(10)──に囲われた世界



 九里香は猿真似ヤロウだが、それを言う俺も「兄貴」の猿真似ヤロウなんだ──。


 仙山線の電車に揺られて、自宅アパートがある国見に向かっている。九里香に自分の想いの一部を伝えた。何度も、何度も、親身になって俺に接してくるから、心を僅かながら開いてしまった。


 俺は……貯金を使い果たし、国から貰った給付金十万円全て使い切ったら死ぬつもりだった。


「どうせ死ぬんだ、少しぐらい贅沢したっていいじゃないか」


 電車が東照宮、北仙台と各駅停車する。乗客が代わる代わる入れ替わり、その都度開かれる自動ドアから真冬の冷え冷えとした空気が車内に流れ込んできて俺を身震いさせた。


 北仙台駅から電車が発進する最中、車窓から駅のプラットホームを歩く一人の灰色のチェスターコートを着た女性が目に入った。あれは……昼に九里香が見せてくれた写真に写っていた女性だ。


 一瞬のことだったので他人の空似だったのかもしれない。ガタガタ揺れる電車の加速とともに車窓の景色が流れていき、街明かりが灯る住宅街の夜景に移り変わっていった。


 降車客が片手で数えられるほどしかいない寂しい国見駅に降り立つと、自宅アパートに向かって人気のない路地を俯きながら歩き出した。閑静な住宅地の白色の街路灯が道に沿って点々と灯る緩やかな坂を下っていく。不意に兄貴の言葉が頭の中に蘇った。


『おい、吉秋。勝者の言うことが絶対だ。負けた方が今日の晩御飯作る当番だからな』


 顔を上げるがそこに兄貴がいるはずもない。この世にもう存在しないはずの兄貴が時折俺の記憶から語りかけてくる。返事をしたくても俺の言葉が届くことは無い。無言で家路を歩む他なかった。


 自宅に到着すると、手洗いうがいをせずにすぐさま明かりとエアコンの暖房を点けた。あまりの寒さに手がかじかんでいる。


 口から温かい空気を吹きかけて手をこすりながらクッションに座るとロフトの柱から吊り下げられている白いロープの小さな輪を見つめた。紐の輪を広げれば人の頭部を通せる大きさになる。


 首吊り自殺を計画したのは今から2ヶ月前の金木犀の花が香りだした秋口だったことをよく覚えている。その日は兄貴の一周忌でもあった──。



 * * *



「勝者の言うことが絶対」


 俺の兄貴・中田吉弥なかだよしやの口癖だ。俺と4歳差で早く生まれて歳上であるが故に弟より常に最前線にいようとする。


 勝負事が大好きで、ゲームや何らかの競争による勝ち負けで全てを解決しようとする人だった。ゲームセンターにある格闘ゲーム「エクストラステージ」が大好きで、兄貴に影響されて俺もこのゲームを遊ぶようになった。


 兄貴の方が一つ頭が回る分、俺が勝つことなんて殆どなかった。敗者を従わせることについて、他人から見れば傲慢な人と思うかもしれないが、何事にも勝ちにいく姿勢に、俺は男として生きる上の指標と、そして格好良さを見出していた。勝つことだけが全て。心の中では勝ち続ける兄貴を誇りに思っていた。


 けれども、去年の秋に兄貴は死んだ……まさか、あんなをするなんて夢にも思わなかった。


 俺の世界と称する今現在住んでいるアパートの一室は、元々兄貴が借り住んでいた場所。


 俺が身につけているものも、四方八方周囲を囲う私物の全てが生前兄貴が使用していた物であり、プレゼントとして渡された兄貴の所縁ゆかりのある物も含まれている。


 負け犬のままこの世を去った兄貴の残滓ざんし


 俺の世界は「兄貴の死」によって囲われている。


 この世界の外には兄貴を負け犬として見下す品性が捻じ曲がった人間共しかいない。けれども、勝者こそが全て。俺の中にいるのは常にかっこいいままの兄貴なんだ……常に勝利を掴み取るために奮闘する兄貴なんだ……!


 俺が「YOSHIYA」のICカードを手にしたのは、この世を去った兄貴を名誉挽回させるための唯一の場所、エクストラステージに兄貴の名を騙って絶対的勝者としてのし上がり、皆の心の中に兄貴の存在を残すためにあった。


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