第43話 牛丼⑤

 

 

 ガイウルフの屋敷に行き、醤油と昆布の契約を無事に終えた。

 とはいえ、やはり格安の仕入れとはいかなかった。

 シギカフの村でしか作られていないという希少性、そして輸入までの経路を考えるとそこは仕方がない。


「当初の予定通り、醤油と昆布を使ったメニューは高級路線でいきましょう」

「そうだね。上流階級の人たちが気に入ってくれたら上手くいくと思う」


 それに関してはガイウルフも積極的に口コミをしてくれるとのことだったので、ありがたい限りだ。


「とにかく今はコンブを使った新メニューだ。それでマサヨシ、これ美味しいの?」


 再び店に戻ってきた二人はすぐに厨房に立っていた。

 カルディナは乾燥した昆布を手にして、上から下からと眺めている。


「これは出汁を取るためのものです」

「ダシ?」


「はい。水やお湯にこれを入れておくと、美味しいスープになると言ったらわかりやすいでしょうか。そのスープを素にして、色々な料理に発展できるんですよ」

「ほえぇ……。鶏肉の骨を使ったスープみたいなものかな。じゃあこのコンブを直接食べるわけじゃないんだね」


 使い道が意外だったらしく、カルディナはさらに手にした昆布を凝視した。

 厳密には使い終わった昆布も食材として使えるのだが、後で説明すれば良いだろう。


「大きな鍋に出汁を作っておいて、あとは必要に応じてそこから取っていけば時短できます。冷蔵すれば日持ちするので、その日に使い切れなくてもそこまで心配することはないと思います」

