第19話 シュルマと過去との決別

 ワタリへとキオネの居場所を教えて、『招きハサミ亭』を後にしたシュルマ。

 帰路につきヴィルゴの跳ね橋の前までたどり着くと、雨の中、通りからクルマエビが凄い勢いでやって来た。


 私兵が槍を構え、シュルマも臨戦態勢をとる。

 しかしやって来たクルマエビは跳ね橋の前で止まり、御者が降りてシュルマへと一礼した。


「シュルマ様。

 郷がお会いになりたいと」


「あら。ちょうどこっちから連絡とろうと思っていたところだわ」


 御者に示されるがまま、シュルマはクルマエビに乗り込む。

 彼女を乗せると、クルマエビは静かに元来た通りを引き返して進み始めた。


 ヴィルゴから離れると、御者が籠の中のシュルマへと声をかける。

 

「シュルマ様。

 衣服と身体の確認をお願いします」


「どういうこと?

 身体目当てでの呼び出しってわけ?」


「いいえ。

 どうにも非常に小さなカニを使って偵察を行う能力者がいるようで。

 どこかに紛れ込んでいないか確認をお願いします」


「小さなカニ?」


 シュルマはローブのポケットをひっくり返す。

 中から出てきたのは1匹の小さなカニ。

 指でつまんでちょっと力を入れただけでそのカニは潰れて空気に溶ける。


 他にも居ないかと衣服の隅々を調べ、出てきたカニを潰す。

 全部で4匹。まだ居るかも知れない。だがこれ以上詳細に確かめる術はない。

 本気で探そうとすれば、カニの耳を持つ能力者の助けが必要だ。


「全部潰したわ」


 シュルマは御者をとりあえず安心させるようにそう言って、小さなカニの捜索を打ち切った。

 キオネの能力だろうが、厄介なカニだ。

 皮膚をつままれようと痛くもないだろうが、体内に侵入されたら対処する術がない。


 クルマエビは報告を受けて進路を変更し、デュック・ユルの北側から外へ出て、簡易舗装された道を進んでいく。

 どれくらい時間が経っただろうか。

 クルマエビは廃棄された教会の前に停まり、シュルマは御者から降りるように言われる。


「では、郷が中でお待ちですので」


「了解。――って、帰りはどうするのよ」


 動き始めたクルマエビに対してシュルマは声を投げたが、御者がその質問に答えることはなかった。

 雨の中、街から離れた廃教会の前に放り出された。

 シュルマは不安を覚えつつも、教会へ向かう。


 厳密に言えばここは教会ではない。

 カーニ帝国で認められたカニ教の宗派は、アウストラリスとボレアリスの2つだけ。

 この教会は異端とされるイビカ教のもので、イビカ戦争と呼ばれる異端者追放戦争によって廃された。


 人の寄りつかない元異端の教会。

 重厚な造りの扉を開き中へ入ると、窓が破れ雨風が入り込んでくる室内は、松明の明かりに照らされていた。


 元礼拝堂――いや、今でも礼拝堂だ。

 大きな広間の奥には、2つのハサミに足は6本。腹部が左右非対称の形をしたカニの像が奉られている。

 イビカ教徒の信仰のシンボル。本来ならばあってはならない異端の像だ。


 その像の元で祈りを捧げていたのは、ローブを纏い顔を隠した男。

 彼はシュルマが礼拝堂に入ると、ゆっくりと振り返った。


「来たか」


「そりゃ迎えに来られたら来るわよ。

 ま、あたしとしてもこの仕事辞めることにしたって伝えたかったからちょうど良かったわ」


 軽い口調でシュルマが言うと、ローブの男は低い声色で述べる。


「ロイトが死んだ。

 そして殺すように依頼した人間がまだ生きている。

 何故仕事をしない。

 我々は早急の対応を望んでいる。シュルマよ。為すべきことを為せ」


 ローブの男の指示に対してシュルマは首を横に振った。


「悪いけど、あたしはタダ働きしない。

 ロイトが死んだなら誰があたしに報酬を支払うのよ」


「報酬はロイトに支払い済みだ。

 だが死んだロイトはその金を持っていなかった。

 誰かがロイトを殺し、金を奪い取った」


「あたしを疑ってる?

