第二十話 ★

 僕は昇降口で立ち尽くしていた。目の前は相変わらずザァザァと雨が降っている。止む気配は一切ない。


「はぁ、なんで傘立てに傘がないんだろ。誰か間違えて持って帰っちゃったのかな」


 僕の口からは自然とため息が出る。


 確かに持ってきたはずだ。だって朝も降っていたんだし、行きも傘をさしてきた。それに、僕は傘立ての一番端っこに置いていた。それも名前付きで。


 この学校で傘が取られることなんて珍しくない。それでも、名前が書いてあれば取られることなんてないはずだ。


「僕の運が悪いのかな」


 僕は傘立てをガサガサと漁る。


「普通に名前書いてないやつあるじゃん」


 僕はため息をまた吐いて、昇降口を後にする。目指す場所は職員室。ビショビショで帰るのは流石に嫌なので、傘を借りることにした。





 僕は少しボロボロの傘を広げる。先生に言ったら普通に借りれた。学校側が貸し出しているのは、長く放置されていた傘なのだとか。だからこれも誰かが使っていたものだ。


 僕は何気なく持ち手のところを見る。


「あ、これあいりのだ」


 そこには『きつわ あいり』と可愛らしい丸文字で書かれていた。


「そういえばだいぶ前に、置き傘してた傘が無くなったとか言ってたっけ」


 その時のあいりの慌てようといったらものすごく笑えた。手足をワタワタとさせて、とても困ったような表情をしていた。


「あいり、どこ行ったんだろう」


 僕とあいりは中学が同じだったから、文芸部メンバーでは、椿を除けば一番付き合いが長い。それに、中学、高校に入ってからは毎日のように会っていた。だから今回のように長い期間合わないということはあまりなかった。


「あー、ダメだダメだ!暗い顔してちゃダメだ!またきっと笑いながら『ごめん、ごめん!学校怠くて休んでた!』って言いながら帰ってくるだろうし、こんな暗い顔をあいりには見せられない」


 僕は一度傘を畳んでから、頬を両手で強く叩く。


「さて、帰るか」


 僕はまた傘をさして昇降口を後にした。





 歩き始めてもう少しで家に着くというところで、僅かに違和感を感じた。


「なんかいつもより静かだな」


 今現在、家の近くを歩いているが、さっきから人とすれ違うことがない。なんなら車なんかも通っていない。家の電気は見たところ、全ての家が消えている。雨音がザァザァと聞こえるだけで、家の中からは生活音が聞こえてこない。雨だから人が出歩いていないという考えで、落ち着かせるのは何か違う気がする。


 僕はゴクリと喉を鳴らす。自然と鼓動が速くなるのを感じる。


 僕はブンブンと首を振る。


「大丈夫、何もない。何もないから」


 僕は歩く。パシャパシャと水溜りを踏みながら歩く。もうとっくに靴の中にも水が侵入してきている。だからどれだけ濡れてももう関係ない。


 無我夢中で歩いていると、気がつけば自分の家の前にいた。


「あれ?先に椿が帰ってきているはずなんだけど。まだあかりがついてないや」


 僕は鍵穴に鍵を刺し、家の鍵を開ける。すると、いつもよりも軽い音がした。そう、ガチャリという音ではなく、カチャッという音。


「開いてる。椿にしては不用心すぎる気がする」


 僕は玄関の扉を開く。


「ただいまぁ」


 扉が音を立てて開く。いつもは気にすることでもないのに、今日はそれが不気味に感じた。


 廊下は薄暗く、闇がどこまでも続いている。僕は玄関に入ってすぐのところにある電気をつける。


「廊下が濡れてる?なんで」


 僕は靴を脱いでからその濡れた跡を辿る。すると、それはリビングまで続いていた。リビングの扉の前は特に濡れがひどく、小さな水たまりにもなっていた。


 僕の喉が自然と鳴る。ゆっくりとドアノブに手をかけて開く。


「!?え、うそ、でしょ?あ、ぁぁぁぁぁぁ!嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ」


 目の前で椿が首を吊っている。口は少し開き、白目を剥いている。床はなんなのかもわからない液体でビシャビシャになっていた。


 僕は急いで椿の下に向かう。急いで首元の縄を外そうとするが、手が震えてなかなか外せない。時間が経つにつれて、その震えはだんだん大きくなっていく。


「椿、椿、椿!しっかりして、お願いだよぉ!」


 僕は必死にその名を呼び続ける。だが、返事はない。目は空いているのに返事は帰ってこない。僕は急いで台所から包丁と椅子を持ってくる。椅子に乗り、縄を乱雑に包丁で切り裂く。すると、縄はいとも簡単に切れて、椿が地面に音を立てて落ちる。それはまるで壊れた操り人形のように。


 僕は椿を抱き起す。


「椿、起きてよ。ねぇ、椿...。お願いだよ!僕を、僕を置いていかないでよ!」


 僕は必死に肩を揺らす。何度も何度も。それでも椿は起きない。


 静寂と闇が広がる部屋の中で、僕の叫びと泣き声だけが広がった。


 もう今までの日常と椿は帰ってこない。僕は時間も忘れて、壊れた機械のように椿の肩を揺らし続けた。










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