18 春を告げる花

「リュドミラ人の男性と仲よくなろうの会」は、侍女長の許可が下りた上で不定期開催されることになった。


 第一回はひとまず、「どのようなことを相手にしてもらいたいか」という皆の夢をリストアップし、相手にそれとなく伝えるにはどうすればいいか、という形で意見をまとめることになった。


(なんだかんだ言って、みんな結構ロマンチストなんだね……)


 エマから渡された本日の議事録を読みながら、エレンは思った。


 マリーアンナはかつてエレンとカミラのことを夢見がちの少女扱いしたが、それは案外他の仲間たちでも言えることなのではなかろうか。しかもあのエマでさえ納得の顔でメモを取っていたので、もしかするとエンフィールドの女性は王道が好きなロマンチスト揃いなのかもしれない。


 今日の仕事を終え、来たときよりも少し軽くなった薬箱を担いで歩くエレンの姿は、やはり人目を惹いているようだった。以前は「カミラ様のお抱え魔法薬師」だったのが今では、「『首刎ね騎士』の奥方」ということで注目されているのだろう。


 結婚して分かったのだが、「首刎ね騎士」と呼ばれるミハイルだが必ずしも、怖がられているわけではないようだ。


 今、すれ違った貴族らしい男性たちは、「今のが、『首刎ね』の妻か」「わざわざ血にまみれた男と結婚するなんて」「カヴェーリン公を救えなかった男なんて」とか言っていたが、別の下働きらしい少女たちは「あの方が、『首刎ね騎士』様の奥さん?」「羨ましいわ」と言っていた。


(……ミハイルもあの渾名のことではそれほど気を悪くしていないみたいだし、私も気にしなくていいよね)


 それに、世界中の人から愛される人間なんて、そもそも存在しない。好きな人は好きだし、嫌いな人はどうやったって嫌いだ。

 人生、物事はいいようにいいように考えた方が楽であると、エレンは思っている。


 定期馬車に乗るために裏庭へ行こうとしたエレンはふと、足を止めた。石畳の道を歩いてくる数名の騎士たちの姿が見えたからだ。


(騎士様も退勤かな。……あ、今日はミハイル、戻ってこられるのかな)


 気になったエレンは数秒逡巡した後、騎士たちの方へ足を向けた。「騎士団には来るな」とは言われたが、「騎士と話をするな」とまでは言われていないので、ミハイルの様子を聞くくらいなら大丈夫だ……と思いたい。


「もし、騎士団の方でしょうか」


 思いきって声を掛けると、談笑していた若い騎士たちはエレンの方を見――何かに気付いたように、ぎょっと目を見開いた。


「黒髪……あ、あなたはもしかして、ミハイル・グストフ様の奥様ですか!?」


 奥様、とはフェドーシャや使用人にも呼ばれているが、なかなか慣れないし、こそばゆいような気持ちになってくる響きだ。


「はい、エレン・オー――グストフでございます。夫がまだ仕事をしているのか、気になりまして」


 初めて結婚後の名を名乗ったので、とても緊張した。手紙の返事を書くときには何度も「エレン・グストフ」と書いたのだが、文字で書くのと声に出すのとでは、緊張の度合いが全然違うのだと今気付いた。


(新婚の女性はみんな、こんな気持ちになるのかな……)


 少し恥ずかしくなって指先をすり合わせるエレンだが、騎士たちは何とも言えない顔でエレンを見ていた。だが何度か無言でお互い小突きあった後、観念したように一人が口を開いた。


「えーっと……ミハイル様は確か本日、夜勤をなさるはずです」

「そうですか……」

「……。……あ、あの! もしよろしかったら俺たち、奥様からミハイル様に手紙でも届けますよ!」


 別の一人が名案だとばかりに声を上げたので、エレンは目を丸くする。


 ミハイルに手紙を送る。それは確かに本人にも言ったし、先ほどの会合でも「夫とやってみたいこと」のひとつとして挙げられていたことだ。


(それはすごく嬉しい、けど……)


「お気持ちは嬉しいのですが、あなた方もこれから退勤でしょう。お仕事を終えられた方のお手を煩わせるわけには……」

「いえいえ! 俺たち、超暇なんで!」

「むしろ、ミハイル様に手紙を届けられるなんて、光栄ですよ!」


 遠慮しようと思ったのだが、鼻息も荒く詰め寄られた。


(ミハイル、そんなに人気なのかな……)


 まさか今朝の騎士団朝礼で、「『首刎ね騎士』の奥方にちょっかいをかけるな。丁重に扱え」と上司から命じられたからだなんて露ほども思わず、エレンはミハイルが皆に慕われているのだと思って胸が温かくなった。


「それじゃあ、お願いしてもいいでしょうか。少しお時間をいただくことになりますが」

「もちろんです! 紙とペンもありますので!」


 気前だけでなく、非常に準備のいい青年である。

 エレンは彼から筆記用具を借りて近くの壁を使い、ミハイルへの手紙の内容を考える。


(えっと、「お仕事お疲れ様」と、「無理はしないでね」と、「戻ってこられたらゆっくりおしゃべりしようね」……くらいでいいかな)


