ガルベストンの珍客

「僕が今話した事をそのまま書けば、その本は第二の女神奇譚になるよ。『新約奇譚』ってタイトルにしよう。新約がふるいのより有名になって、皆の酷い誤解が解けたら──先生の心も、ちょっとは治る筈だから」

「無理だよ」セヴォンは答えた。「たとえ今話してくれた事の方が事実でも、信じてくれる人がいないなら真実にならない」

「読んだ人全員が脳死で信じるような素敵な言葉で書いて」

「そんな文章が編めるのは奇譚を書いた奴だけだよ。でも、努力はする。……僕にできるかな」


 そう約束し、さっそく構想を練ろうとしたセヴォンだったがそうもいかなかった。ルイの霊魂を手放した件についての処分が決まり、至急、作戦本部──学園の校長室まで戻るようにと言い渡されたのだ。要するに怒られに行く訳だが、セヴォンは「その後は褒められる事になるぞ」と確信していた。失敗の埋め合わせは既に済んでいるに等しいからだ。


  ◇


「ふうん。悪くないね。その方向からも攻めようか」

「ありがとうございます。では……」

「他に頼む」校長は言った。「出てって」

「……はい」


 扉の閉じる音が虚しく響く。

 一ヶ月ぶりの帰省にしては気分が晴れなかった。


 罰として謹慎の命を受けたセヴォンを待ち受けていたのは、深い後悔とやるせなさ──ザックが自分にならと明かした情報が誰かの手中へ渡り、己の手で公にできなくなった事への悔しさだった。養子こどもの考える事などお見通しと言ったところか、自室の筆記用具も全て廃棄されていた。愛用のシャープペンシルも、何かの折にお揃いで買った筈の記念品も。普通、この手の感傷は人を塞がせるが、彼にとってはむしろ恰好の燃料となっていた。糊に塗れてパキパキになったノートを開く。部屋中の本から必要な文字を切り取って貼ったは大変読みにくかったが、外部と意思疎通するには充分な出来だった。この世全ての罰則はセヴォンの美しき反骨精神を育てるだけなのである。


 数ヶ月後。

 匿名の誰かと調整を重ねたセヴォンは遂に怪作──『聖コールリッジに関する奇妙な噂』を偽名で出版した。正確にはそう題したポスターを街中へバラ撒いただけだが、それでも効果は絶大だった。怪作は奇譚の否定を助長する問題作として話題を呼び、賛否を纏いながら旋風のように降り注いだ。その謂れはどうあれ、一度でも話題になればセヴォン達の『勝ち』だ。全てのポスターを撒き終わり、眠りに着いていた深夜3時。深い吹雪の夜だった。セヴォンは霰の打ち付ける音に混ざる明らかな異音で目を覚まし、静かに武装を始めた。窓の外に誰かが立っている──錆びる事のない感覚を研ぎ澄ませ、窓下へ移動する。異音の主が窓を蹴破ったのを合図に、セヴォンは珍客を地へ突き落とす──筈だった。


「──……!?」

「ザック!」窓辺の珍客は驚いて続けた。「誰かに本当の名前を呼ばれたのは久しぶり!でも、二度と呼ばないで。今のボクにはシャチって偽名がちゃんとあるんですから。それで、貴方の著書物についてお話があるんですが。今、暇でしょ?カフェにでも入って死ぬまで話しましょう!」

「いえ、あの、僕──」

「んん?──ああ、貴方、ガウンだ!早く一張羅に着替えてよ。教団の制服でよかったら渡せますけど、貴方に似合うかな」


 ザックに瓜二つの青年──もしもザックが歳を重ねる人間なら将来はこうなるだろうという顔付きの男は音もなく窓辺から飛び降り、土足で室内を闊歩しはじめた。ポットの紅茶を勝手に飲まれている事もそうだが、セヴォンは青年の一挙一動があまりに自分に正直で遠慮のないもの──ちょうど14歳くらいの子供がそのまま成長したかのような動きである事に驚きを隠せなかった。たまたま同じ名で、たまたま目元が似ているだけなら問題ない。その艶やかに伸びた黒髪を、その真珠のように白い歯を、その血色の悪い唇を──セヴォンは見知っていた。


「ザ──」

「鯱!」

「……鯱さん」

「はい」

「……著作物って、何の事でしょう?僕は何も出版してませんよ」

「いやいや、恥ずかしがらないで。貴方は立派な一人のライター。ボクの前では隠さなくて良いんですよ。だって──無駄だもん。必要ない。それより、着替え終わりました?それとも、それが一張羅?……ああ、お茶がなくなった。口が寂しいな。この家、氷あります?ああ、あった!いただきますね──ええっと、どうして警戒するんですか?胡散臭い?話が長い?ああ、まったく、ボクも出来れば治したいんですけどね。元に戻せなかったら、今度こそ生活に困るので──ではね、見知らぬ方。一つ聞かせてください。これだけ聞いたら出て行きますから」


 長い長い前置きの後、珍客はたった一つだけセヴォンに問いかけた。お前がポスターに載せたは、噂にしては良く出来すぎている。──アレは何処の誰から聞いた噂なんだ、と。


「──言って」


 そう促す爛々とした瞳が、あまりにそっくりだったから。

 セヴォンは、つい、珍客に全てを話してしまった。

 ふと冷静になった翌朝。セヴォンは匿名の協力者に尋ねた。


 もしも、この世に人の姿をした機械があって、その機械が故人を模した造り物だったとして。その故人が実は生きていて、機械の自分と邂逅したら──同一の存在が出会ってしまったら、どうなるのだろう。


 協力者は答えた。


 ──おお、SF?いいね。俺もSFは好きだよ。もしもロボットとオリジンが出会ったら……って事だろ?どっちか死ぬよ、それがセオリー。そりゃあもうド派手に殺し合う。俺的にはロボットに勝ってほしいかな。だって、ロボットの方がかっこいいから─……

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