 ロイトの死体に凍傷でもあった?」


「ロイトの死因は今のところ不明だ。

 だがこちらは金を支払った。ロイトは仕事を引き受けた。そして実行はお前に委ねられた。

 受けた仕事は最後まで完遂すべきだ」


 全く融通の利かない言葉。

 シュルマはまともに取り合うつもりはないと突っ返す。


「ロイトが死んだ以上あたしとロイトの間で交わされた契約は無効よ。

 前金を返せというならロイトの墓前に供えておく。

 最初に言ったけどあたしはこの仕事を辞めることにしたの。

 タダ働きはもちろん、再契約もするつもりない。

 どうしても今すぐ殺したいならご自分でどうぞ」


 ローブの男は顔色一つ変えることなく応じた。


「切り札というのは最後までとっておくものだ。

 始祖の器たる我が力を使うわけにはいかない」


 男はそこで言葉を句切り、一呼吸おいてから問いかけた。


「これが最後の機会だ。

 本当に仕事をやり遂げる気はないのか?」


 最後と言われてもシュルマの答えは変わらない。

 辟易としながら、彼女は言い切った。


「言った通りよ。

 あたしはもうあんたの仕事は受けない」


 ローブの男は「そうか」と小さく呟く。

 そして彼は身につけていたローブを脱いで床に落とした。


 シュルマも彼の顔を見るのは初めてだった。

 後ろで束ねた灰色の髪。鳶色の瞳。

 顔立ちは声から受ける印象よりも若く見えた。しかし鳶色の瞳はどこまでも冷たく鋭い。

 そして彼は明確にシュルマへ対して敵意を向けて、魔力を練った。


 灰色の魔力が渦を巻き、周囲の松明の明かりすらその魔力に呼応して燃え上がる。

 その魔力を前にしてシュルマは一歩後ずさった。

 

