第1章 時節

毎日を忙しく過ごしていた春樹は今、蒼の目の前に綺麗に姿勢を正して正座をして座っている。毎日食事をする場所に呼ばれたのだが、今彼の目の前に広がっているのは畳独特の匂いがする部屋。


少し段差がある所には背筋を真っ直ぐにして同じように座っている蒼。試験を明日に控えた春樹は突然の呼び出しに心臓を激しく動かしながら座っていると、蒼は話を始めた。


「さて、春樹。ついに明日は学舎の試験があります。貴方の今までの姿勢を見ていれば合格は確実でしょう。しかし、最後まで何が起こるのかが分からないのが試験です。気を抜かないようにしてくださいね」


「はい、ありがとうございます」


「あ〜ついに春樹が学舎に行くとはなぁ〜」


「なんだか感慨深いものがあるね〜」


閉じた扇子を手に軽く打ち付けるようにしている蒼。彼が何を考えているのか分からない春樹は頭を下げたままだ。二週間前に渡された装束はあちこちに汚れがついており、何度も洗った形跡が伺える。そんな彼を後ろから同じように座っている陽斗、海斗が口々に感想を言い合っているようだった。


「陽斗、貴方は途中から全てを海斗に任せていましたね。しっかりと見ていましたよ」


「えっ き、気づいていたんですか……?」


「えぇ、もちろんです。貴方にはまた後で個人的にお話がありますので、後で来てくださいね」


「は、はぁ〜い……」


しみじみとしていた雰囲気はすぐに消されてしまった陽斗。蒼からの一言はかなり重かったようだ。一人だけ咎められたのを横で見ていた海斗は肩を揺らして笑っていた。


後ろで何が起きてるのか、いまいち分かっていない春樹は顔をあげる瞬間を見失ってしまっていた。


「春樹、いつまでそんな格好をしているのですか。早く顔を上げなさい」


「す、すみません……」


「おやおや、いつの間にそんなにしおらしくなったんですか?初めて会った日とは随分大人しく変わってしまいましたねぇ」


「そ、そんなことない!……です」


「ふふっ こんな安っぽい挑発に引っ掛かるなんて、まだまだですね」


ばさり、と音を立てて広げた扇子で口元を隠して笑っている蒼。目を細くして、垂れ目のようになっているので口元も同じように笑っているだろう。彼の軽い挑発にまんまと乗っかってしまった春樹は、染み付いてしまっている言葉遣いが出てしまっていた。


しかし、後ろから陽斗に叩かれて気が付いた彼はすぐに言葉を付け足した。


「それより、明日の試験にその格好で行くのですか?」


「え?そ、そうですけど……」


「ふむ、それは良くありませんね。悟、少しよろしいですか?」


「はい、どうされましたか?」


片手で扇子を閉じた蒼は、そのまま悟に向けて来るように指示を出す。緩んでいた口元は少しだけ口角が上がっていたが、真面目な顔をして悟に耳打ちをする。何を話しているのか全く聞こえない春樹達。


耳打ちされた悟は「またそのような無茶を……いえ、何でもないですよ、えぇ」と呆れている姿だけは分かった。悟の表情は少しずつ変わっていき、眉を下げているのがここからでも見えたのだ。


「……では、よろしく頼みますよ、悟」


「はいはい、分かりましたよ」


渋々了解したようだった悟は師匠に対しての反応のようには見えなかった。後ろへ下がる前に一度頭を下げてから、そのまま背中を向けないように下がって行った。その直後、蒼は春樹の方へと向き直して目を細めるようにして微笑んだ。


「ありがとうございます。さて、春樹」


「はっはい!」


「今から貴方専用の装束を用意します。装束は本当は陰陽師だけが着ているので学舎で着ることはありませんが、仕方ありません。他の子供達は恐らく束帯そくたいを着てくるでしょう。ですが、気にする事はありません。胸を張って行って来なさい」


「……!ありがとうございます!」


思わぬ贈り物を受け取ることになった春樹。蒼の太っ腹な振る舞いに春樹の後ろにいた海斗も陽斗も「さっすが〜!」「太っ腹ですね」と各々囃し立てるように言っていた。そんなことを言われながらも変わらず微笑を浮かべている蒼。春樹はこれ以上ないほど彼に感謝していた。


「……では、海斗と陽斗はもう下がっても良いですよ。他に用事があるでしょう?」


「あー……そうでしたね。ほら、行くよ。陽斗」


「え?お、おう。じゃ、失礼しまーす」


何かを察したような海斗は直ぐに陽斗を連れて下がった。何やら意味深な言い方に疑問を覚えた春樹は頭を傾げて後ろの2人を一瞥した。襖が閉じる音がした後、軽く咳き込んだ蒼は「春樹」と改まったような声で注目することを促した。


「貴方に折り入って話があります。少し、よろしいですか?」


「は、はい……」


先程まで微笑んでいた蒼は細めていた目を元に戻し、真面目な顔をしていた。彼の顔を見た春樹は一瞬にして張り詰めた空気を感じ取って、気を引き締めるようにして背筋を正した。


「以前、お話をしたと思いますが、貴方の霊力の器は異常です。今の年齢でその霊力量を持っている人はまずいないでしょう。その為、貴方の力の使い方を間違えると何が起こるか分かりません。今後、学舎に通っている時に無闇矢鱈に見せないようにしてください」


「は、はい!」


「……それから」


「……?はい」



「どれだけ見下されても、腐ってはいけませんよ」



蒼が最後に発した言葉に春樹は何も言えなかった。


これから春樹が歩んで行くであろう道の話だったのだが、自分より更に険しい茨の道を進んで行くことは目に見えていた。だからと言って、蒼は止めるような素振りは一切見せることない。


出会った時に発していた春樹の言葉を忘れてはいなかったのだ。


ふわり、と暖かい風が二人の間を吹き抜けて行く。何枚も襖が続いているこの部屋の反対側には縁側となっており、外からの風がそのまま中へと入って行く。正確には吹き抜けることは無いのだが、柔らかくも少しだけ感じる冷たさの所為なのか、それとも蒼が放った一言に対してなのか、春樹は目を見開いた。


「……はい。もちろんです」


「良かったです。では、これからも勉学に励むのですよ」


「はい、失礼します」


春樹は自身の両手を畳の上に触れるように置き、頭を下げる。そして、海斗や陽斗と同じように立ち上がった後は背中を向けないようにそのまま下がった。音を立てないように襖を開けて、そろりと閉めた姿を見送った蒼。


その場には誰も居ないのを確認するかのように、大きく溜息を吐いた。彼の溜息と同時にまた春の陽気を知らせる風が桜の花びらを部屋の中へと運んで来た。


ふわり、ふわり。踊るように舞っている花びら達は蒼の目の前に止まるように落ちた。淡い薄紅色の花びらを見つめ、誰にも聞こえぬよう、小さく小さく彼は呟いたのだった。



「私で、良かったのでしょうか……」



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