転生魔王の幼少期(後編)


 お昼近くなると、陽菜の母親と俺の母親が一緒に迎えに来る。ヴァルター・鈴木が言うには親同士の付き合いというのもあるそうだ。色々と大変な世界だ。


「ワンッ! ワンッ!」


 そしてこのめっちゃ吠えてくる白い犬。俺のことを見るなり毎度のごとく吠えてくる。最初なんて噛みついて来ようとしたから魔法をお見舞いしてやろうかと思ったぐらいだ。

 我が家にもペットがいるが、こんな噛みついてきたりしない。

 それが今、母親に抱き抱えられている黒い犬だ。


「ワンッ! ワンッ!」

「こら、そんなに吠えちゃダメでしょ! 夜ちゃん、ごめんね。ウチの『セシリア』が」

「ブゥーーーーッ!!!!?」


 聞き慣れた名前で思わず噴き出してしまった。

 えっ? 今なんて? この犬っころがセシリア? 勇者パーティーで聖女とか言われてたあのセシリアか?

 そんなの笑うしかねぇじゃん!


「夜ちゃん、どうしたの? 大丈夫?」

「あっ、うん。ちょっと驚いちゃっただけだから」

「ワンッ! ワンッ!」


 口元に手を添えてセシリアの方を見てクスリと笑うと、セシリアが吠えた。

 コイツさては記憶が残ってるな。……なおさら大爆笑ものだなッ!

 あの聖女とか言われて慕われてたヤツが犬になってるなんて人間どもが知ったらどうなるんだか、想像するだけで笑えてくる。


「ずいぶん可愛いだね」

「ワオーンッ!!」


 勇者パーティーに聖女という回復役がいるように、魔王軍にも回復役がいる。名前は『メルトリリス』。どんな傷であろうと一瞬で治してしまう最強の回復役ヒーラーだ。まだこの世界では見てないが、恐らくこの世界に転生しているだろう。


「キャンキャンッ!」


 母親に抱えられている我が家のペットが可愛らしく吠える。そういえばこの犬の名前、聞いたことないな。


「ねえ、お母さん」

「どうしたの?」


 母親に訊いてみる。昔、「母上」と呼んだらスゴく怒られたのを覚えている。「ママ」と呼びなさいと何度言われたことか。

 さすがに魔王たるこの俺が「ママ」などと呼んだら配下たちにどんな目で見られることやら。俺は必死に説得して現状の「お母さん」呼びを確保した。


「ウチの犬ってなんて名前なの?」

よ。可愛い名前でしょ?」


 俺は吐息を吐くと、手で顔を隠して視界を覆い、メルトリリスを見ないようにして心のなかで叫んだ。


 メルトリリスお前――――――ッ!!!



「キャンキャンッ!」


 キャンキャンじゃねぇーよッ! なんでそんな純粋な瞳で覗き込んで来るんだよ!

 犬に転生するんだったら、せめて記憶ぐらい残しておけッ!


「良かったらお昼ご飯一緒に食べません?」

「そうしましょう」

「やった! 夜ちゃん、一緒だね!」

「うん、そうだね」


 ダメだ。メルトリリスの前世は忘れることにしよう。さすがに「きゃるん♪」という効果音が聞こえてきそうな瞳をしている配下は見ていられない。前世のメルトリリスを知っている俺にすれば余計にだ。

 道理でヴァルター・鈴木もメルトリリスのことを教えてくれなかったわけだ。彼もまた、元同僚としてこの姿を見るのが辛いのだろう。

 メルトリリス……もうお前のことはもう忘れることにした!

 魔王たるものいつまでも過去を引き摺ってはならんからなッ!


「夜ちゃん、早く行こっ!」

「あっ、うん!」


 陽菜に手を引かれて勇者の居城である高橋家に向かう。良きライバルである勇者には記憶が残っている。

 さすがは我がライバルと言ったところだ。犬になったセシリアとは大違――――やめよう。メルトリリスが頭に浮かんでしまう。


「キャンキャンッ!」


 ヤメロッ!