 圧倒的な魔力量。

 しかもその魔力からは不穏な気配を感じる。

 言葉では説明できない。

 だが確実に異質。普通のカニ魔力とは根本から異なる雰囲気と、禍々しい、身を刺すような圧力。


「切り札は最後までとっておくもの。

 我が力を行使するのは、裏切り者の始末のみ。

 光栄に思うが良い。

 娼婦風情が始祖の器の片鱗に触れることが出来るのだ」


 潰されてしまいそうな魔力の圧。

 それを受けてもシュルマは逃げ出さない。

 後ろに下げた足を、逆に一歩前に踏み出し、右手を前に突き出した。

 赤々とした、甲殻をトゲに覆われたカニ。チルドが3匹召還される。


 資金は十分に集まった。

 これからは娼婦のシュルマではなく、別の1人の市民として生きていくのだ。

 そのためには過去と決別しなければならない。

 イビカ教徒の手先になって悪事に手を染めるのはもう終わりだ。

 彼らがそれを許さないというのなら、自分の力で自由を勝ち取らなければならない。


「ヴィルヘルム・チェペル。

 そっちがその気なら、あたしも自分を守るために戦うわよ。

 金払いが良いから付き合ってやってたけど、イビカの暗黒郷がでかい顔出来るのもこれまでよ」


 右腕を振り上げる。

 腕に乗っていた2匹のチルドが飛び跳ね、残りの1匹はシュルマによって掴まれる。

 容赦なく投擲。

 勢いよく投げつけられたチルドは身体を震わせ、その軌跡に氷の道を作る。


 水分はもとより、空気そのものを固定化した絶対零度の氷。

 その道の上を残った2匹のチルドが滑り、ヴィルヘルムの元へ。


 先頭のチルドへ向けてヴィルヘルムはカニ化したハサミを振るう。

 ハサミの全長は2メートル。大した能力ではない。


 チルドは身体をいっぱいに震わせ周囲から熱を奪い取る。

 空間が凍り付き、巨大な氷壁となって攻撃を防ぐ。

 同時に回り込んだ2匹がハサミへと取り付こうとする。


「無駄だ」


 左のハサミが2匹目のチルドへ。氷壁が精製され攻撃を受け止める。

 その隙に3匹目のチルドが右のハサミに取り付いた。


「終わりよ」


 熱を奪い取る必殺の一撃。

 直接取り付いて吸熱してしまえば、何もかも凍り付くだけだ。


「無駄だと言ったぞ」


 必殺の一撃のはずだった。

 そのはずなのに、ヴィルヘルムは右のハサミを引き抜き、氷壁から前に出ようとした1体目のチルドへ向けて攻撃を繰り出す。


「なっ――」


 寸前で回避行動をとるチルド。

 氷壁によって攻撃を逸らすも、足が1本もぎ取られた。


 ダメージを受けながらもチルドは反撃。

 一瞬にして膨大な熱量を奪い取るが、ヴィルヘルムはハサミを引き抜き襲いかかる別のチルド迎撃のため繰り出す。


「甲殻を外した――違う。脱皮させてる」


「そうだ。

 無限に再生するこの外皮の前に、吸熱など無力だ」


「なら魔力が尽きるまで攻め続けるまでよ」


 チルドによる連続攻撃。

 氷壁によって攻撃を防ぎ、ハサミに取り付くと熱を奪う。

 だがいくら冷やしても冷やしても、ヴィルヘルムは何食わぬ顔でハサミを脱皮させ、次の攻撃・防御へと転じていく。


 室内の熱が奪われ続け、空気中の水分が凍り始めた。

 霧氷が散り、壁や床は白く凍り付く。

 それでもシュルマの攻撃はヴィルヘルムの脱皮の盾を貫けない。


 灰色に渦巻く魔力は未だ健在で陰りを見せない。

 無尽蔵かと思うほどに底知れぬ、溢れ続ける魔力。


 それだけではない。

 吸熱を受けた瞬間、カニ化を強制解除し肉体のダメージを抑えることなら誰でも出来る。

 しかしそれは強制解除した甲殻の分、魔力を失うことを意味する。

 

 だがヴィルヘルムの能力は違う。

 脱皮の寸前、外皮は魔力を内側の甲殻に送っている。

 残されるのは魔力の吸い上げられた外皮だけ。

 魔力の損失はほぼない上、内側は空気の層と新しい甲殻によって吸熱から守られる。


 対してシュルマは、チルドが熱を吸い取れば吸い取るほど魔力を失う。

 加えて、吸い取った熱に応じて体温が上昇していく。

 魔力を使って体温上昇を抑えているが、いつまでも耐えられるものではない。


「だったら本体を攻める!」


 部分カニ化能力者の弱点。

 カニ化できない本体へと標的を定める。

 2匹のチルドでハサミの攻撃を防ぎ、1匹は空気を凍らせて道を作りヴィルヘルムの頭上へ。

 チルドが足を広げて身体を震わせると、凍った空気が氷柱となってヴィルヘルムへと降り注いだ。


 ヴィルヘルムは両のハサミを振るい、チルドの突撃を防ぎながら氷柱をたたき落とす。

 脱皮能力だけではない。

 ハサミ単体の攻撃力も高く、即席の氷柱は全て防がれた。


 それでもシュルマは手数で攻め続ける。

 ヴィルヘルムのハサミは2本。チルドは3匹。

 再生可能なハサミの防御を掻い潜り、本体へと攻撃を加えない限り勝機はない。


 ヴィルヘルムは防戦一方だ。

 だが優位なのは明らかにヴィルヘルムだった。

 シュルマは体温上昇が抑えきれなくなり、血が沸騰するように熱く感じ、その場に膝をつく。


「これでっ、決める!!」


 シュルマは魔力を解放。

 ヴィルヘルムの頭上に居るチルドへ吸熱させ、巨大な氷塊を精製させる。

 それは自重落下によってヴィルヘルムへと真っ直ぐに落下した。


「これが全力か?」


 灰色の魔力が湧き上がり、ヴィルヘルムの右のハサミが巨大化。

 威力を増したハサミの一撃は、巨大な氷塊すら真っ二つに叩き割った。

 これまで彼は氷ごと叩き割る実力を持っていたにも関わらず、手加減して戦っていたのだ。


 そしてそれはシュルマの魔力を消費させ、異常なまでの体温上昇を引き起こした。

 膝も立たなくなったシュルマは床に這いつくばり、必死にもがいてヴィルヘルムから離れようと、礼拝堂の出口を目指した。

 

「娼婦にふさわしい無様な姿だ。

 切り札というのは最後までとっておくものだと言っただろう。

 貴様の冷やすことしかできない欠陥能力など、始祖の器の前には無力なのだよ」


 ヴィルヘルムは吸熱を停止したチルドを葬ると、氷に覆われた道をハサミで切り開いてシュルマの方へと距離を詰めていく。


 シュルマは身体の熱さを歯を食いしばって耐え、すがるように礼拝堂の出口まで進んだ。

 だが身体はもう立ち上がる力もない。重厚な扉は、残された力ではぴくりとも動かなかった。

 

