第10話 選帝侯令嬢と帝国騎士③

「こそ泥風情に負けるとは。

 本当に君は騎士なのだろうね」


「申し訳ございません」


 叱責するローブの男に対して、オピリオは頭を下げて陳謝した。

 ローブの男は続ける。


「君の不甲斐ない姿を見たら、我らが盟主はどう思うか――」


「埋め合わせは必ず!

 ですから盟主殿にはこの件についてご内密に――」


 オピリオは慌てて、怯えたように言う。

 その様子を見てローブの男は1つ鼻を鳴らしてから告げた。


「後始末は自分でつけることだ。

 この段階でカルキノス家に我らの存在を感づかれると今後の計画に支障が出る。

 あの小娘は始末しろ。

 だがあやつは強力な防御能力を持つ。

 街に逃げられたら厄介だ。

 静かに、確実にことをなすのだ」


 ローブの男は右腕を前に出す。

 オピリオが応じるように手を差し出すと、その手の上に小瓶が置かれた。


「水に良く溶け、味も色も匂いも変わらない毒薬だ。

 メレフ氏が制作した特製品だ。効き目も保証しよう。

 いくら甲殻化の能力が優れていても、身体の内側から毒に侵されれば抵抗も出来まい」


「はっ!

 確実に始末をつけます」


「当然だ。

 製造拠点の移動準備も進めるように。

 あの小娘に仲間が居た。完全カニ化能力を持つ若い男だ。

 奴がカルキノス家に連絡するやも、直接乗り込んでくるやも知れん」


「かしこまりました。

 全て郷の仰せのままに」


 もう一度オピリオは深く頭を下げる。

 ローブの男は用事は済んだと、身を翻して足早に修道院から出て行った。


          ◇    ◇    ◇


 テグミンは修道院内の礼拝堂で、聖書を広げていた。

 聖書の内容をじっと見つめる。

 装飾の施され、鮮やかな挿絵が描かれたページ。

 カニ様が命を落とし、残された人類へと訓告を与える章だ。

 人々は杯を掲げて流れ出るカニ様の血液を受け止め、カニ様の最後の言葉に耳を傾ける。そんなシーンだ。


 注目しているのは2つの文。

 1つは『人々の掲げた杯にカニ様の血が流れ落ちた』。

 もう1つは『悪徳は心の隙間に芽生える』。

 一体どういうことだろうと、テグミンは2つの文を見つめて思案するのであった。

 

「お嬢様、食事の準備が出来ました」


 礼拝堂にやって来たオピリオが声をかける。

 テグミンは返事をしつつも、どうしても聖書が気になってしまった。

 そのまま動かないで居ると、再びオピリオが声を投げる。


「お嬢様?

 後になさいますか?」


「あ、いえ、行きます」


 テグミンは立ち上がり、オピリオの後に続いて食堂へと向かう。


「違法薬物の調査については準備を進めています。

 明朝より一気に街中の調査にとりかかります。結果は直ぐに出るでしょう」


「ええ。そうあることを願っています。

 市外の調査はどうなさいますか?」


「範囲が広いので順を追って行くしかないでしょう」


「そうですね。では明日はわたくしも市中の見回りに出ます」


「そうしてくださると、衛兵達の士気も上がります」


 明日の調査について話を終えると、食堂に入りテグミンは示された席に座った。

 同席するのは騎士であるオピリオだけだ。

 エリオチェアで雇って連れてきたのであろう従者が料理を並べていき、準備が整うと2人は食前の祈りを捧げる。


「では頂きましょうか」


「どうぞお先に食べてください」


 テグミンは祈りを捧げるのに開いた聖書を見つめて、食事に手をつけようとしなかった。

 やはりどうしても例の2つの文が気になってしまう。


 『人々の掲げた杯にカニ様の血が流れ落ちた』。

 『悪徳は心の隙間に芽生える』


 これが何を意味するのだろうか?

 どうしてこの文が示されたのか。

 食事を前にしても、テグミンはそればかりが気になって仕方が無かった。


「熱心にお祈りですね」


 オピリオが声を投げる。

 それでテグミンは自分が食事に手をつけないばかりに、オピリオまで食事を前にお預けを食らっている事実に気がついた。

 いくら「先に食べて」と言われても、選帝侯令嬢より先に帝国騎士が食事に手をつけるわけには行かないのだ。


「ごめんなさい。

 食事の時間ですから、食事に集中すべきですね」


 テグミンは慌てて聖書を閉じると、食前の飲料が入ったグラスを手に取る。

 果物を絞ったジュースだ。それはテグミンの好みの飲料で、オピリオが選んでくれたのだろうと気遣いを感じる。


 グラスをゆっくり口へと運ぶ。

 しかしその途中で、聖書の例の文が脳裏に瞬いた。


 ――文ではなく単語を示していたのでは?


