【第二章】 泥犂の聖者

過去回想 【3】

 無遠慮な光に照らされ、耐えかねて瞼を開けた。光の正体はライトとか無影灯とか呼ばれているもので、セヴォン達が暮らす地域にはない珍しい器具だった。


「先生は魔法とか奇跡とか、そう言う神秘的なことが大嫌いなんです。ですので、次回からはもっと近代的な方法で来院してくださいね。──で?今回はいたいの?」

だっていないよ。とっとと此処から出て、次の国に行かないと」

「なら、大人しく『プログラムの残り』をこなして。それが一番早いから」


 此処がどこで、自分は何故寝かされているのか。その回想が必要ないほど、セヴォンはこの施設を知り尽くしていた。


「ザック」職員の名前を呼び、去ろうとした足を止める。「ちょっと光を絞って。あと……久しぶり。サミュエルは元気?ソーレは?」

「………」

「『プログラム』って、まさか高校に行く前のアレじゃないよね。もう時効って言うか、てっきり終わったと思ってたんだけど」

「………」

「………名前、ザックじゃなかったっけ。ごめん、記憶違いかな。……ああ、もしかして弟さんですか?そっくりですね。よく言われるでしょ?えっと……」

「君の荷物とソーレは先生が預かってる」ザックは機械的に繰り返した。「会いたいなら、『プログラムの残り』をこなしてね。じゃあ」

「………」


 よりによって此処に出たか──セヴォンは己の幸運を呪いながら天井を見上げ、深い溜息を吐いた。ワンダーシティ病院の隔離棟・俗称『雲隠』。世界で最も堅牢であるが故に脆く、その正確な立地を知る者は僅かしかいない。


  ◇


 藪から『女神の奇跡』を掴んで寄越す医者共が消えたのは最近のことで、巷では死亡者が減ると同時に『とある男』の復活が囁かれていた。本人は「没した覚えがない」と怒っているが、いつも診察室に寝泊まりしているから死んだものと思われて当然だった。付箋だらけの紙の塔を掻き分け、床か椅子で寝ている背中を叩けばようやく出会える。男の名前は複数あるが、とりあえず『サミュエル先生』と呼んでおけば問題ないだろう。サミュエルは左腕の肘から先を無くしており、代わりに赤い義手を嵌めていた。『雲隠』の患者に切り付けられたらしいが、真相ははっきりしていない。ザックが助手という体で引っ付いているのはその所為で、彼は、言わばサミュエルのセキュリティ・ポリスのようなものだった。


  ◇


 まだサミュエルに両腕があった頃、彼は常に動物用のケージを持って『雲隠』をうろついていた。ケージの中には年頃の猫が入っており、当時のセヴォンとのコミュニケーションツールとして使われていたものだった。


「入るぞー」『雲隠』の、重篤患者がいる部屋をサミュエルが開く。部屋の中では悲惨な光景が広がっていたが、彼は馴染みの暖簾をくぐるような動作で入っていった。「おー、またやったか。なんで殺した?」

「……躾たかった」

「へえ~。どうして躾たかった?何が原因だ?」

「うるさかったんだよ。見て分かんねえのか」

「なるほどな~。良かったな静かになって。でもさあ、その『うるさい』ってのは殺す以外の方法で解決できなかったか?」

「……」


 『雲隠』──精神疾患を患い、将来的に、または既に犯罪行為に手を染めた者たちの更生施設。此処では入所する事を入院、『プログラム』に則り、歪んだ精神を矯正、更生させることを治療と呼んでいた。かつてのセヴォンが『雲隠』で治療していたのは、現在の養父に引き取られる前に犯した罪──正当防衛と言うには多すぎる死体を築いた心そのものと、抑えきれない殺害欲だ。


「俺はお前が肌で感じるまで、何百年だって待てるんだけどな。お前の親が学校に通わせるーとか言い出したから、時間に制限が付いちまった」サミュエルは新しいケージを床へ置くと、凝りもせずに中身を開け放った。室内の異様な秩序と倫理を感じ取ったのか、猫はなかなか出てこない。それを窘める動作があまりに雑だから、セヴォンはサミュエルが嫌いだった。「時間も猫も有限なんだ。伝えたからな」


 猫と共に2週間過ごす。

 他の更生プログラムと比べれば「たったそれだけ」「楽勝」と言いたくなるほど簡単な行為は、何ヶ月経っても完了しない。(と言うか、完了させる気もなかった。)当時、最も悪質なタイミングで反抗期を迎えていたセヴォンは治療と称して自身が軟禁・管理・観察されている事を『闘病』と賛美されるのが心底馬鹿馬鹿しく、絶対に言いなりになるものかと殺気立っていたのだ。


「おい、何してんだ」

「お前がダメにした猫の掃除だよ。こう見えて結構キツいんだよなぁ。腰が」

「勝手に触んなよ。僕のだぞ」

「おいおい、冗談だろ。これは俺が仕入れて、俺がお前に預けてたってだけの俺の猫。っつって。だはは!なかなか良いジョークだったろ、今のは?分かるか?ってのは、あの有名な……」

「自分の猫が死んだのに、何とも思わねえの」


 セヴォンが殆ど投げやりでそう口にした時、サミュエルははじめて動きを止めた。常に飄々としてセヴォンを苛立たせていたサミュエルはそこにおらず、別の人格が生まれたように静かになった。そのサミュエルはまるでセヴォンの口から突如として流暢な異言語が飛び出したかのように唖然として、怒りや軽蔑ではなく、得体の知れない異質なもの──例えば、虫か糸くずかを判断しかねる巧妙な埃などを見るような目でセヴォンを見詰め返した。「この目の前の奴は、どうして『そんな事』を聞くんだ……?」──そんな顔をして、固まっていた。彼の枯れきった瞳がぐわっと開いたのはこの時だけで、これには流石のセヴォンも動揺した。


「もういいから出てけよ!」


 自分でつついた薮のくせに、日和って部屋から追い出した。ダサい、ダサすぎる──という個人的な苦汁はさておき。セヴォンは今はソーレがあの男の餌食になっているのかと思うと、居ても立っても居られなかった。

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