 一体どれだけ吸熱しただろうか。

 考えようとするが、熱を持った頭ではろくに思考も出来ない。


「これまで仕事を務めた礼だ。

 最後に言い残したいことがあれば1つだけ聞いてやろう」


 凍り付いた礼拝堂をゆっくりと進むヴィルヘルムが告げた。

 シュルマはそれに応じるように、彼の方へと視線を向け、ろれつの回らない口をなんとか動かして言った。


「……あたしの、能力は、冷やすことじゃない」


 ヴィルヘルムは足を止め「ほう」と相づちを打つ。

 それに答えるように、シュルマは言い放った。


「――熱量操作よ」


 瞬間、シュルマは最後の力を振り絞って身体を転がす。

 扉の隙間へと顔を押しつけ、息を止め、目をつぶって鼻と耳を塞ぐ。


 ヴィルヘルムの顔の横。

 氷塊から、1匹のカニが姿を見せた。

 チルドよりも更に赤々とした色味の、甲殻をトゲに覆われたカニ。

 ヴィルヘルムも事態を把握したが、攻撃も待避も間に合わない。


 ――ボイル!!


 シュルマは貯まっていた熱を解放。

 熱量は保存される。

 チルド達が吸い取った分の熱が、ボイルの身体から一瞬にして解き放たれた。


 それは空気を焼き、閃光と化し、小太陽となってヴィルヘルムへと襲いかかった。

 熱によって水分が蒸発。空気は膨張し、爆風となって礼拝堂を内側から破壊し尽くす。


 火球は一瞬にして消え失せたが暴風はしばらく続く。

 その風が止むのを待ってから、シュルマは耳と鼻を塞いでいた手を離し、ゆっくりと目を開く。


 上がっていた体温が放熱によって元に戻り、急激な冷えから身体が震える。

 五体満足であることを確認。息を大きく吸って、それから吐き出す。呼吸も出来る。


 朦朧とする意識の中で立ち上がり、ヴィルヘルムの姿を探す。

 と言っても至近距離であれだけの熱量を叩き込まれれば、普通原型も残らない。


「って人の形してる。

 ホント、恐ろしい能力だったわ」


 ヴィルヘルムは身体を焼かれ炭化させながらも、人の形を保って床に倒れていた。

 だが所詮は部分カニ化能力者。

 カニ化したハサミ以外は普通の人間でしかない。

 シュルマは彼の肺が破裂しているのを確かめて、ようやく一息つくと言ってのけた。


「切り札ってのは最後の最後までとっておくものよ」


          ◇    ◇    ◇


 雨は止んでいたものの、ぬかるむ道。

 それをシュルマは今にも倒れそうな体調で歩き続け、朝方になってようやくデュック・ユルの娼館、ヴィルゴにたどり着いた。


 過去との因縁は断ち切った。

 お金も用意できた。

 後は自分を縛り付けてきた足枷を外して、新しい一歩を踏み出すだけ。


 死ぬほど体調が悪くても、そんなこと気にならないくらいに気分が良かった。

 自室に入ると、キオネから受け取った革袋を取り出す。

 しっかり40枚金貨が入っていることを確認。1枚1枚本物かどうかも確かめた。


 これを旅行カバンの最後の隙間に埋め込めば、自分は解放されるのだ。

 シュルマは早速、旅行カバンを取り出そうとベッドの下を覗き――


「無い」


 旅行カバンが無い。

 事実を把握した後、思い浮かんだのは「何故」とか「何処へ」とかではなく、「キオネ」だった。


「あんのクソ女!!」


 シュルマは自室から飛び出し、『招きハサミ亭』へと向かった。


          ◇    ◇    ◇


 長期で借りていた宿だが、キオネが「この街でやることは終わったから出発する」と言うので、朝から次の目的地へと向かうべく街の入り口のクルマエビ発着場へ向かった。


 行き先はオルテキア領。

 詳しくは言わないが、キオネが本当はオルテキア辺境伯の娘ということなので、実家に当たるのだろう。


 クルマエビの御者とはキオネが直接交渉し、籠つきのクルマエビを貸しきりで契約した。

 結構お金を積んだようで御者はほくほくとした顔をしている。


「キオネ!!!!」


 通りの方から声。

 それに対してキオネはため息をつく。

 声の方向を見ると、シュルマが血相を変えて、凄い勢いで走ってきていた。

 死にそうなくらい顔色が悪く、足下は泥だらけで汚れている。

 とても娼館で見た面影はない。