 いくら何でも騎士たちを長時間待たせるわけにはいかないので急いで書き、ついでにウエストポーチから紙包みに入った薬を取り出し、手紙の上に置いて一緒に折りたたんだ。


 これは、体の血行をよくする効果のある薬草を練り込んだ薬だ。魔法薬の中でもメジャーなもので、地方の都市でも普通に売られている。

 今晩は冷えそうだとメイドの一人が言っていたので、これを飲んで体を温めて寝てもらいたい。


「それじゃあ、お願いします。中に薬を入れているので、寝る前に飲むようにと言ってください」

「はい、かしこまりました! ……あー……奥さんの手作りなんて……羨ましい……」


 手紙を受け取った騎士はぼやきながら、きびすを返した。他の騎士たちも先に帰らず一緒に騎士団詰め所に戻ったので、仲良し同士なのかもしれない。


 彼らの背中を見送り、エレンは定期馬車乗り場へ急いだ。ちょうど馬車が到着していたので乗り込み、空いている席に座ってから大きく息をつく。


 手紙のやり取りをしたい、と言いだしたのはエレンの方だから、ひとまず彼が手紙を読んで薬を飲んでくれさえすれば十分だ。


(でも……もし、一言でもいいから。返事がもらえたら、嬉しいな)


 馬車が動きだす。

 後方へ流れていく王城の景色を見つめながら、エレンは今も騎士団詰め所で働いているだろうミハイルのことを思っていた。












 翌朝、一人で朝食を食べていたエレンのもとに満面の笑みのフェドーシャがやってきた。


「奥様! こちらをご覧ください!」


 カトラリーを置き、エレンはフェドーシャが郵便物の入った籠を手にしているのを見て――もしかして、という甘い期待に目を見開いた。


(まさか、もう……いや、でも、勘違いかも……)


「ど、どうしたの? お手紙?」

「うふふ、そうです! おそらく奥様が最も喜ばれるものですよ!」


 そうしてフェドーシャが籠から取り出したのは――少しくたびれた一輪の花。

 だがよく見るとそれは封筒の隙間に挟まっているようで、他の郵便物よりも味気なくて安っぽそうなその封筒を見、いよいよエレンの中での期待が高まる。


 フェドーシャが差し出した封筒を手に取る。表書きには「エレン・グストフへ」とあり、裏には「ミハイル・グストフ」と、夫の名が書かれている。


(ほ、本当にミハイルから返事が来た!?)


 昨夜フェドーシャには手紙のことを教えていたからか、彼女もルンルンの様子だ。

 すぐにフェドーシャに封を切ってもらい、そこに挟まっていた花をそっとテーブルに置く。中に入っていたのはぺらっとした薄い便せんだった。


 ミハイルが書いたエレンあての手紙は、これが初めてだ。

 緊張で口から心臓が飛び出そうなエレンが開いた便せんに書かれた文字は、決して多くない。彼の性格を表しているかのような大ぶりな筆致で書かれているのは、「手紙と薬、ありがとう」「これから、薬を飲んで寝る」「今日は帰れそう」「おまえも、体を大事に」といった内容だった。


(ミハイル……)


 青黒いインクで書かれた文字を、そっと撫でる。目を閉じると、難しい顔でデスクに向かい、エレンへの返事を一生懸命考えるミハイルの様子が想像できて、くすぐったいような感情が胸の奥から溢れてくる。


「……嬉しい」

「よかったですね、奥様」

「ええ。……フェーニャ、このお花、私は初めて見るけれど……リュドミラの花なの?」

「これは……秋ラリサの花ですね」


「秋ラリサ? 他のラリサもあるの?」

「はい。咲く時季によって春ラリサと秋ラリサに分けられます。秋ラリサは数が少ないのでそれほど有名でもないのですが、春ラリサは真冬を過ぎた頃に野原に咲きます。その形から、特に春に咲くものは『春を告げる星』と呼ばれています」

「春を告げる星……」


 テーブルに置いた花を摘み、目の高さに持ち上げてしげしげと見てみる。

 花弁は細長い紫色のものが五枚で、花心付近は白っぽい色をしている。花は小さめで茎も細いので、群れて咲く種類なのではないかと推測できた。


 きっとミハイルは手紙を書いた後、郵便係に託す前に近くに咲いていたラリサを見つけ、手折ったのだろう。切り口は明らかに鋏で切ったのではないと分かるし、花も少しくたびれている。


「……これ、もう少し保たせられないかな」

「そうですね、永遠には無理ですが……私の魔法で数日なら、瑞々しさを保つことはできますよ」

「本当!? それじゃあ、お願いしてもいい?」

「ええ、お任せください」


 フェドーシャは花を受け取り、その切り口をそっと指で撫でた。魔道士の素質はないエレンだが魔力の流れは見えるので、フェドーシャの指先から溢れた魔力がラリサの花に注がれていくのは分かる。


 そうしているとしおれかけていたラリサはピンと背筋を伸ばし、数秒の後には摘んで間もないような状態に戻った花が、エレンに渡された。


「どうぞ。……せっかく旦那様からいただいたお花ですからね。お部屋に飾られるとよいでしょう」

「ええ、ありがとう!」


 瑞々しいラリサの花をありがたく受け取り、エレンは微笑んだ。

「春を告げる星」の名を持つ花は間違いなく、エレンの胸にも暖かな春を届けてくれたはずだ、と思いながら。

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