第1章 約束

「ここが、報告のあった場所……」


何処と無く一年前の事件を思い出させるような場所だった。同じような山の中腹、周りには桜の木々があり、それに囲まれるようにして立っている。


浮世離れしている、とはこの事を言うのだろう。彼の住んでいる都市とは全く異なっている。それ程までに美しく、静かな場所だ。


蒼が乗っていた鳥は、着いて彼が降りた瞬間に消えてしまった。煙を立てるようにして消えた後、薄っぺらい式神が彼の元へと戻って来た。


「何処にもそのような姿は見えないのだが……」


周りを見渡すも、右も左も前も後ろも全て桜で覆われている。桜の花びらが風によって舞っているのだが、それは彼の視界を狭まるようになっていた。


「……だから、……と!」


遠くから聞こえてくるのは、少し高めの声。もしかして、あの子供だろうか。胸に期待を膨らませて桜の木の陰に隠れた。すると、獣道から誰かが歩いてくるのが見えた。1人…と言うより、1匹はどう見ても犬なのだが、流暢に人の言葉を喋っているのだ。その話に対して適当に相槌を打っているのはあの少年だった。


「あーはいはい。もう分かったって。しつこいよ、俺の母さんか」


「誰がお前の母さんだ!大体、あんな所で1人でいたら絶対に見つかるって言って

るだろ!?」


「分かった分かった。小言は後で聞くから……」


隣同士並んで歩いている彼等は兄弟、ではなく、親子のように話をしていた。少年は手に何かを持ちながらこちらへ向かっている。その姿は話に聞いていた通り、輝く金色の髪と深海のような青い目をしていた。蒼は自分の眼に映る不思議な光景をただただ見つめているばかりだった。


「ったく……人の話を聞けってあれ程……ん?誰かいるぞ」


「え?」


少し広くなっている場所に辿り着いた彼等は蒼の存在に気づいたようだ。先に気づいたのは犬のようで、後からその少年も同じように気づいた。しかし、蒼を見た少年はそのまま足を止めた。蒼はどうするか迷ったが、これ以上警戒されたら困ると思い姿を現すことにした。ゆっくりと、大きな物音を立てないように木の陰から出た。


「こんにちは、少年くん」


「……誰、あんた」


ひしひしと伝わって来る彼の霊力。まともな人間だったらこの霊力に耐えきれなくなり、嘔吐するか気を失ってしまうだろう。しかし、この場にいるのはその部類には当てはまらない。平然としている蒼は微笑んだ顔を崩さぬようにして、彼へと自己紹介をした。


「私は九条蒼。これでも陰陽師の上位に位置しているんだよ。君は確か……」


「……春樹。上の名前は、無い」


「そうですか、春樹ですか。良い名前ですね」


蒼は変わらぬ顔色で歩みを進めた。春樹とその隣にいる犬は警戒を全く解かず、一歩進む度に後ろへと下がる。犬は喉を唸らせ、春樹は眉間に皺を寄せたまま表情一つ変えない。桜の花びらが吹き荒れているその景色には似合わない両者の雰囲気は蒼の一言によって一変した。


「春樹、私の屋敷に来ませんか?」


「は?」


「貴方は、陰陽師になるべき存在です。だから、私の屋敷に来ませんか?」


彼等の予想の斜め上を行った言葉に何とも間抜けな声を出した春樹。犬も先程まで唸らせていた喉をピタリと止めてしまった。何と返事をすればいいのか分からなくなってしまった春樹の横で犬が気を取り戻したように話しかけた。


「は、春樹!こいつ、怪しいから付いて行ったら駄目だ!俺が許さん!」


「いや、分かってるけど……ねぇ、陰陽師さん。何で、俺を探していたの?」


「……おや、君を探していたのは知っていたのかい?」


「まぁね。彼や他の友達からも話を聞いていたから」


止める犬を横目に話しかける春樹。何を考えているのか分からない彼の表情は、蒼にとって興味深い以外何物でもなかった。そして、春樹が言った“友達”という言葉に引っ掛かりを覚えた蒼は質問をした。


「友達、ですか。僕にも、その友達を紹介してもらっても?」


「……そっか。陰陽師さんなら見えるよね。いいよ、見せてあげる」


少し考える素振りを見せた後、春樹は直ぐに地面に落ちていた桜の花びらを手に取った。そのまま軽く息を吹きかけ、小さな声で何かを呟いた。すると、ボンッと音がしたと思ったら煙が一気に出て来た。白いその煙の中から出て来たのは一匹の狐だった。


「ほう。これが、君のお友達?」


「うん。今までこの子達に助けられて来た。……で?陰陽師さん、俺に何を聞きたいの?」


白銀の毛色をした狐は春樹の足元に擦り寄っている。話をしながら抱きかかえ、慣れた手付きで撫で始めた。嬉しそうにしている狐は春樹の体にぴったりと引っ付いているのを見ると、かなり好かれているようだ。


「君には陰陽師になる才能があります。私の屋敷に来てください」


「今度は命令、ね……」


「そうですよ、これは命令です。君の力は、一国を傾けさせる物です。それを、放

置しておく訳にはいかないでしょう?」


「ふーん、俺にそんな力があるとは思えないけど……」


興味無さげに聞いている彼は目線を合わせることなく白銀の狐を撫で続ける春樹。何を考えているのか分からない蒼は話を続ける。


「ここで選んでください。陰陽師なるか、ここで私によって始末されるか」


究極の選択というのはこの事だろう。生きるか死ぬか、この選択を与えられているのにも関わらず、何処吹く風の春樹。ゆっくり撫でていた狐はボフンッと煙を立てて消えてしまった。一枚の花びらが風に吹かれて地面に落ちた。その一瞬は長いようで短く、沈黙が続いていた。そんな沈黙を破ったのは予想外の人物だった。


