第2商品開発部事務員ですが、一身上の都合により魔法少女に復職させていただきます。

ギギ

プ、プロローグ…

朝倉仁美は、最低の気分で家路についていた。


申し訳程度に並ぶ寂し気な街灯は、

まさしく今の自分にふさわしいと思えた。


田んぼの中で楽し気にがあがあと合唱するカエルたちですら、

今の自分から見れば嫉妬の対象にさえ昇格していた。


蒸し暑く、べっとりとした空気。日本の不快な夏。

そんな不快な中を、数えるほどしか袖を通していない

値段だけは印象的なフォーマルに身を包んでいるのだ。

今の自分には、この世界など無価値に思えてしまう。


最低の気分の理由は、一言では言い表せられない。

それは積み重ねた人生の重みと同等であるからだ。


人生。そう、36年という人生だ。


最低な気分は、幸せという感情とは対岸に存在する。

そう、不幸を感じているのだ。


女の幸せ、という言葉は嫌いだった。

そこにはどことなく、見下されたような、

押し付けられたようなニュアンスが含まれていると感じていた。


だがそう、おそらく……おそらくではあるのだが。


30歳を超える前には結婚し、女の幸せをつかむ、

といった感じの人生が日本社会の平均的な女性だったと思う。

いや、せめて35とか。


少なくとも、自分が子供のころには、

大人になると何の疑問もなく結婚しているのだと思っていた。


普通に愛する人ができて、普通に付き合い、

普通に結婚し、普通に子供を産み……


普通の幸せ、とかいうやつだ。


だが普通のボーダーラインは、どうやら遥か頭上にあったようだ。


30歳の誕生日を誰からも祝われることなく、

しょうもないサービス残業をしつつ

気に入らないクソ上司のお茶くみで終わらせてしまったときから、

気分は最低記録を更新し続けている。


昨日もそうだった。


特に残業する必要もないだろうに、ダラダラと会社に残る連中の

無言の同調圧力により、サービス残業をする羽目になっていた。


だが、それはまだいい。

まだ、いいのだ。


仕事は慣れるもの。

お金を得るためには仕方がない。


今日、【最低の気分】を大きく記録更新したことには理由がある。


普通であれば幸せな気分になるはずのイベントなのだ。

だが前述した朝倉仁美の状況が、全てをマイナスに変えた。


同僚の……結婚。


しかも、後輩で年下。


さらに社内恋愛の末の円満退職つきときたもんだ!


なぜ! この私が!

あの媚びきった雌猫の!!

結婚祝いを!! 3万円も包まなければならないのか!!


披露宴で、朝倉仁美には笑顔のペルソナが張り付いていた。

それは彼女のプライドの一つであり、

これからの社会を生きる処世術でもあった。


奴らのラブラブっぷりを笑顔で、拍手をささげるのだ。


結婚式の間は、それでもまだマシだったかもしれない。

嫉妬という醜い感情が、現実を忘れさせてくれていた。


だが……人生の中で最低の気分で、

最寄りの駅から自宅までを歩いている、

一人ぼっちの自分。


帰ったところで、待っているのは

誰もいない築28年のアパート。

あら、私より若いのね、うふふ。ってか。クソったれ。


冷蔵庫の中には、昨日作った残り物の鍋物。

おじやにするしかない、鍋物。

夏場だから傷んでやしないかと気が気でならない。


それを比べると、あの新郎新婦のなんと輝かしいことか。

今頃、結婚式の感想でも語り合っているのだろうか。

未来の話に花を咲かせているのだろうか。

子供は何人? 家は新築? ペットは白い犬がいいなぁー、庭も芝生にしてぇー、うふふー。


ドグサレがっ!


右手に持つ引き出物の紙袋が、ひどく重く感じる。

紅白うどんなのが不幸中の幸いだ。

鍋物に突っ込めば、おいしい晩御飯になることだろう。


月明かりに照らされる、見慣れた家路が物悲しい。

なんという物悲しき田舎道か。


こんなときは、29歳の夜に、友達に言われたセリフを思い出す。


『仁美ちゃんは独身でいいなぁ~。

毎日自由なんでしょ?

私はダンナや子供の相手ばっかりで疲れちゃうよ~』


ちくしょう。代わるか?

あ?

今の私と代わってみるか? 今すぐか? ああコラ?


酔っていた仁美がそのような暴言を吐いて友人の胸倉をつかんだとしても、

それを責められる者がいるのだろうか。

結婚している者だけが彼女に石を投げなさい。


というわけで。


友達すらいなくなりましたとさ。


「ううぅ……」


いや、わかっている。

彼女がああいうセリフを言ったのは、

嫌味でも何でもないのだ。


同情。


あまりにも悲惨な私を、少しでも元気づけるための

無責任な慰めなのだ。

誰からでも長所を見出すのが彼女の長所なのだから。


わかってはいるが、その上から目線が我慢ならない。


ああ、こういうプライドが最初から無ければ、

今日の晩御飯は紅白うどん(残り物の鍋仕上げ)ではなく

ラブラブ愛情ファミリーご飯だったのかもしれないのに。


ご先祖様、ごめんなさい。

朝倉家は一人娘の私が末代となるようです。


「ふぅ……」


こういうしょうもない回想をしては、

さらに気分が落ち込み、憂鬱な休日を送る。


こんな生活をして、何年になるのだろうか。

もう忘れた。

一人の時間の方が長くなりつつあった。

そうですね36歳ですもんねうふふ。

2で割れば18歳ですねうふふ。


昔はよかったなぁ……

なんて思う、負け組OLの夜。


猫でも飼うか。


いや、でも後戻りできないっていうしなー。

後戻りする場所ももうないけどー。

あ、やっぱやめとこ。

猫はアレを思い出す。悪夢のようなふざけた記憶……


と。


目の前の空間が、手のひらサイズで歪んだ。


「え……?」


そこがぱっくりと割れ、ピンクのような黄色のような

わけのわからない色をした光とともに

ポンッと小動物が飛び出してきた。


「ぷはーっ! やっとこっちに出てこれたッポ!」


なお、その猫のような小動物は、当たり前のように喋った。


「…………」


だが、朝倉仁美はさして驚いていなかった。

少しだけ驚いたとすれば、

よりによって、このタイミングで

懐かしい奴と再会したなぁ、という程度か。


「……カポ?」


「ヒトミ! ヒトミだ! ひっさしぶりッポ!」


この微妙にウザい語尾は、まごうことなきカポだ。


そう、朝倉仁美は覚えている。

かつて自分が、この不思議生物と共に

世界を滅ぼそうとする大魔王と戦っていたことを……。

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