8.重なる記憶
「何か二人で話してたんですか?」
俺たちの側に歩み寄ってきた朝比奈さんが不思議そうな顔でそう訊いてきた。
まぁ確かに、親しい訳でもない二人が同じくらいのタイミングで教室を出て行き、また戻ってきたらそう思うだろう。
だけど寂しそうとか決してそういう様子ではない。単に興味津々。そんな目をしてる。
「あっ、えっとね、自販機の場所教えてもらってたんだ。ホラ、この学校結構広いじゃん? この辺の教室そんなに来たことないし……あ〜つってもあんま飲みたいのなかったから結局買わなかったんだけどね」
鋭い視線を横から感じた。
岸さん、目が笑ってないよ。
心の声が聞こえなくても話を合わせてほしいことくらいはわかる。俺もとりあえずうんと頷いておいた。
朝比奈さんの表情はみるみる柔らかくなっていく。
「そうだったんだぁ〜! わかる! 夜野さん優しそうで話しかけやすいもんね」
「う、うん。まぁね」
――はぁ? この男の何処が話しかけやすいのよ。奏の感覚ってほんと変わってるわ〜。ってかベタ惚れじゃん――
そう、かな……? 朝比奈さんの場合は単に『懐いてる』んだと思うけど。
自分のハマってるお菓子を友達も美味しいと言ったら嬉しいみたいな、俺にはそんなノリにしか思えない。
二人が喋り始めたから俺はそっと距離をとり、さりげなく兵藤くんの近くに行った。
それでもやはり同じ教室にいるものだから、二人の様子は何度か俺の視界に入ってきた。声もだ。
クールな表情に口数も少ない岸さんに対して、人懐っこい小動物みたいに彼女へぴったりとくっついてる朝比奈さん。岸さんのことはどうやら『あいちゃん』と呼んでいるようだ。
窓の外の日も傾き、教室の中は次第にオレンジ色に染まっていった。
今でもカラスの鳴き声を耳にする度に、少し物悲しい気分になる。そこにどれだけの人がいても。一人ぼっちではなくても。
今後の予定などをひと通り話し合ったサークルメンバーたちがそれぞれ片付けを始めた。
俺も少し手伝っているうちに兵藤くんが何度か話しかけてきた。申し訳ないけどちょっと疲れていたからそんなに内容は覚えてない。
「どうだったかな、見学。俺の説明でちゃんと伝わった? イメージわいた?」
「うん、今日教えてもらった内容なら大体理解できていると思う。あとは実践しないとわからないことも沢山あるだろうけど」
「そっか、良かった〜!」
片付けからの流れで兵藤くんと駅前まで一緒に歩くことになった。
朝比奈さんと岸さんは一足先に帰っていった。
正直ホッとしてる。こっちはこっちで慣れないけど、あの二人だと変に気を遣ってしまいそうだから。
大学最寄り駅の前に差しかかった頃、兵藤くんがあのさ、と切り出した。
「何かわからないことがあったらいつでも聞いて。夜野くんは二年生だしこの先もいろいろ計画があるだろうし、もちろん無理にとは言わないんだけど、でも……」
――これ言って大丈夫かな?――
少しためらっているようだった。
俺はただ何も言わずに続きを待っていた。
「夜野くん、本当は優しいじゃん。いつも一人でいるから正直最初は話しかけにくいって思ってたんだよ? 最初はね。だけど朝比奈さんと一緒にいるときの夜野くんはとても優しい顔をしてた」
彼の視線は駅前のベンチの方を向いていた。
なるほど、あれを見ていたのかと納得すると同時に、淡い記憶とくすぐったい感覚が蘇る。
「朝比奈さんが怪我したときも夜野くんが助けたって聞いたよ」
「そこまで知ってたんだ」
「結構みんな知ってる」
参ったなと思う頃には身体が少し汗ばんでいた。
だからどうってことはないんだけど、女子とのことが噂になった経験がないから慣れてないんだ、単純に。
「だからうちのサークルに入ってほしいと思ったんだ。冷静で優しさもある。きっと向いてるだろうって」
――まあ、朝比奈さんと上手くいってほしいってのが半分くらいだけど――