 閃きが、文の中からそれぞれ単語を抜き出す。

 『杯』。そして『悪徳』。


 テグミンは手にしたグラスを、ゆっくりと盆の上に戻した。


「ごめんなさい。

 どうしても聖書の解釈が気になってしまって。

 食事は部屋でとります」


「信心深いことは良きことでしょう。

 3階の部屋を用意してあります」


 オピリオが従者に合図を出す。

 従者の女はお盆を持つと、テグミンを部屋へと案内した。

 修道院の3階奥。

 大きなベッドに洗面台、浴槽まで備えられた部屋へとテグミンは入る。


 従者が食事を机の上に置き、別の従者が食事へと覆いをかぶせる。

 テグミンは彼女たちにお礼を述べると、1人にして欲しいと聖書を開いてそれを食い入るように見つめた。


 従者達が出て行き1人になると、テグミンは身体を震わせ、誰にいうでもなく呟いた。


「わたくしは、誰を信じたら良いのですか」

 

          ◇    ◇    ◇


 オピリオは食事も半ばに、食堂を飛び出すと修道院の裏口へと向かう。

 この場所はテグミンの居る3階の部屋から死角になる。


 既に夜は近い。

 夕闇の中から、ローブを着た男が姿を現した。


「始末はついたのか」


「いいえ。食事は部屋で済ませると」


「気づかれたのか?」


 怪訝そうにオピリオを睨むローブの男。

 だがオピリオはそれを否定した。


「彼女の能力で感知できるのはカニだけです。

 毒に気づくことはないはず。

 ただ、聖書の解釈が気になると言い出しまして」


「面倒な貴族だ。

 逃げられたりしないだろうな」


「入り口には衛兵を。

 窓は鉄格子付きで外へは出られません」


「だと良いがな。

 夜のうちに製造拠点の移動準備を済ませる。

 貴様は衛兵どもを集めてこい」


「はっ。仰せのままに」


 ローブの男は連れてきていた傭兵へと修道院の守りを任せると、オピリオと共に修道院を離れ夕闇の中へと消えていった。


          ◇    ◇    ◇


 テグミンは料理の前に立ちそれを見つめる。

 一体誰を信じれば良いのか。

 頭は混乱し、何が正しいのか分からなくなってしまった。


 混濁した思考を整理し、順番に物事を考えていく。

 

 オピリオは幼少の頃よりの付き合いだ。

 帝国騎士で、カルキノス家と皇帝を繋ぐ連絡役として、多くの人から信頼を寄せられている。

 テグミンも彼のことは兄のように慕っている。


 対してもう片方は、あろうことか自分の荷物を盗んで売り払った泥棒だ。

 生きるためにお金が必要なのは理解できる。

 されどその後、1人になってしまった自分の旅を手助けした理由は分からない。

 彼女が嘘を言っている可能性は十分にあるし、信頼に値する人物かと問われても、昔はともかく今ではさっぱり分からない。


 だけれど直ぐに答えを出さなければいけない。

 テグミンはパンを手に取ると小さくちぎって皿に盛った。

 そしてグラスを手に持ち、ゆっくりとパン屑に飲み物を注ぐ。

 パンがしっかりと果汁を吸い込んだのを確認して窓を開ける。


 既に日が沈みつつあり、夕闇が広がっていた。

 だけれどまだ夜ではない。

 テグミンはすがるような思いで、パンの乗った皿を窓と鉄格子の間に置いて、自身は窓から離れる。


 緊張のあまり心臓が高鳴る。

 カニ様に祈りを捧げ、ただじっと待つ。


 しばらくして、太陽の光の最後の一筋が山辺へと消え入るかと言うとき、1尾のエビが空を飛んでやって来て、鉄格子をすり抜けて皿に乗った。


 テグミンは息を殺す。

 じっと見つめる先では、エビは警戒しているのか直ぐにはパンに手をつけない。

 それでも待つ。動かずにただただ待つ。


 何も起きなかったことにエビは警戒を解いた。

 パン屑を小さなハサミで引っ張り、そこに罠がないことを確認すると、ついに口へと運んだ。


(――食べた)


 一体どうなる――。

 テグミンの見つめる先で、パンを食べたエビが突如泡を吹き始めた。

 そして文字通り海老反りになって苦しむように暴れ回った。やがて体中を真っ赤に染めると、白煙を吹き出し絶命した。


「毒――」


 テグミンは確信した。

 『杯』に『悪徳』。

 誰かが自分の食事に毒を仕込んでいた。


 ――信じて良いのですか?


 テグミンは食事を机の端に寄せると、聖書を広げる。

 彼女の能力で何処まで出来るのかは分からない。

 でも僅かであろうと、情報を集めなければこの修道院で死ぬことになる。


「わたくしはこれからどうすべきですか?

 教えてください、キオネさん」

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