第48話 モツ煮込み弁当⑤
「実に良い匂いじゃ。数日飲まず食わずだったからの……」
弁当を受け取ったラミアは、蓋を開くとまるで飲み物のように弁当を口に流し入れる。
もう少し味わって食べて欲しいと思う反面、魔物にそんなことを説いても仕方がないという考えも浮かぶ。
ラミアはしばらく咀嚼した後、実に満足そうな笑顔を浮かべた。
「おお、これは美味い。野生の動物の肝も美味いが、人間が手を加えたものも別の良さがあるな。温かいところも気に入ったぞ」
「あ、ありがとうございます」
「さて、お前ら人間はあらゆる対価に金がいると聞く。一応我も持ってはいるのだが、チラシと共にここで拾ったものじゃ。それでも構わぬか?」
「ええと、それは……」
つまり本来は、誰か別の人が持っていたお金ということだ。
日本なら落とし物を警察に届けて一定期間持ち主が見つからなければ、見つけた者の取得物とすることができるのだが――この世界での倫理観がわからないので正義は躊躇してしまう。
だからといって、無料であげるのもどうなのか。
既に弁当は食べられてしまった後なので、余計悩んでしまう。
ラミアは正義のその反応を見ると「ふむ」とひと言呟く。
「あまり良い気分ではないか? それなら我の産卵が終わった後になるが、改めて対価を払いに行くとする……」
またラミアの呼吸が荒くなってきた。
魔物とはいえ、産卵最中の生物にこれ以上何かを要求するのはさすがに気が引けた。
「……わかりました。今日のところは『ツケ』にしておきますから、また後日元気になった時にお願いします」
「感謝するぞ人間……」
ラミアはそう言うと瓦礫にもたれかかり、静かに目を閉じる。
「行こう、ユルルゥちゃん」
「は、はい……」
正義の背中で気を張っていた彼女にひと言伝えてから、正義は踵を返す。
(勝手にツケにしちゃった。カルディナさんに怒られるかなぁ……)
正義は来る時とは別の不安を抱えながら、またバイクに跨がるのだった。
再び小さくなったユルルゥを懐に入れ、ヴィノグラードの街へと戻る最中。
ちょうど東門に入る寸前で、後を追いかけてきたララーと鉢合わせた。
「えっ、もう終わったの? 大丈夫だった?」
「ええと、身の安全という意味では大丈夫だったんですが……。ここで長話するのはちょっと怖いので店に帰ってから詳しく説明しますね」
そう言ってまたバイクを走らせる正義。
一応ここはまだ街の外だ。何があるかわからないので慎重でいたかった。
「ええっ!? せっかくここまで飛んで追いかけてきたのにー!」
「すみませーん!」
ララーに申し訳ないと心から謝りつつ、今はカルディナに報告するためにも店に戻るしかないのだった。
店に戻り、ララーが帰ってくるのを待ってから一通り説明をした正義。
店内は異様な空気に包まれていた。
「いや、魔物が注文してきたとか今でも信じられないんだけど……」
呆然と遠くを見ながらララーが呟く。
「でででも、嘘じゃないんです先生」
「もちろんあなた達が嘘を言ってるとは思ってないわ。それくらい驚いたってことよ。でもはぁ……。人間の落とし物を拾って魔物がねぇ……」
何度も感嘆の息を洩らすララー。
確かにこの目で見てきた正義も、未だにちょっと半信半疑だ。だが確実に夢ではない。
「ねえねえ。そのラミアにも、モツ煮込み弁当は好評だったわけだね?」
「はい」
一瞬で食べられてしまったとはさすがに言えなかったが、美味いと言ってくれたことは事実だ。
「となると……うちとしては良し、ってことかな。代金はこの際仕方ない。『魔物にまで評判良し!』って、さすがに宣伝文句には使えないだろうけど、美味しく食べてくれたんなら私としては嬉しいよ」
「その感想で終わるところがあんたらしいわ……」
呑気な笑顔を見せるカルディナに、ララーは脱力しながら言うのだった。
それから数日経ったある日。
店のショーポットに一本の連絡が入る。
「はいはーい。『羊の弁当屋』です」
「おお、先日は世話になったな。先ほど使いの者をそちらに送った。そろそろ着く頃合いだろう。代金として受け取るがよい」
「え――」
カルディナが問う前にショーポットは切れてしまった。
その直後、店のドアが控えめに開く。
そこには見慣れない少年が立っていた。
まるで蛇のような目を持つその子供は、ダチョウの卵よりも大きくて白い卵を抱えている。
「先日はご主人様がお世話になりました。こちらお礼の品です」
「えっと……ありがとう」
あのラミアの使いということをすぐに察知した正義がひとまず受け取ると、蛇の目を持つ少年はペコリとお辞儀をした。
「ご主人様は産卵を無事に終えました。皆様には大変感謝しているとのことです。あと、そちらは無精卵ですので気にすることはないとも申しておりました。それでは」
淡々と告げた後、少年はすぐに出て行ってしまった。
「…………」
後に残された正義とカルディナは事態を飲み込めず、しばし呆然とするばかり。
「ええっ!? 何その大きい卵!」
そんな中、遅れてやって来たチョコが大きな声を上げた。
その声でようやく我に返った二人。
カルディナが卵を見つめながら小さく震えている。
「どうしよう……。それ、世界三大珍味の一つ、『ラミアの卵』じゃん……」
「えっ!? 何ですかそれ?」
「めちゃくちゃ珍しい食材ってことだよ! 幻の食材とも言われてるほどの! まさか実物を見られる日が来るなんて……。ど、どうしよう。さすがにこれは弁当の材料には使えないよ」
「そこまで珍しい食材なら、俺たちで消費するしかないですね……」
「ねえ。ララーさんやユルルゥさんも呼んで、今日の夜は卵パーティーにしない?」
チョコの提案に、わなわなと震えていたカルディナの表情はパッと明るくなった。
「それいいね! よーし。早速二人に連絡だ。せっかくだから贅沢に使っちゃおう!」
「今日の夜が楽しみです!」
「私もー! それまではりきってお仕事のお手伝いするね!」
一気にモチベーションが上がった三人。
「カツ丼の卵をこれにしてみたい」「シンプルな目玉焼きで味の違いを楽しみたい」など、各々期待に胸を膨らませる。
夜までの間ラミアの卵はまるで女神の像の如く、厨房内に丁重に置かれていたのだった。
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