第20話 あい
教室の前で軽く頬を叩いた。
おかしいところがないか、真新しい制服の裾を何度か直してみる。
こころさんに整えてもらった髪を手で梳く。
胸に手を当てた。
心臓がばくばくと音を鳴らしてる。何度か整えたのに未だに、息は浅く早い。
緊張・・・してるなあ。
心臓と肺が緊急事態だとせっせと身体と脳に酸素を回しているのが感じられる。いやいや、さすがに回しすぎだからね君たち。もっと落ち着かないと逆にうまくいかないよ。そんな風に苦笑い。
長く息を吸う。
長く息を吐く。
いつもの教え、ちょっと、ほんのちょっとだけ緊張がマシになる。
あとは私次第。
よし、と意気込んだ。
「じゃあ、入って来てくれ」
教師の声にひかれてドアを開けた。
たくさんの
30人ほどの生徒たちが現れた私に一斉に注目する。
人の圧に、一瞬、ひるみかける。ひるみかけて、ぐっとこらえた。
いける、いける。やれるぞ私。
壇上にだんと立つ。場の緊張が、私自身の緊張がじとっと皮膚の上に張り付く。
他人の緊張が伝わる。こいつは何者なのだろう。自分たちにどんな影響を及ぼすのだろう。
他人の好奇が伝わる。どんなやつなのだろう。どんな背景をもっているのだろう。自分たちと仲良くするのだろうか。
もう一度、息を吐いて心を落ち着けた。私自身に、私の心に今一度問う。
どうなりたい?どうありたい?
正直でいたい。堂々としていたい。私らしくありたい。
だからできる限り、誤魔化さない。伝えれることは伝える。
だから前を向いた。
「柳澤 亜衣です!留年していたため皆さんより一つ年上です!でも、気にせず対等に接していける友達を募集中です!
趣味は読書とあちこち散歩することで、好物は塩キャラメルです!お願いします!」
言った。
言い切った。
ざわっと人の声が揺れた。動揺。困惑。好奇。疑念。
続きを口にするか、迷う。すでに若干の動揺が集団全体に見られる。ここで私の実態を告げていいものか。
現状、受けれ入れられる確率はかなり低い。
手が上がった。
少し気だるげな格好で手を上げている人がいた。
女子生徒で、机に突っ伏しててちょっとやる気なさそう。そんな人だった。
「はーい、質問です」
気の抜けた声。
教師をちらりと見ると、若干あきれた顔でその生徒を見ている。返答は私がしていいみたいだ。
「えと、なんですか?」
若干、たどたどしくなりながら返答する。
「好きな本とかあります?」
「え、と、料理本とか。心理学の本とか、生活の役に立つ本が好きです」
少しばかり焦りながら返答する。女子はふーん、と唸る。なんだろ、なんというか、当たり障りのない質問。まるで何かの前振りみたいな。教師と周りの生徒もそんな私と女子のやりとりをじっと聞いている。ただ幾許か、呆れの視線がその女子に周りから注がれている。
「あと、もう一個質問なんですけど」
「はい」
少しの間。
「
ざわっと、教室がどよめきに揺れた。私は軽く息を吐く。
ただ、不思議と緊張はあらかたなくなっていた。
多分、いうべきタイミングが来ただけだから。むしろ、聞いてくれたことに感謝しないと、何時言おうか迷ってたんだし。
息を吸った、焦らず、感情にのまれず、ぶっきらぼうになりすぎず。ちょうどいい、塩梅で。
「両親が死んで、そのショックでしばらく引きこもってました」
教室がさらにどよめいた。動揺、困惑、好奇、疑問。端目に映る教師が若干慌てた顔をする。クラスの空気が若干引いていくのを感じる。
くだんの女子は、そのまま私をじーっと見ていた。何かを値踏みするみたいに、私もその眼をじっと見返す。この子の質問にはちゃんと答えよう、ってそう思った。なんとなく理由はわからないけれど、ちゃんと向き合った方がいいと思った。
さあ、どう返してくるのかな。
「へー」
軽い反応。空き缶みたいな、手ごたえのない反応。
こっそり、息を吐く。大丈夫かな、引かれてない?いや、引かれてるか、そりゃそうだね。こんなの誰だって怖いわ。
ただ、くだんの女子はにやりと笑った。ちょっと意地悪い笑み。直感だけど、この子、性格悪いな。
「
そして、返答。
・・・・予想外の答えに、私は一瞬呆ける。
・・・・・かわいそう。・・・・可哀そう。
・・・かわい・・・そう?
数瞬後、彼女の意図を理解して吹き出した。
そっか、そっか。
私、可哀そうな奴を演じてるって思われてたのか。
なるほど、なるほど。さもありなんといった感じだ。突然の、自分の暗い過去を暴露すること。
こういう過去があるから、私を可哀そうに思ってねって、そう言ったと捉えれたわけだ。
思わず、笑う。性格悪そうな女子の顔が疑問に傾げられる。
うん、やっぱ言葉足らずだったね、ちゃんとそこまで伝えないとね。
したいこと。私が本当にしたいこと。
「ぶっふふ、はい!それで大丈夫です!かわいそがられると、むしろ困っちゃいます!
