの口が突然開いた。


「アランはね……あなたに説教するつもりなんかないのよ。あなたを介して私に言いたいことがあるだけよ」


「君に言いたいこと?」


「アランは、いいえ、上層部の連中はこのプロジェクトをもっと劇的に加速させたいのよ」


「したけりゃすればいい」


 マリアの足が急に止まった。そして刺すような目線をジョーに向けた。


(うわっ、またやっちゃったよ。彼女曰く、人の気持ちを全く考えていない言動を。もちろん俺に悪気はないんだけど。でも彼女は、「このくそガキ!」とでも言いたそうな目つきで睨むんだよな)


 こういうときのジョーは、彼女と目を合わせないようにすることぐらいしかできず、そしてどういうわけか、その視線が彼女の豊満な胸の方にいってしまうのである。


「あれ? なんか前より大きくなってない? いや違うか? 最近少し垂れてきたから、ブラジャーをきつめの奴に替えて……」


 ジョーのセリフが終わる前に、マリアの右の拳がジョーの顔面にとんできた。


「馬鹿!」


 マリアは再び歩き出し、ジョーは顔を押さえながら彼女の後につづいてミッションルームに入っていった。


 そのミッションルームには、一見してジョーよりも年上の三十代から四十代の見知らぬ男女が10人くらい集まっていた。彼らは、新たに始まるミッションのためにヨシュア国宇宙開発機構から派遣されてきた選りすぐりの宇宙パイロットたちだった。彼らは、部屋に入ってきたジョーをみて、拍手をして迎えた。


「ヒュー! シンデレラボーイのお出ましだ!」


 マリアは少し面食らったが、ジョーはすぐさま満面の笑顔で返した。


「おお! なんか陽気なオッチャンたちだな! 加齢臭がこもっているぜ! はやく窓を全開にしてくれ!!」


「ハッ、ハッ、ハッ! こりゃ思っていた以上のとんでもねえ野郎みたいだぜ! なあみんな!」


 小太りで、妙にぎらついた目をした中年の男性が、ニタニタしながら近寄ってきた。


「私は、今回のプロジェクトで君をアシストすることになった、メタボブウだ。よろしくな、ジョー、はっ、はっ、はっ!」


「よろしく、ブーちゃん!」


「はっ、はっ、はっ、メタボブウって名前は冗談だよ。私の本当の名前はな」


「いやいや、もうあんたはブーちゃんでいいよ。だってぴったりだもの、あはは!」


「なんだと!?」


「そんなマジでキレないで仲良くやろうよ、なっ、ブーちゃん!」


 傍で見ていたマリアが、冷めた空気で、ジョーとメタボブウとの間に割ってはいった。


「はい、はい、はい。とりあえず全員の自己紹介をしましょう、メタボブウさんの隣のあなた、次お願いします」


「だから俺はメタボブウじゃないって。私の本当の名前は」


「じゃあブウでいいわ、次! 早く」


 宇宙パイロットたちは、マリアのその態度にお互いの顔を見合わせた。これほどぞんざいな扱いをこれまで受けたことがないといった、そんなあきれた表情をあらわにした。


「宇宙パイロットのみなさん、初めに言っておきましょう、ここではこれまでのあなた方の功績や経歴などほとんどなんの価値もありません。あなた方の持つ技術そのものがわずかに意味を持つだけです」


 宇宙パイロットたちは眉をひそめた。ブウが口を尖らせて言った。


「おいおい、ちょっと待ってくれ、俺たちを何かの部品にみたいに言わないでくれよ」


 マリアはさらに付け加えた。


「あなた方はきっと、それなりの地位も名誉もあるきっとすばらしい立派な人間なのでしょう。しかし、ここではそんなもの何の役にも立ちません。要求されるのは人間としての真の強さだけなのです」


 女性の宇宙パイロットが言った。


「我々が人間として未熟だとでも?」


「いいえ、たとえ未熟でも一線を越えられるかどうかです。あなたがたに、たとえジョーの命を犠牲にしてでもこのプロジェクトを成功させるという覚悟がありますか?」


 マリアが言い終わると宇宙パイロットたちはみな目を閉じて首を横に振る仕草をした。そして、彼らの中で一番若いと思われる男性の宇宙パイロットが前に出てきて言った。


「確かに私たちは、目的はあくまでもオー・プロジェクトを成功させることであって、ジョー空士の生存の有無は問わないとアラン空曹に言われています」


 そう言いながらその若者は、いかにも英知と自信の光に満ちている視線をジョーに向けた。


「でも私たちは彼の言葉をあえて無視しようと話し合っていたのです。いざとなればまったく逆のことをしようとね」


 ジョーは思わずマリアの方をみた。マリアはその若者の言葉を待った。


「ジョーさん、わたしたちはあなたの命を最優先に考えています。当然でしょ?」


 その若者は明るく答えた。


 ジョーは何か思いがけずなにか心が軽くなるような気がした。マリアは長い髪をかき揚げながら、宇宙パイロット全員を見渡した。


(ふう、アランはいったい何をたくらんでいるのかしら?わざわざこういう人たちをメンバーに選ぶなんて)


 メタボブウが腕組みしながら言った。


「マリアさんって言ったよね? あんた、こんな計画のために本当に彼を犠牲にするつもりなのかい?」


 

