第十八話

side椿


 私は雨の中を歩く。手には今日の夜ご飯を作るための材料が入った袋を持っていた。私はそれを見て、少し笑みを浮かべる。兄さんはいつも私のご飯を美味しいと言いながら食べてくれる。その表情からも嘘でないことは明らかだった。それが嬉しくて嬉しくてたまらない。だってそうだろう。好きな人に笑顔で美味しいと言ってもらえて嫌な人はいない。むしろ嬉しくなって当然だ。


 私は雨の中を鼻歌混じりに帰宅する。歩くたびにパシャパシャと音を立てて水が跳ねる。後は家に帰るだけ。明日は土曜日だし、制服に少しくらい水が跳ねても構わない。私はそのまま弾む足取りで、自宅に向かう。だが、そこで私の足はピタッと止まる。鼻歌も同時に止まり、あたりにはザァザァと降りしきる雨音だけが響き渡る。


「なにか、おかしい」


 私は最大限に警戒する。雨が降っているからと言っても、いくらなんでも人通りが少なすぎる。スーパーを出たあたりはまだ人はいた。それこそ晴れている日となんら変わらないくらいの人が。だが今はどうだ。全く人の姿が見えない。それどころか、自宅に近づくに連れて、住宅街がシーンと静まりかえってきている。まるでこの世界に自分だけが取り残されてしまったような感覚だ。


 私は警戒心を最大にして、自宅に向かって歩き始めた。雨はまた強くなってきた。さっきまでは上からただ落ちて来るだけだったが、今は横殴りにまで変わっていた。


 私はいつでも竹刀が抜けるように、肩にかけてある袋をそばに近づける。


 それから歩き続けて5分ほどで自宅に着いた。結局道中には何もなかった。だが、それは道中だけの話だ。自宅に何かあってもおかしくない。


 私は自宅の門を開ける。私の丁度胸くらいの高さの門を、右手で左右交互に開ける。その時、ギギギと音を立てて門が開く。いつもならそんなこと気にしないが、ここまでいつもと空気が違うと、いやでも意識してしまう。


 私は一歩一歩警戒しながら玄関の扉に近づいていく。横目でチラッと庭の方を確認するが、そちらに異常はなさそうだ。


「てか、なんでこんなにもこの辺りだけ静まり返っているのよ。何がなんでもおかしすぎるでしょ。なに?みんな仲良く外食にでも行ってるわけ?」


 私は冗談混じりに呟く。だが、もちろんそれに反応するものなどいない。


 そんなことをしているうちに、気がつけば玄関の目の前に到着していた。私は傘を畳んで傘立てに入れる。それからドアノブに手をかける。そのまま引いてみるが、もちろん開かない。鍵が閉まっているから当然と言えば当然だ。


 私はポケットから自宅の鍵を取り出す。それを鍵穴に入れ、手首を捻る。すると、ガチャリと音を立てて鍵が開けられた。


「自宅だからって気を抜いてられないわ。自宅全てを確認して、安全だと確認できてから肩の力を抜こう」


 私はドアノブに手をかけてから一つ深呼吸をする。それから静かに扉を開ける。


「誰も、いない?」


 私は袋から竹刀を取り出して正面に構える。側から見れば変人極まりない。でも、変人に思われるのと、異常事態に対応できないのは、天秤に乗せるまでもなく前者を選ぶ。だから私はそのまま自宅を進む。雨で汚れた靴を履いたまま。別にいい。靴下やスリッパで歩くくらいなら靴で歩いた方がメリットが多い。竹刀を振る時にしっかりと踏み込める。今は靴を脱ぐ時間すらも惜しいのだから。これでもしも何もなければ床を拭けばいい。それだけのこと。


 私は警戒しながらさらに廊下を進む。まずは一番最初に見えたドアノブに手をかける。そこをひらけば少し広めのリビングがあるはずだ。今更ながら後悔したことがある。それは全ての扉にガラス窓をつけていないということだ。だから開けるまでは、中がどうなっているのかはわからない。それだからか、自然と竹刀を握る力が強くなる。自分の家だというのに生きた心地がしない。


 私は決意を固めてゆっくりとドアを開く。ドアはスムーズに開いてくれた。


「何も、されてない」


 私はドアを開けながらポツリと呟いた。やはり私の杞憂だったのか。少しほっとしてからリビングの扉を閉める。


『こんにちは』


「!?」


 リビングの扉を閉めた途端、扉の裏から見知った人が出てきた。


 私は咄嗟に竹刀を相手の喉元に突き出す。それこそ人を容易に殺してしまうような勢いだ。知り合いだからって容赦はしない。だが、それを相手は紙一重で避ける。


「躱された!?」


『こんな天井の低いところで、その長い竹刀は振ることはできない。必然的に最初の一撃で相手を沈めに来ようとする。それなら一番危険な技と言われる突きでくるのは誰でもわかることだよ』


 相手は体勢を低くしてこちらに詰め寄る。


 まずい、今の一撃で決めたかった。だが、それも簡単に躱されてしまった。


 相手は肉薄しながらも、懐から何か取り出す。それはスマホほどの大きさのものだった。先端には何かついている。


「な!?スタンガン!?」


 それが何かわかった途端、私は大きく前に踏み込む。逃げるんじゃない、戦うための一歩を。私は相手との間合いを詰めて竹刀を鋭く前に突き出す。今度は相手の胴体を狙って。それを相手は前に転がることで回避する。


「くっ!」


だが、ここで頭に強い衝撃が加わった。それは殺さないためにうまく調節された一撃。


『相手が一人とは言ってないよ。それじゃあ少し眠っていてね。次に起きる頃には、人生最後の晴れ舞台を用意してあげるから』


私は視界の端に女を捕らえながら段々と意識を落としていった。

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