「それは助かるなぁ。それじゃあ早速ダシを作ってしまおう」


 鍋に火をかけるカルディナ。

 その隙に正義は別の食材の用意をする。


 作るのは、醤油と出汁が揃ったら正義がどうしても作ってみたかったものだ。

 丼――。

 中でも、具も作り方もシンプルな牛丼からまずはチャレンジしてみることになった。


「ふむふむ。丼っていうのは、ご飯の上に最初からおかずをのせる形態が普通なんだね」

「そうです。だから弁当と相性が良いんですよ。中でも牛丼は専門店が各地にあるほど人気でした」

「それは凄いや」


「具材もシンプルなので作りやすいと思います。牛肉と玉葱だけですから」

「シンプルで美味しいなんて最高じゃないか! はりきって作っちゃおう!」


 その様子を、カウンターの外から目を輝かせて見守るチョコ。


 やがて厨房内に、醤油を煮つめた独特の香りが漂い始めるのだった。






 次の日の朝も、貧乏の女神はちゃんとやって来てくれた。

 このまま姿を消すのでは――とほんの少しだけ思っていた三人は安堵の息を吐く。


 どうぞどうぞと朝から元気なカルディナに案内され、テーブルに着く貧乏の女神。


「あの、本当に一日で新しい弁当を完成させたんですか……?」

「はい! もうバッチリです!」

「私も昨日味見したけど、これも本当に美味しかったよ!」


 満面の笑みで答えるチョコに、貧乏の女神も安心したらしく口角が上がった。


「こちらが新メニューの牛丼です。お肉で見えないけど下はご飯になってます。どうぞ!」


 カルディナは早速彼女の前に牛丼を置く。

 できたてとあって、ほかほかの湯気が立ち上っていた。


 貧乏の女神は頬を紅潮させながらスプーンを手に取る。

 そして肉とご飯をいっきに掬い、ぱくりと一口。

 瞬間、彼女の目が大きく見開いた。


「お、美味しいです! お肉も柔らかくて食べやすいし、何より味の染みたこのご飯がたまらなくて……!」


「えへへ。おつゆ多めに入れてみました。マサヨシが言うには『ツユダク』って呼ぶらしいですよ」

「ツユダク……。よくわからないけど、嬉しい感じがする響きですね……」


 そのままぱくぱくと食べ続ける貧乏の女神。

 まるで飲み物を飲んでいるかの如く、あっという間に完食してしまった。


「ごちそうさまでした。本当に美味しくて止まらなかったです……」

「とても良い食べっぷり、ありがとうございます!」


 ここまで見事に完食してくれると、正義もカルディナも喜ぶしかない。

 二人は顔を見合わせてからハイタッチを交わすのだった。






 店の前に立つ正義たち。これから貧乏の女神を見送るためだ。

 今日はララーもいる。

 新メニューを作ったと聞いて飛んできたらしい。


「本当にお世話になりました」

「そっ、そんな! 女神様に料理を食べていただけて、こちらこそ光栄でした!」


 深々と頭を下げる貧乏の女神に、カルディナも慌てて頭を下げる。


「そんな……。私ははぐれ女神の中でも、さらに人の役に立たない女神だから……」

「これから地中で眠っちゃうんですよね……」


 寂しそうに眉を下げるチョコ。

 その彼女の肩に、ララーがそっと手を置いた。


「地中で眠る前に、僭越ながら私からご提案を。アクアラルーン国のシギカフという村に一度行ってみてはどうでしょうか? そこが招き猫の製造元なんです。もしかしたら、あなたの力を害なきものにできる何かが見つかるかもしれません」

「アクアラルーン国……シギカフ……」


 ララーの提案に貧乏の女神の瞳が揺れる。

 いきなりの提案に迷っているようだ。


「そこの村の醤油と昆布のおかげで、からあげ弁当や今朝の牛丼を作ることができたんですよ」

「そ、そうなの?」


 正義が補足すると、明らかに貧乏の女神の目の色が変わった。

 どうやらシギカフ村について興味を持ってもらえたらしい。


「そっか……。それじゃあ眠る前にちょっとだけ覗いてみることにします。本当に皆さん、ありがとうございました」


 貧乏の女神はそう言ってから再度小さくお辞儀をすると、正義たちに背中を向けて歩き出した。

 見た目が異様に白い裸足の少女の姿は、やがて道の向こうへと姿を消すのだった。


「行っちゃったね」

「うん……」

「まさか生きているうちにはぐれ女神様と会えるなんて、想像すらしたことなかったわ。これからの魔法研究のテーマに、はぐれ女神様の力の性質も加えなきゃ」


 各々呟き、店内へと戻っていく。


「貧乏の女神、か……」


 正義は日本にいた時のことを思い出す。


 バイトをして生活していた無味乾燥の日々。

 ただ生きることに精一杯で、娯楽を楽しむ心の余裕などなかったあの生活。

 もしかしたらあの時は、貧乏神的なものが自分に憑いていたのかもしれないな――とふと思ってしまった。

 もしそうだった場合、貧乏の女神のような姿をしていたら仲良くなれていたかもしれないとも。






「こんばんは。『羊の弁当屋』です」


 久々に正義が訪れたのはヴィノグラードの領主、ハイネルケンの屋敷だ。


 先日、メニューにからあげ弁当と牛丼をようやく正式に追加したのだが、従来の弁当よりも高いにも拘わらずすぐに注文してきてくれたのだ。

 さすがは上流階級。注文時に値段は気にしないらしい。


 ちなみに今日はアマリルがからあげ弁当、ハイネルケンが牛丼らしい。牛丼が大盛り注文だった。


 弁当を受け取ったハイネルケンはカルディナは元気にしているか、とか宅配バイクの調子はどうだ、とか他愛もない話題を振ってくる。

 そして去り際、ふと思い出したようにあることを口にした。


「そういえば店があるのは南区だったね。近々さらにその南のエリア――貧民街になっている所に少しずつ手を入れていこうと思っているんだ」

「え……?」


「以前からどうにかしようとは思っていたのだが、住民の反発もあってなかなか難しくてね。だが最近になって、何やら柄の悪い連中が突然いなくなったとか、雰囲気が明るくなったとか……。そういう話が突如あちらこちらから上がってきたんだ。少々不気味ではあるが、良い変化なのでこの機を逃したくない」


(もしかしなくても、貧乏の女神様がいなくなったからか……)


 こうも露骨な変化を見ると、やはり彼女の力の影響があったのだなと信じざるをえない。


「まだ時間はかかるだろうが、今より店周辺の治安も良くなると思う。期待して待っていてほしい」

「はい!」


 ハイネルケンの口から語られた明るい展望に、正義の心も自然と弾むのだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る