「いいえ。そうね、あなた方の言う通り、最優先にすべきは彼の命よ」


 メタボブウは近くにあった椅子に座った。


「わたしたちはどうしたらいいかね? それともこのプロジェクトから外されるかな? いや、外せるわけがない。だって、このプロジエクトを成功させることができる可能性を持つものは我々しかいないからね」


 マリアがジョーに向かって言った。


「ジョーはどう思う? この人たちの言うこと、信じられる?」


 ジョーは少し困ったような表情を見せた。


「この人たち、嘘は言ってないと思う。でも、このプロジェクトには向いていないよ」


「そうね。私もそう思うわ」


「能力がないって意味じゃない。むしろ逆だ、優秀すぎる。俺と一緒にやるとこの人たちもきっと巻き添えを食らうことになると思う。たぶんアランは僕だけじゃなく、この人たちも犠牲にするつもりだ」


 そのセリフが出るのを待っていたかのように、先ほどの若者が答えた。


「何がなんでもマイティメタルを取りに行くってわけですね」


 マリアが大きなため息を一つついた。


「アランがどんな計画をたてているか知らないけれど、それは言えるわね。どうします? ブウさん、降りた方が賢明じゃないかしら?」


「マリアさん、さっきも言ったが、この計画を成功させてかつ彼を救えるのは我々だけだよ。そしてアランはおそらくこの状況を見越した上でわたしたちを選んでいる。我々が絶対に逃げ出さないことを知っているんだよ。それとそのブウさんって言うのはもう止めてくれないか? 私の本当の名前は」


「ブウさん、確かにそうかもしれません。しかし、たった今、わたしにはあなたがたとジョーの命を守る義務が生じたのです。計画そのものを中止させることはできませんが、犠牲を最小限におさえる努力はすべきです」


 女性の宇宙パイロットが挑戦的な目をして言った。


「やはりあなたは、我々に降りろと?」


「それが望ましいでしょう、でも、それはあなたがた各人のご判断にお任せしますわ」


「それじゃ、いち抜けたーっと!」


 ジョーが元気よく手をあげて言うと、そこにいた全員が、辛辣な視線をジョーに浴びせた。


「冗談だって、お願いだからそんな睨むなよ」


 話半ばだったが、マリアと宇宙パイロットたちのとのやり取りはここでいったん収束をみせた。この後、もう少しすると、アランが挨拶にやってくることになっていた。


 手持無沙汰になったジョーは、窓際に立って外を眺めていた。


「ジョー・キリイ空士!」


 突然、ジョーの背後から先の若者がジョーに声をかけてきた。


「うわっ! びっくりした。何?」


「改めて自己紹介します。初めまして、私はマイク・オザットです」


 いきなり面と向かってそういうことをあまりされたことのないジョーは、少し戸惑ったが、マイクと名乗るその若者をあらためてよく見てみた。


 さらさらとした明るいブロンドヘアーのその青年は、おそらくジョーよりも二つか三つ年下で、二重瞼の切れ長の目には、いかにも前途有望といった未来の光を放つ透き通った青い瞳を備えていた。


「お会いできて嬉しいです」


「へ? 俺にかい?」


「ええ、この国、いや世界の平和を守る見えない壁、真の勇者、オクテットのジョー、是非あなたにお会いしたかったんです!」


「誰が真の勇者だって?」


「あなたですよ」


「はは、違うよ、全然、ははは」


「いいえ、あなたは今朝もこの国の平和を守った」


「今朝? アルザム国の潜水艇のこと? なんで君が知っているの?」


「父から聞きました」


「は? 君の父親って!?」


「私の父の名は、アラン・オザットです」


「何っ!? アラン・オザットだと!?」


「そう、このプロジェクトリーダーのアランです」


「ええ!?」


 マリアとジョーは一緒に声をあげた。


 マリアは声のトーンを少しだけ落とすと、できるだけゆっくりと正確に言葉を繋いだ。


「マイク、一応確認しておくけど、あなたがこの計画に参加していることをアランはちゃんと知っているの?」


「もちろんです」


「なぜあなたはこのミッションに?」


「私は自ら申し出たのですよ」


「アランは反対しなかったの?」


「ええ」


 マイクは、静かな笑みを浮かべると、顎を軽く引いて背筋を張った。


「マリアさん、先ほどの話に戻りますが、ジョーの命を取るか、マイティメタルを取るかという問いに対しては、基本的に僕たちは二つとも取ると答えます。ここにいる連中は皆、そういう人間なのです」


 マリアは一つ大きな深呼吸をした。


「みなさんのそのご意志に深く感謝します。どうやら私も彼も本当に覚悟を決めるときがきたようですね」


 マリアがジョーの方に向き直った。


「ジョー、あなたはこの人たちを守らなければならない。たとえ自分の命を投げうってでもね」


「え? 俺が彼らを? なんで? だって彼らが俺を守ってくれるんだろ?」


「そうよ、だからよ」


 このとき初めて宇宙パイロットたちの間に笑みがこぼれた。


「失礼する!」


 入り口の扉が突然開くと、アランが入ってきた。そして宇宙パイロットたちの中に割り込んでそのまま突っ切って行くようにして教壇に上った。


「さあ、自己紹介はすんだかね? 諸君」


 アランは、何か尊大な笑みをもってその部屋にいた全員に一瞥をあたえると、オー・プロジェクトに関する具体的なミッションの説明を始めた。淡々としたアランの口調は、それまでに生じていたその場の雰囲気を、いやおうなしに刷新してゆくものだった。説明が終わったあと、さっそく訓練が開始された。

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