大声で宣言する。
私は憐みなんていらない。ただ、知ってほしいだけ。
ただできるだけ自分に正直でいたいだけ。
そのうえで、対等に付き合ってほしいと。
そう告げる。
今度は向こうが少し呆ける番。
予想外の答えはお互いさまで。というか、この子、仮に可哀そうな子がいたら同じような言葉をかけるのだろか。やっぱ、性格悪いな。何かとあけすけで、楽しいけどね。
数瞬後、向こうも吹き出した。
お互いににやりと見合って大爆笑する。
周りはただ茫然としている。
あーあー、ひどい。
これ、みんな置いてけぼりじゃん。
私と、この変な子の会話になっちゃってる。みんなと仲良くするつもりだったんだけど、これは早速計画破綻ですかな。
まあ、面白いからいいのだけれど。
教師はしばらく唖然としていたが、会話が終わったらしいことを察したみたいだ。手を叩いて一度みんなの意識を戻すと、全体に向けて喋り始めた。
「まあ、というわけでちょっと特殊な事情を抱えている柳澤さんだ。ただ、本人が言うように分け隔てなく接してくれるとありがたい。みんなと同じクラスで、それこそ対等にすごすわけだしな」
そこまで来て、クラスのみんなの顔がようやく緊張から緩まる。少しの笑みと話し声がざわざわとクラスを満たしていく。くだんの女子は周りからちょこちょこ笑顔で小突かれていた。どうにもああいう、ずばずばいう人と周囲からすでに認識されてるっぽいね。
「おいおい、まだ話し終わってないぞ。で、席なんだが・・・」
教師はそう言いかけて、私を見る。私はその視線を返した後、改めて教室を見返す。
教室の席は結構まばらで3つ4つ空きがあった。どれに座るか、と問われているのか。
「せんせー、ここがいいと思いまーす」
思案をまとめる間もなく、声の大きい男子生徒が彼の隣の席を指さした。そこはくだんの女子の後ろの席でもあった。
くだんの女子はまだにやにやしながらそっぽ向いてる。でも肩が笑いに時々揺れていた。
「・・・だ、そうだが。どうする?」
教師はちょっと苦笑い気味私を見た。私は笑顔で頷き返す。
「はい!私もあそこがいいです!」
「じゃ、そこで頼む」
私はカバンを持って自分の席に着いた。教室の空気は先ほどより、幾許か明るい。とんでもない異物としては認識されずにすんだみたいだ。
よかった、うまくいった・・・かな?
「あ、俺、
席に座ると先ほど、私を誘導した男子が、悠馬くんがにこやかに笑いかけてきた。随分と元気そうな奴だった。
「うん、よろしく!あとさん、いらいないよ!亜衣でいい!」
「お、そっかじゃあよろしく、亜衣!俺も悠馬でいいよ!」
そんなやり取りをしていると、前の席からさっきの女子がにやにやと笑いながら、私を振り向いた。
くっくっくと肩を揺らしているから、まださっきの余韻を引きずってるっぽい。近くで見ると、片頬を釣り上げている笑みがものすごい性格悪そう、いやー楽しいね。
「いやー、変な人がきた。変な人が来た」
「
隣から悠馬が声を掛けてくる。それに対して、漆原と呼ばれた女子は若干眉をひそめると、藪にらみになる。
「うっさいわ、あんたに言われたくない」
「はは、まあ、この学校変な奴ばっかだけど」
「漆原・・・さん?よろしくね!」
私がそう言うと、漆原さんはにやにやとした笑いを増やした。
「ひとにさん付け辞めさせたのに自分はつけんの?」
「え?初見は確認とってからでしょ?」
「ふーん、しっかりしてんだか、そうじゃないんだか。ほんとに変なの。いいよ、特別にさん付け外しても」
「漆原のことさん付けで呼んでるやつなんでいねーけどな」
「ほんと、あんたうっさい」
「で、下の名前は?」
しつこく私が問うたけど、漆原さんはにやにや笑いながら、ひらひらと手をふってあしらってくる。
「そーいうのは、もうちょっと好感度あげてからね」
「嘘つけ、絶対もうさっきのやり取りでめちゃくちゃ好感度上げてるぞ、こいつ。変な奴好きだから」
「いや、ほんっとうっさいんだけど、ひっこんでてくれる?今、私がしゃべってんのよ」
悠馬の茶々に、漆原は藪にらみで返す。仲が悪いわけじゃなくて、ただお互い遠慮がない。そんな印象を受けた。
「えー、おーしーえーてーよー、下の名前ー」
「あんたも、初見で対人ハードル下げすぎでしょ」
駄々をこねるが、あまりうまくいかない。むー。
「いや、あれは仲良くなるしかないでしょ。あ、私は亜衣って呼んでほしいから」
「わがままか」
「そうだよ?だって、自分に正直に生きないと」
