第5話 私の家

「ただいまーっ。えっと、ここがわたしの家です」


 いつもと同じように、誰もいない家に〝ただいま〟の一言。

 一人で暮らすようになってからは小声で呟くようだった帰宅を告げる声が、今日は自分でも驚くほど大きな声になる。


「夏帆、誰かいるのか?」

「ううん。誰もいませんけど」

「なら、どうして?」


 一歩遅れて扉をくぐったアリエルが、少し不思議そうな顔で夏帆に訊ねてきた。

 アリエルの疑問はどうやら空っぽの家に向かっての〝ただいま〟にあるらしい。


「ヘン、ですか?」

「返事も無いのに?」


 そう言われると、アリエルの言うことがもっともだという気がしてくる。

 どうして、わたしは誰もいないのに〝ただいま〟と言っているんだろう――少しだけ考えて夏帆は思ったことをアリエルに説明した。


「えっと……たぶん、家だからじゃないかなって。帰ってくる場所だから。だから、誰もいなくても〝ただいま〟なんだと思います」

「そっか。帰る場所だから、ただいま。うん、それならわかる気がする」


 夏帆の説明が気に入ったのか、アリエルは何度か〝ただいま〟を繰り返した。


 帝塚平ニュータウンという、名前だけは新しい住宅地にある夏帆の家は標準的な二階建ての一軒家。

 ただ、いずれは父方の祖母も呼ぶつもりだったらしく、間取りはご近所様に比べると少しゆったりとしている。


「へえ。ここが夏帆の家か。生まれたときから、ここに住んでるの?」

「ううん。引っ越ししてきたのは小学校の時。弟の入学式の前だったと思います」


 出来たばかりの家の中を大はしゃぎしながら、駆け回ったことを思いだしながら夏帆は答えた。

 ランドセルを背負ったままの弟を追いかけ回しながらのかくれんぼ。あともう一人、夏帆より少しお姉さんだったあの子は誰だっただろう。

 引っ越し前後の記憶はもう曖昧でよく思い出せない。


「アリエルはずっと同じところに住んでるんですか?」


 リビングにアリエルを案内した夏帆は、紅茶とお菓子を用意しながら聞いてみた。


「いや。どっちかっていうと、あっちこっち行ったり来たりだね」

「そうなんですか」

「そ。オーダーの内容で行く場所とかコロコロ変わるから。最近は割と落ち着いてきたかな」

「おーだー?」

「ん。仕事、っていうのかな。その命令で、色々とね」


 聞き慣れない言葉をオウム返しに呟く夏帆に、荷物を下ろしたアリエルが付け加える。

 そう言えば、夏帆の父親もしょっちゅう出張していた。ここ数年は家にいる方が珍しかったぐらいだ。

 紅茶をテーブルの上において、アリエルの向かいに腰をかける。夏帆がそうするのを待っていたのか、アリエルは足下のバッグから一通の封筒を夏帆に手渡した。


「これ、ミーム先生から夏帆に」

「ミーム先生?」

「あれ? 会ってなかったっけ? 主治医――っていうのかな。チーフドクター」

「あ、ひょっとして夢に出てきた」

「って、聞いてるけどね」


 封筒を受け取って、宛名を確認。綺麗な字で、夏目夏帆様へとだけ書かれている。


「今、読んでも大丈夫でしょうか?」

「いいと思うよ。あと、夏帆さ。そんなに丁寧に話さなくてもいいよ。疲れるだろ?」

「あ、だけど……アリエルの方が年上っぽいですし」

「ずっと、そんな感じで話される方が疲れるって」


 笑いながら、アリエルがぐっと身体を乗り出してくる。急に近づいてきた顔に夏帆がどぎまぎしていると、ムニっとほっぺたをつままれた。


「はみゃっ」

「うわ。夏帆の頬って、すごく柔らかい」

「へみゃみゃみゃ~~っ、アリエルっ」


 アリエルの手から身をよじって逃れると、夏帆は少し涙目で彼女を睨み付ける。

 いきなりのスキンシップに驚いたというよりも、狸顔の元凶ではないかと気にしているモチ頬を見抜かれたことがちょびっとくやしい。


「う~。アリエル、ひどい~」

「ごめんごめん。実は一目見たときから、気になっててさ。予想以上の柔らかさだった」


 ものすごく嬉しそうな顔でそう言われて、夏帆はほっぺたを押さえたまま椅子に座り直した。

 あんなに子供みたいに楽しそうな顔をされると、もう怒れない。なんかずるい。

 さっきまでずっと年上に見えていた彼女が、今は同じ年くらいに感じる。


「ん~。夏帆、もっぺんいいかな?」

「ダメ! 却下っ。不許可っ」


 ほっぺたをワキワキと狙うアリエルの指を警戒しつつ、夏帆はミームからの手紙の封を破った。

 封筒の中には便せんが数枚と、キャッシュカードのようなプラスティック製のカードが一枚入っている。

 ワープロで書かれた手紙の最後には、流れるようなサイン。手書きだということはわかるが、綴りまでは読み取れない。アルファベットには見えない、夏帆の見たことのない文字のようだった。


「先生、なんて?」


 真剣に手紙を読み始めた夏帆を見て、手を引っ込めたアリエルが何となしに聞いてくる。


「んー。ちょっと待って――」


 手紙に書かれていることは、夏帆が思っていたこととあまり変わらなかった。

 アリエルのことをよろしく頼む。遠慮はいらないから、バンバンこき使ってヨシ。生活費や雑費は同封のカードから引き落とせるので、必要なだけ落として貰って問題ないなどなど。


 ただ、最後の追伸の一文だけが少し気になった。


 ~追伸アリエルと一緒に暮らしているあいだ、夏目さんの思い違いや昔の記憶が少し混乱するかもしれません。あくまでも一時的なものなので、あまり気にしないでください~


 書いてある意味がよくわからない。アリエルと一緒の間と書いてあるからには、彼女と何か関係があるのだろうか。


「アリエル。これ、どういう意味かわかる?」

「さあ。どういう意味だろ。夏帆って、痴呆の気があったりする?」

「ありませんっ」


 まだ高校生なのに、その疑惑はとても悲しい。

 これ以上、ヘンな疑いをもたれても困るので、夏帆はこの話題を打ち切ることに決めた。なにしろ、アリエルは妖精だか精霊なのだ。少しぐらいヘンなことがあっても、不思議ではない。


 また、あの言葉を思い出す。その女の子は人ではない。アリエル。


 今朝の鮮烈な記憶がそれを語る。束の間の幻。銀の精霊。風の妖精。

 そんな妖しさはアリエルからはまるで感じることが出来ない。まるで、遠い親戚のお姉さんと一緒にいるような不思議な安心感がある。


「ところで、アリエル。着替えなんかはどれぐらい持ってきてる?」


 よくわからない話はおいておいて、まずはこれからのことを決めないと。部屋や共同生活のルールに食事の時間。もたもたしていてはあっという間に夜になってしまう。



//----------------------------------------//

次回 第6話 始まりの1日

明日の13時30分過ぎに更新予定です。


少しでも気に入っていただければ、嬉しいです。



  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る