第11話 トンカツ弁当①

 夜。ベッドの中で正義は目を開けたまま、真っ暗な天井を見つめてあることを考えていた。


(どうして俺はこの世界に来てしまったんだろう?)


 ここに来てから目の前のことで精一杯で、深く考える余裕がなかった。

 ようやく心に余裕ができたところでこの疑問が浮かんできたのだ。


 改めてこの世界に来る直前のことを思い出す。


 閉店まであと1時間というところで弁当の注文が入り、正義が届けに行った。

 一人暮らしの男性の常連さんで、特段変わったことはなかった。

 その帰り道、住宅街の中にある車通りの少ない交差点の赤信号で待っていたその時――。

 突然足元に淡い光と魔法陣のようなものが現れ、気付いたら正義はこの世界にいたのだ。


(あの光は何だったんだろう……。故意にこっちの世界に呼ばれたってことか?)


 その割には正義が降り立ったヴィノグラードの街に、自分のことを知っていそうな人は皆無だった。

 とはいえ、いきなり勇者だと祭り上げられて戦地に向かわされることになっていたとしたら、それはそれでとても困惑しただろうけど。

 正義としては元の日本のことも気になるが、今の生活が嫌というわけではない。

 むしろ日本にいた時より、ずっと心穏やかに過ごせている。


 理由も正義にはわかっていた。カルディナとララーの存在だ。

 日本にいた時は正真正銘ひとりぼっちだった。

 家族もおらず、友達と呼べるような人もいなかった。

 安アパートは寝に帰るだけの場所で、お金を極力使わないよう娯楽らしい娯楽も特にやらず、毎日スマホを流し見るだけ。

 将来のことについて考える余裕もなく、何のために生きているのか時々わからなくなっていた。


(もし日本に戻れないとしても……それはそれでいいかな……)


 正義はそんなことを考えながら、ようやく眠りにつくのだった。






 翌朝――。

 正義が階下に行くと、既にカルディナが厨房に立っていた。


「おはようございますカルディナさん。もう準備ですか?」

「あ、おはようマサヨシ。えっとね、今日の注文が入る前に次の新しいメニューを作りたいなと思って」


 前にも言っていたが、彼女の『メニューを豊富にしたい』という意気込みは本物みたいだ。

 こんなに朝早くから厨房に立っているカルディナを見ると、自然と正義も応援したくなる。


「俺も一緒に考えていいですか?」

「もちろん! むしろこっちからお願いしたいくらいだよ」

「わかりました。ひとまず顔を洗ってきますね」

「すぐに朝ご飯を用意するよ。その後から始めよう!」


 朗らかなカルディナの声に、正義の中からすっかり眠気が飛んでいった。




 朝食はパンと野菜スープ、そしてリンゴというシンプルなものだった。

 とはいえ、やはりカルディナが用意してくれただけあって美味しかったのだけど。

 なにより『誰かにご飯を用意してもらえる』という状況が、正義にとっては非常に嬉しいことだった。


「カルディナさんはパンも焼くんですか? 香ばしくてとても美味しかったです」

「いやいや、さすがにパンは専門外だよ。それは近所の店で売ってるのを買ってきただけなんだ。私もこの店のパンが大好きだから喜んでもらえて嬉しいな」

「そうだったんですね」


 さすがにカルディナといえど、何でも作るわけではないらしい。

 バイクで走っている時は周囲の景色をじっくり見る余裕がないので、近所にパン屋があることを知らなかった。

 ララーが作ってくれた地図も、建物の形はわかるが詳細まで書いてあるわけではない。

 今度時間がある時に歩いて散策でもしてみようか、と正義は思った。


 朝食の片付けが終わると、カルディナは新メニュー開発のため食材や調味料をズラッと調理台の上に並べる。

 正義も横からそれを眺めていたが、ふと気になる物を見つけた。


「これ、何ですか? 見た目も種類も似たような物みたいですが……」


 正義が手に取ったのは2本の透明な瓶。中には淡い黄色の液体が入っている。


「それは油だよ。植物性と動物性に分けてあるんだ」

「なるほど……」


 そこで正義は、この世界に来てから食べてきた物を思い出す。


(そういえば、油で揚げたものをまだ食べていないような)


 日本で働いていた店で人気だった弁当といえば、からあげやトンカツなどのガッツリ系のおかずが入ったものだった。


(この世界でもハンバーグを『美味しい』と感じる文化があるので、こういう系もいけるかもしれない)


「カルディナさん。油で揚げた料理って何かありますか?」

「油で揚げた……?」


 ピンときていないカルディナの反応に、正義は「まさか――」と切り出す。


「もしかしてここには『揚げ物料理』って存在してないです……?」

「油の使い道って、肉とか魚を焼く時とか、サラダのドレッシングとかが主な用途で……。マサヨシ、また君の故郷の料理の話だね? その話詳しく!」


 前のめりなカルディナに促され、正義は簡単に説明をする。


「ふむふむ。つまり大量の油を使用するってことか」

「そういうことになりますね……」


 今まで日本では当たり前すぎて気にしていなかったが、確かに揚げ物料理をする時、必要な油の量はかなり多い。

 あとなにより、調理後の処理がとても面倒だ。

 だからこそこの世界では、油の用途は主に『焼く』ことだったのだろうと正義は予想した。


「ちょっと無理そうでしたら、他のメニューを考えましょうか」

「いや、作ってみるよ。正義が美味しいって思う料理なら尚さら作ってみたい!」


 目を輝かせるカルディナ。完全にやる気スイッチが入ったみたいだ。

 正義が調理台に並べられた食材を再度眺めると、大きな肉の塊が目に入った。


「これは何の肉ですか?」

「これ? 豚だよ」


「それじゃあトンカツが作れるかも……」

「おお、トンカツ! よくわかんないけど既に美味しそうな響きの名前。で、何からやればいいの?」


「えーと、肉を少し厚みを残して平らに切って、その後は小麦粉と卵に浸して――って、そういえばパン粉ってあります?」

「何それ?」

「食パンがあれば作ることができるかと。これがトンカツの衣になる大事なもので――」


(生パン粉を使ったトンカツ弁当のフェアをしていた時の経験が、ここで生かされるとは……)


 店が暇な時は正義も厨房に入って調理を手伝っていた。

 あのフェアの時はなかなか大変だったことを思い出す。

 普通トンカツ弁当は冷凍のトンカツを油に入れるだけなのだが、フェアの時は『店内手仕込み』を売りにしていたので少し時間がかかっていたのだ。

 その手間あってか、衣のザックリとした食感が好評で売り上げはかなり上昇した、と本部からのメールに書いてあった。

 そんなことを思い出しながら、正義はカルディナと共にパン粉を作るのだった。

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