「別にいいんじゃねーか?」


「え?ちょっと、何言ってんの?」


「だから、此奴の話に乗ればいいんじゃねーの?って言ってんの!なぁ?陰陽師さん?」


予想外の人物と言うのは彼、春樹が連れていた犬だった。彼の発言に一番驚いていたのは春樹であり、蒼も目を見開いていた。彼は蒼がそんな顔をしているのを気付いている訳もなく、挑発するような目を向けていた。


「……そうですね。悪いことは全くと言ってないです。衣・食・住、全て保証しますよ?」


一瞬、何かを考える素振りをして腕組みをした蒼。しかし、直ぐに彼の話に乗って提案をし始めた。蒼の話は決して悪いものではない。むしろ、奴隷として生活して来た春樹にとっては魅力以外の何物でもない。


「ほら、悪い話じゃないだろう?」


「……まぁ、そうだけどさ。何か企んでない?」


「さぁね?ただ、俺もこんな山の中で野宿も飽きたんだよ!」


疑っている春樹は蒼の出した条件に納得しながらも、あまりにも勧めてくる彼を嫌そうな目で見つめていた。春樹の質問に答えた彼の意見はごもっとものようだったようで、小さく溜息をついた春樹は「分かったよ」と言った。


「あんた、強い陰陽師なんだろ?」


「まぁ、そこら辺にいる者たちよりかは強いと思いますよ」


余裕な笑みを浮かべている蒼は春樹の質問を否定しない。生意気な態度を取っている春樹にも何も言わずにいる。目を細めている彼の姿を見て、春樹は一つ深呼吸をして口を再度開いた。


「……なら、一つ条件がある」


「ほう、条件とは?」


「俺を、強くしてくれ」


「……」


春樹の条件を聞いた蒼は何も言葉を発しなかった。簡潔で明確な彼の条件を理解するのは容易かった。しかし、蒼が何も言わなかったのはその条件のこと、ではなかった。目の前にいる少年の目の奥深くにある物を見たからだった。


「何で、強くなりたいんですか?」


口を閉ざしたままであった蒼が発した言葉はそれだった。少しどもりながら言った声を聞いた春樹は一瞬下を向いた。言うか言わないかを迷っているように見えた春樹。合わせていた目の奥で感じた物は何だったのだろう、と蒼が考えていると、小さな声で話し始めた。


「……俺、去年の今頃に、大切な兄弟を亡くした。殺されたんだ。あの時、俺がもっと強ければ。もっと、後ろに気が付いていれば。俺が、代わりに死んでいれば。何度も、そう思ったんだ」


山の中腹にあるこの場所は風がよく通るようだ。その所為か、風の音が耳元で大きく鳴っているのが聞こえる。普通なら聞こえない彼の声は、痛々しい程小さな声だった。しかし、蒼の耳にしっかりと聞こえていた。彼の話に口に蒼は口を挟まずに黙ったままだった。


「ずっと考えてた。俺は、何で生き延びたんだろうって。何で生きているんだろうって。そこで分かったんだ。俺は、この国が大っ嫌いだから。だからこそ、俺がこの国を変えてやるって思った。それがきっと、俺に出来る唯一の償いだから」


実力社会と言われる今の世で、子供にこんな事を言わせている事を知っている役人が一体何人いるのだろうか。無邪気に笑っているだけの生活は遠い昔の話であり、異国の話だと思っている子供達がほとんどだ。目の前にいる齢二桁になるかどうかも分からない少年は、それを変えようとしている。この事実をなかったことに出来るのだろうか。


「……分かりました。誘ったのは私です。最後まで面倒は見ます。ですが、私の修行は厳しいですよ?」


蒼の組んだ腕は単衣の中に隠れて見えなかったのだが、腕組みを解いた後に中から扇子を取り出した。器用に片手で開いた彼は口元を隠し、彼を煽るように言った。


「そんなの、覚悟の上だっての」


何処か嬉しそうな顔をしている春樹は、口の端を上げて煽り返すようだった。すると、ふふっと笑った蒼は「では、今から移動しますよ」と言って袖の中から一枚の白く薄い紙を出した。中指と人差し指で挟んでいるその紙を勢いよく春樹の方へと飛ばし、ブツブツと呟いた。


「な、何だぁ?」


何をしているのか全く分かっていない犬の彼と春樹は見ているだけだった。呆然としている彼らを余所に蒼は左手に持っていた扇子を紙に向かって風を送った。ふわりと空に向かって舞い上がった紙はボフンッと煙を出した。直後、地面には大きな大きなあの赤い鳥が現れた。


「きょ、巨大な鳥!?」


「さぁ、乗ってください。これで私の屋敷に向かいますよ」


腰を抜かしそうな犬と間抜け面になっている春樹。彼らの反応を見た蒼は喉を鳴らすように笑っている。新鮮なその反応が嬉しかったのか、いつもとは違う笑顔だった。手慣れたように背中に乗る蒼は、反対側にいる春樹に手を差し出した。


「ほら。君の第二の人生は、ここから始まるんですよ」


見上げる春樹は眩しそうな顔をしている。蒼の後ろには太陽があり、光によって見にくくなっている。その光に反射するようにして輝きを放つ春樹の髪色は、異色の存在。蒼は少し躊躇っている春樹の手を強く掴んで引っ張り上げたのだった。


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