ふん、と私が胸を張ると、漆原は軽くため息をつく。でもそれがどことなく嬉しそうなのを私は一切見逃さないのであった。私、賢いもんね。
「わー、ほんとに変な奴だ、これ」
「へへ、あなたもでしょ、それ」
「はあ・・・まあ、仕方ないか、私の名前はーーー」
告げかけた時。
「「私たちは
「え?」
突然、背後から女子二人が飛び出してきた。全く同じ顔、全く同じ声。度肝を抜かれた私たち三人はしばらく呆ける。
「おお、急に出てきたな・・・」
「あの・・・あなたたちは?・・・双子?」
悠馬と私がどうにか復活して反応する。いやあ、びっくりしたあ。
「「いえーす!ばりばり一卵双生児でーす」」
「あんたら、人が名前言おうって時に・・・」
漆原が若干、ねめつける様に二人を見るが、二人とも意にも介さないように不敵に笑っている。
「ふふん、もったいぶってるやつに名乗る権利などないのよ!」「ないったらないのだよ!」
「はあ、あんたら。タイミングってもんがーーー」
「というわけで、私たちも亜衣ちんと仲良くしたいなー」「したいのだー、澪も零も呼び捨てにしてもらっていいからなー!」
「趣味は澪がロックを弾くことで、零がロックを聴くことねー」「ちなみに零がアウトドア派で澪がインドア派なのです。こう見えてちぐはぐ!」
しゃべりかける漆原さんを無視して、二人は朗々と喋ってくる。私は多少、唖然としながらその二人を眺める。
「う、うん。とりあえず・・・どっちが澪でどっちが零?」
「「・・・・」」
二人はじっと顔を見合わせた。
しばし、沈黙。
「「当ててみな?!」」
「いや、わかるか」
悠馬が若干、あきれたような顔でツッコミを入れる。常識的なポジションに見えて、この空気についてきてる当たり、多分、悠馬も変な奴なのだろう。
と、そんな二人を押しのけて漆原が身体を前に引っ張り出して、私に詰め寄ってくる。
「そんなことより!私の名前はーーー」
「あ、俺、
今度は斜め前の男子が意気揚々と、自己紹介して漆原の自己紹介を遮る。私は思わず吹き出す。隣で悠馬と、澪と零 (結局どっちがどっちだか)も肩を震わせて笑いをこらえていた。
「あんった・・・ねえ・・・」
漆原が藪にらみを利かせるが、祥元くんはどこ吹く風だった。みんな強いなあ。寺っこだからか、関係ないか。
「いや、今のは言う流れかなあって」
そう軽く答えて、よろしくーと私に手を振ってくる。私は、笑いながら手を振って返す。だめだ、おかしい。おなか痛い。
「とりあえず私はーーーー」
「いい加減、ホームルームすんぞー」
こんどは・・・せんせいの、じゃま・・・。だめ・・・、笑いすぎておなか痛い。
「せんせぇえ!!」
漆原が泣き叫ぶみたいに先生を振り返る。でも、先生は慣れてるのかどこ吹く風だった。
「いや、お前らホームルームはじめるってのにうるさいし。親睦を深めるのは休憩時間にやってくれ」
「うう・・・・」
一応、正論なのか。漆原は押し黙る。なんか、意外と常識的だな、もっと型破りなのかと思った。はは。
「ちなみに、俺は
「そこで自分の自己紹介すんのおかしくない!?このクソ教師ぃ!!」
私の分の時間くらいとれやぁぁ!!と漆原が吠えた。クラスの人たちが耐えきれず笑いだす。
私はさっきからずっと笑いすぎておなか痛い。
教室が笑いに包まれる。
はは、自由な校風って聞いて入ったけど、変な人多すぎだね。
なんて私も人のこと言えないのかな。
みんなと一緒に笑う。
一緒にいられる。
独りじゃない。
拒絶されない。
でも、まだ始まったばかり。
一歩目を踏み出したばかり。
ただスタートは確実に切れたのだろう。
じゃあ、進んでいきましょう、私の道を。
進んでいきましょう、今日という日を。
長く長い人生を楽しんで歩いていきましょう。
そう想って笑う。
そのために、最初に仲良くなりたい子と仲良くならないと、ね?
「で、名前なんていうの?」
「・・・・
「よろしくね!そら!」
「・・・・・ん、よろしく」
きっと、きっと、そうきっと。
幸せを目指して歩く、この時が、この日々がきっと何よりの幸せなのでしょう。
犠牲を忘れず、感謝を忘れず、それでも前を向きましょう。
私の幸せを歩いていきましょう。
誰より、何より、今を楽しんで。
そして、今日のことを家に帰ったらこころさんに目一杯、喋りましょう。
ああ、その時がとても、とても楽しみなのです。
「じゃ、ホームルーム始めんぞー」
「「「はーい!」」」
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