(10)私、志保ちゃんを救いたい。
悪い予感は的中し、その日の午後に同期組全員が先輩のもとに招集されました。
正午に先輩と他の看護師が世間話していて、離れたところから聞き耳を立ててみると、どうやら先輩の夫と朝に口喧嘩をしたらしく、それが毎日のように続いているそうです。
私達同期組に向けられた叱責は憂さ晴らしのための行為だったのだと、この時初めて気が付きました。
ナースステーションから一番離れた場所にある空き病室で私達同期組三人が横一列に並ばせられると先輩が唾を飛ばして怒鳴りつけてきました。
「相変わらず仕事が遅いんだよ! 分かる? 仕事が遅いんだよお、お前ら! グズがっ!」
私は俯いていて、横目で隣を見ると鹿島さんが納得がいかないかのように眉間に皺を寄せていて、中江さんは無表情だったけれどマスク越しに「ベー」と舌を出しているように見えました。
「……狩野。おい、聞いてるのか狩野っ!」
「は、はひっ!」
先輩に名指しされて慌てて顔を上げました。びっくりして思わず舌を噛んでしまいます。
「最近のお前は私に叱られても暗い顔を全くしなくなったな。まるで『ここで怒鳴られてもまだ次がある』って希望に満ちた顔をしている! もっと落ち込め! 暗い顔をしろ!」
「そ、そんな……」
酷い言われように気分が悪くなってきます。先輩の怒号と共に口から出た飛沫が私に降りかかってくるので、悔しさのあまり私はマスクの中で力一杯下唇を噛み締めました。
その時、先輩の背後にある病室のドアがガラリと開かれて九里香がひらひらと手を振りながら入ってきたので皆驚いてしまいます。
「だ、誰よ! あんた!」
「私は九里香。『金木犀の天使』を目指す者だよ」
「何寝ぼけたこと言ってんの、さっさとここから出ていきなさい!」
先輩の発言に九里香は「ムッ」として口を膨らませます。そして同期組三人の前に立って私達を守るように先輩と対峙しました。
「私はこの子達を守るために来た。もうこれ以上あなたに誰も傷つけさせない。決めた、志保ちゃんの次はあなたの番!」
「な、何を言って……」
「私があなたを救う。日々繰り返される味気ない日々から解き放ってみせる! 私、あなたみたいな人知ってる。その人は今も冷たい世界の中から抜け出させずにいる……。もう止めよう、人を傷つけること。あなたはこのままでは幸せになれない」
そうして近づいてくる九里香に不安がった先輩は彼女の頬を強く平手打ちし、私達は「アッ!」と声を上げました。
よろけた九里香は踏みとどまって再び前を向きます。先輩はつい手を上げてしまったとでも言いたいように困惑した表情を浮かべていました。
「人を傷つけるのは私でおしまい。これから悲しい思いをするだろうけど──ごめんね」
そうして九里香が手を挙げると指を「パチン」と弾きました。
いったい何が起きるのか同期組の私達は互いに見合わせていると耳に入ったある音に「今すぐ向かわなくては!」と、気が張って身体が強張るのを感じました。
それは通路から聞こえるナースコールの音。それも一つではありません、無数に鳴り響いているようでした。
何が起きているのか分からずポカンとした先輩の表情を目にした瞬間、病院の通路から駆け足で向かってくる足音が聞こえてきて再び病室の扉がガラリと勢いよく開かれました。
「ちょっとあんた達! 何やってんの!」
看護師長です。直前まで走ってきたので息を上げながらツカツカと先輩に歩み寄ります。
「あっ、いえ、これは……」
「ナースステーションに歩ける患者が押し寄せて、入院患者がいるたくさんの病室からはナースコールが鳴って対応に追われてこっちは大変なのよっ! それも緊急じゃない。みんなあんたの仕事態度について文句を言ってる!!」
「えっ、えっ……!? いったいどういう……」
「私が聞きたいわよ!!」
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