金魚球

武江成緒

前編


 金魚球きんぎょだま

 という書き方は、当て字なのだと教わったのは、十一のころ、お盆祭りの夜でした。


 それは昔、明饗みょうきょう年間の末に生じた書き方で、それ以前には「禁形魂きんぎょだま」と書いたのだと、

 そう教えてくださった容輔ようすけ叔父様は、金魚球、いえ、禁形魂のお店のご主人に十銭銀貨を手渡され、お店の先にすえつけてある球鉢たまばちの前へと、わたくしを呼んでくださいました。



 大人の腕でも一抱えもある球鉢は、その黄土おうど色のまるい身体を釉薬うわぐすりぬめらせています。

 中にはどろりとあおぐろい、しかしんだ液体に満たされています。

 硝子がらすとろけたような――熱によってかされたのでなく、そのままに液体へ変じたような――ものが、妙にぶわぶわと渦巻く、奇妙な鉢。

 白い浴衣ゆかたの袖をまくって、鉢のなかへ手を差し入れると、蛇が首をもたげるように、青い液体はてのひらの上へってきて、

 とぽん、と首が切り離されると、私の手には蜜柑みかんほどの、硝子球がらすだまのようなものが残っていました。


 ほんのり青く透きとおる球を、お店の洋灯ランプかざしてみると、球のなかに赤いものが泳いでいます。

 三センチほどの、身をくねらせてひらひら泳ぐちいさな影。

 昨年も、一昨年も、いえ、物心のついた頃から幾度となく、お祭りのたびに、球のなかに見たその赤い影は、見るほどに金魚にそっくりで。


 やはりこれは、金魚球きんぎょだま、と書くのが正しいのではありませんか。

 どうして禁形魂きんぎょだまなどと書くのですか。


 微笑んだ横顔で私の問いを受けながら、叔父様はお店のご主人に何かを指図なさいます。

 ご主人はお店の奥へ下がられると、やがて黒ずんだ木箱をかかえて戻ってこられました。

 霊符の貼られたふたをひらくと、き詰められた真綿まわたの上に、つややかな球がふたつ、うずまっているのです。

 金魚球、いえ、禁形魂でした。

 あの球を、かすことなく箱に仕舞しまっておけるなどとは知りませんでした。蓋の霊符のお力でしょうか。私はじっと、物言わぬ球をのぞき込みました。



 と、叔父様は右の球を手に取られて、洋灯ランプの光に翳されます。

 私の手にある青い球とはちがった色の、黄色にちかい球でした。

 そのなかを泳いでいるのは、見慣れた金魚の姿とはすこし変わったものでした。

 五センチほどに大きくなり、色がくすんで茶色にかわり、なにかをぴるぴる動かしています。

 二本の脚が生えているかのようでした。

 黄色くにごった球のなかを、もがくように脚を動かし泳ぎ回るその姿は、見慣れたかわいらしい姿と、きれいな金魚のような姿とくらべ、不格好に見えました。

 私はすこし、いやな気分になりました。



 叔父様はその球を箱の中へと戻されました。

 そして今度は、左の球を手に取られると、また明かりへと翳されました。

 さきほどの球の中には茶色の影がもがいていましたが、今度の球は、球そのものが茶色に染まっておりました。

 濃い番茶でも詰めたかのような色でした。

 そのなかに、黒ずんだものが身をうごめかせておりました。

 球のなかを窮屈そうにぐるぐる回るその形には、二本の脚に加えてさらに、前足と呼ぶか、手と呼ぶべきか、とにかくそれをうごめかせて、球を内から引っ掻こうとでもいうかのようにさかんに動いておりました。

 私はとてもいやな気分になりました。



 と、叔父様は、浴衣のふところに手をさし入れられ、なにか黒いものを、明かりのもとへ翳されました。



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