そう、兵藤くんの意図ならこうしてわかってしまうんだけど、なんか彼は憎めないなと思った。少なくても俺に対しては彼なりの善意で動いてくれたんだなって。
多分このとき俺は、今まで身にまとっていた緊張が緩んでいたんじゃないかと思う。
それが
「って訳だからさ、良かったらいつでも待ってるよ」
そう言った兵藤くんが白い歯を見せて笑いかけてきたとき、俺は胸を締め付けられるような痛みを感じたのだ。
「…………っ!」
まるで春の陽気のような暖かさを思わせる笑顔。声。雰囲気。
それを受けた者はきっと心がポカポカと温まって自然と笑顔になるんだろう。本来なら。
『
遠い記憶を貫くようにカァー、カァーとカラスの鳴き声が再び響いて。
あいつの笑顔が黒塗りになっていく。
空は茜色から藍色へと染まりゆく。
かつて希望に満ちていた日々がじわじわ闇に侵食されるように。
全てが塗り潰される瞬間がすぐそこまで迫っているかのように。
「夜野くん? どうしたの?」
「え……」
気が付くと兵藤くんが心配そうな顔をして俺を覗き込んでいた。
「顔色が悪いよ。休んでいく?」
「い、いや、大丈夫。なんでもないんだ」
「本当? ならいいんだけど」
――大丈夫かなぁ。俺、なんか気に障るようなこと言っちゃったかな――
兵藤くんはしばらく気にしているようだったけど、もちろん彼に非はない。
思いがけないタイミングで記憶と重なってしまった。
兵藤くんは兵藤くんであってあいつではない。そう割り切れなかった俺の心の問題だった。
◇
『なぁ俺さ、これからどんな人生を歩んだとしても響とはなんだかんだと付き合いが続きそうだなって思うんだ』
『大人になるって悪くないと思うんだ。今よりきっと自由になるし広い世界で生きていける』
『でさ、お互い就職したらたまに飲みに行ってさ、恋人できたら惚気話とかもしてさ……あっ、片方フリーだったら寂しいからなるべく同じくらいのタイミングでできるといいよな』
『それでいつかお互いに家庭を持ったら休日に一緒にキャンプ行ってバーベキューとかすんの』
『よくね? そういうの』
断片的にしか覚えてないけど、いつかあいつはそんな感じのことを言っていた。
俺はなんだか照れ臭くてずっと『高島』と呼んでいたけれど、あいつは結構最初の方から俺を『響』と呼んでいた。
あの頃の俺は親友の思い描く未来に自分が存在していることが素直に嬉しかったし、確かに長い付き合いになりそうだなと共感もした。
だけどそれは叶わなかった。
今はもう夢の中でしか会うことができない。
そして夢の中のあいつは大体こう言うんだ。
『なぁ、響。俺を殺してくれよ』
光を失った瞳。壊れかけの笑顔。何処か泣きすがるような表情をして。
◇
自宅マンションに着く頃にはすっかり日が暮れていた。
住み慣れた部屋のはずなのに今はやけに殺風景に見える。
やがて、しんとした空間の中に何かが振動するような音が混じり出した。
カバンの中に入れっぱなしにしてたスマホのことをやっと思い出した。
最近、機種変更したばかりだから操作に慣れてない。出るまでにちょっと手間取ってしまった。
着信は母さんからだった。
「はい」
『ああ、響。元気にしてる? 今帰ってきたとこ?』
「うん、まあね」
『もうすぐ六月だから
「うん。一日しかいないと思うけど」
『何よ、もっといてもいいのに』
去年も俺は一日しか実家に泊まらなかった。
母さんはちょっと不満そうだ。俺と年子の妹ももう実家を出たから寂しいんだろう。
それから学校ではどうしてるかとかちゃんと食べてるかとかいろいろ訊かれた後、電話を切った。
近々、米や野菜を送ってくれるとのことだ。
正直助かるけれど、こういうとき母さんにとっては俺はまだまだ子どもなんだなと思う。
「もうすぐ六月……」
薄々わかってはいた。
兵藤くんの笑顔に不安を感じたのも、きっと
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