「一体何したんだ?」


 キオネへと問いかける。

 彼女は荷物として積んでいた、小さなカバンを持ち上げて見せた。

 それが何なのか。シュルマの顔を見れば分かる。


「それは盗んだらいけないものだと思う」


「死ぬだろうと思ったから回収してたのよ」


 キオネは平然と言ってのけて、カバンを持って籠から降りるとシュルマの方へと向き直る。


「生きてたの」


「あたしがあんな奴に殺されるわけないでしょ!

 返しなさいよ!」


「返すわよ。うるさい女ね」


 キオネは旅行カバンを突き出した。

 シュルマはそれをひったくるように受け取って、足首に手を――


「鍵!!」


「本当に騒がしい女だわ」


 キオネは言われるがまま手にしていた鍵を差し出した。

 その鍵でシュルマはカバンを開けて中身を検める。

 カバンにはいっぱいの金貨が積まれていた。

 1カ所だけ金貨の入っていない隙間があったが、他は全て金貨で埋まり、上面は綺麗に整っていた。


「ま、娼婦にしては良い仕事ぶりだったわ」


「あんたに認められても嬉しくない」


 シュルマはキオネに対して敵意むき出して、キオネもそれで結構と鼻で笑って返す。


 自分も旅立ち前にシュルマへとお礼を言っておこうと、籠から降りた。


「シュルマ、キオネのこと教えてくれてありがとう。

 あと相談にも乗ってくれて。

 お店、上手くいくと良いな。いつかきっと見に行くよ」


「ええ、そうしてちょうだい。

 それとその女、相当ひねくれた性格してるからくれぐれも油断しないように」


「それは分かってる。上手くやるよ」


 その言葉にキオネは一瞬だけ眉をひそめて見せたが、聞こえなかったふりをして流してくれた。

 シュルマへと別れを告げ、籠に乗り込む。

 出立間際、キオネは懐から金貨を取り出すと、籠から顔を出してシュルマへと投げ渡す。


「開店祝いよ。

 とっときなさい」


 シュルマは片手で金貨を受け取り、それが本物であるのを確認すると、こちらへと手を振って送り出してくれた。

 クルマエビはデュック・ユルを後にして、東へと向かっていく。


「キオネ優しいね。

 開店祝いをあげるなんて」


「良い仕事には対価が必要よ。

 あいつのおかげでローブの男も始末できたし」


「えっ!? そうなの!?

 聞いてなかったんだけど」


「これから説明するわ」


 デュック・ユルからオルテキア領へ。

 時間はたっぷりある。

 キオネは例のローブの男について、知っていることを説明してくれた。


          ◇    ◇    ◇


 カバンを取り返して自室に戻ったシュルマ。

 呼吸を整えて、ベッドの上でカバンを開く。


 1カ所だけ金貨のない旅行カバン。

 革袋には40枚の金貨、プラス1枚。


 アクシデントはあったが必要なものは全てそろった。

 シュルマはカバンからキオネの召還したカニが逃げ出していくのも気にすることなく、最後の隙間へと金貨を落としていく。


 音を立てて金貨が落ちるたびに数を数える。

 どれだけ夢見ただろうか。この旅行カバンが金貨でいっぱいになる姿。

 それを今日、これから拝めるのだ。


 だが、35を数えたところで違和感を感じる。

 その違和感は38を数えたところで確信に変わった。


 39。

 空だった隙間に39枚の金貨を積んだ。

 1段40枚だったはずなのに、それで金貨の上面が揃ってしまった。


 40枚目。

 当然、その1枚だけが浮いた形となる。


 何故? どうして? 何があった?

 ほんの少し頭を使えば簡単な話だった。

 キオネだ。

 彼女はあろうことか、旅行カバンに入っていた金貨を、全面から1枚ずつ抜き取ったのだ。


 シュルマは数も数えず、上面が綺麗に揃っているのを見て40枚積まれた金貨が並んでいるものだと判断してしまった。

 よくよく見れば39枚しか積まれていない山は、旅行カバンとの間に隙間がある。

 注意していれば防げたミスだ。


「あんのクソ女あああああ!!!!」


 シュルマの声は、朝方のヴィルゴにただただ虚しく木霊した。

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