 そんな純粋な瞳でこっち見んな。頭が痛くなる。

 勇者の居城にたどり着くと、『出前』という最強サービスを注文することになった。シェフがわざわざ店から家まで運んでくれるこの『出前』はこの国でもかなり人気らしい。

 俺の国でも採用しておけばよかった……。


「あっ、お兄ちゃんただいまっ!」

「おかえり陽菜。夜ちゃんもいらっしゃい」

「お邪魔してます」


 陽菜の兄であるこの男こそ、勇者である『高橋 ゆう』だ。互いに正体は知っているが、今となっては争う必要もないので協定関係を結んでいる。

 以前、魔法を使えばこの世界なら簡単に支配できると思っていたが、蓋を開けてみると中には爆弾まみれだった。

 この世界には今までに見たことのない『銃』という武器が存在する。その『銃』という武器なのだが、弓矢とは比較できないほど命中率が高い。そして何よりも速い。パンッと音が聞こえた瞬間には即死ということすらあり得る。

 それなら射出までに時間がある爆裂魔法の方が何百倍もマシだ。

 そんな危険があるのに世界征服とかアホみたいなこと言ってられるかッ!


 ……そんなわけで勇者とは仲良くしてる。

 もちろん正体がバレそうなことを宣えば、脛を蹴ったりはするが。


「そういえばお兄ちゃん学校じゃないの?」


 たしかに。

 乃愛と皇太郎は今朝、学校に行く準備をしてた。同じ学校で同じクラスの勇者がここにいるのはおかしい。

 勇者の癖してよもやサボりか。


「今日は午前で終わりなんだ。あとで皇太郎の家で一緒に遊ぶ約束してる」

「えー! いいなー! 陽菜も行きたい!」

「陽菜はあとでママと一緒に買い物行くんでしょ? お菓子買ってあげるから、今日は我慢してね?」

「……はーい」


 陽菜は諦めたようだが、シュンとしていた。まだ五歳児だからな。俺もそうだが、保育園以外だと母親かヴァルター・鈴木かルーシー・佐藤の誰かしらが常にいる。

 日常的に便利だと思うものにも、子供一人では危険な物があるということなのだろう。


 それから昼食を食べ終えると、俺は勇者と共に家へと帰ることになった。後方には母親がメルトリリスのリードを片手に歩いている。


「セシリアって記憶持ち越してるのか?」


 後方にいる母親に聞こえない程度の大きさで勇者に訊いた。


「そうだな。ついでに言うと喋れるぞ」


 お、おう……こんなところで要らん情報を手に入れてしまった。

 喋れる犬って、もはや犬ですら無くね?


「アイツめっちゃ吠えてくるんだけど、何とかしてくれない?」

「今度注意しとくわ。……それを言ったらお前の執事はどうなんだよ。顔を合わせる度に殺気を放ってくるんだが」


 ヴァルター・鈴木は暗黒騎士だからな。勇者と戦いたいのだろう。

 だがここは、平和な国……日本。

 魔法もなければ魔物も居ないし、戦争一つ起きていない安住の地なのだ。戦いなどあって良い場所ではない。


「あとで言い聞かせておく」

「頼んだぞ」


 交渉成立の握手をする。

 すると後ろから気味の悪い笑い声が聞こえてきた。俺と勇者は思わず立ち止まって後ろを振り返った。


「お母さん……気持ち悪いんだけど」

「フフフ、何でもないわ」


 なんかスゴくほっこりとした顔で言ってきた。アレ絶対、勘違いしてるよ。俺がヴァルター・鈴木と親しげに話してた時だって同じような顔してたし。

 最近は俺とヴァルター・鈴木を見てもそんな顔はしなくなったけど。


「夜は誰か好きな子とかいないの?」

「えっとねー……」


 お母さんが気持ち悪い笑みのまま俺に訊いてきた。どうせこの勇者のことが好きだって言わせたいんだろ。

 くだらない、俺が愛しているのは前世でも今世でもただ一人だけだ。

 それは――――――


「お姉ちゃんッ!」




 その日、俺は母親のかつてないほど深い溜息を聞いた。




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