第4話 和菓子とラーメンの相乗効果


「それは・・・私が初めて上京してきた年に、住んでいたマンションでの事です。」



幼い遥はるかは、ぎゅううううっとクッションを抱えながら、食い入るようにテレビを見ていた。真夏の心霊特集。


 遥は怖がりの癖に殊更ことさら、この手の番組を観たがった。


 この手の物は、見ている時はドキドキハラハラして、その時はジェットコースターに乗っているようにスリルと恐怖感が快感に感じるのだが、・・・心霊物が、ジェットコースターとの決定的な違いは、


 それが日常に引き継がれ、感覚を引きずる所にある。


「面白かったー!」で、済めばよかったはずのものが、じわじわじわじわと本当の恐怖になって、足にべったりひっついてくる。


 案の定、遥も番組自体はすごく楽しめて、満足気だったが。段々夕方になるにつれて、いつもは何でもない。


冷蔵庫の機械音や水道の水が垂れる音、時々思い出したように強くなる空気清浄機の音に、段々ビクつくようになっていった。


 そして、そんな時に限って、ふと見た電子時計の表示が4時44分だったりする。




 思わず、遥はひゅうっと息を吸い込んだ。


 だが、その時、遥のメシアが現れた。


「ただいまー!ハルくん、冷蔵庫のババロアおやつに食べれた?」


学校の鼓笛隊こてきたいのパレードの練習で、夏休みに関わらず学校に行っていたしずかが帰ってきたのだ。


「~~~お姉ちゃん!!」


遥はダッシュして玄関に向かうと、しずかの細い二の腕にしがみついた。


「!どうしたの?ハルくんそんなに慌てて、お腹すいたの?」


遥は、ブンブンと頭を振った。いったいどうしたというのだろう?


 そのままリビングに行き、ふと、点つけっぱなしのテレビを見ると、昨日録画していたTV番組の表示が、画面に映し出されたままになっていた。


 それで、もともと頭の良いしずかはピンときたようで、はるかがどうして自分に今日はこんなにひっついているのかが分かった。


「幽霊が怖くなったんだね?」


そう言うと、遥の肩はビクッと跳ね、悔しそうな、泣きそうな顔で俯うつむいてしまった。


「・・・かっこ悪いと思った?今・・・。」


しかし、それにしずかは頭を振り。


「ううん、全然?わたしもちょっと前まで幽霊すごく怖かったの。でも、お婆ちゃんにある事を教えてもらってから怖くなくなったんだ!」


そう言い、しずかは明るく笑って見せた。しかし、何でお婆ちゃんの話で怖くなくなるのかが分からず。


「?」


遥は、ただただ、しずかを見返した。


「丁度、さっきね、お婆ちゃんのところによってきたの。あ、お夕飯前だけど、ちょっとだけ食べちゃおうか?」


「??食べる」


なぜ、幽霊が怖いのと、何かを食べることがセットになるのだろう?どうしても共通点が見いだせず、遥は若干動揺した。


「はい、どうぞ。」


出されたのは、餡子あんこののったお婆ちゃん特製のおはぎだった。


「あのね、お婆ちゃんが言ってたの。小豆には『魔除け』の力があるんだって、袋に入れてお守りを作っても勿論いいけど、食べても効果があるって。」


しかし、実は、遥は餡子あんこ類が苦手である。


 クリームやカスタードと違って食べづらいし、あの野菜を抜け切らない見かけも苦手だ。遥はしずかには悟られていなかったが、内心尻込みしていた。


 しかし、そんな事とは露知らず、閑しずかはお箸で、自分の皿に盛ったおはぎを切ると、あーーんと大口で、おはぎにパクついた。そして、


「んん~~~~~~!!お婆ちゃんのおはぎは、やっぱり美味しい!!」


と、本当に美味しそうに、幸せそうに顔を綻ほころばせた。それを見ていた遥も、何だか自分の中にむらむらっと食欲が湧いてくるのを感じた。


 遥は、視線をおはぎに落とした。何とも他のおやつ類に比べて、あまりにもそそらない見かけのおはぎ。


 しかし、ふと顔を上げれば、大好きな姉が本当に美味しそうに食べている姿が目に入り、遥は意を決して、おはぎをお箸で切って口に恐る恐る運んでみた。


 ・・・その祖母の作ったおはぎは、市販品に比べ丁寧に作られた、とても優しい味がして、あんこの一粒一粒も艶々として、遥が今まで知っていた、これまでのあんこ類とは比べようが無いほど美味しかった。


 遥は、おはぎがケーキやシュークリームより美味しいと、その時生まれて初めて感じた。


「ね?これで、幽霊も怖くなるんだから最高だよね?」


しずかがそう言い、笑うと、本当にそんな気がしてきて。実際、はるかは餡子の方に気が取られたためか、もう、先程のTVの内容を怖いと感じなくなっていた。




「おお、ハル、また団子食ってる。・・・お前ほんと餡子あんこ好きだよな?」


よくバイクの後ろに乗せてもらう、友人の春樹にそう言われ、遥は春樹をちらりと見ると。


「食物繊維取ってんだよ。」


とぶっきらぼうに返し、串の団子をもう一粒噛んだ。


「・・・お前って、超好き嫌い多そうな見かけなのに、なんか、婆ちゃんが好きそうなのが好きだよなあ、ほんと!」


「・・・るせーよ。いいだろ?何喰おうと。」


友人に食べるものをいじられ、遥は不機嫌に返した。


「で、ハル、今日、家に帰るのか?それだったらついでに乗せるけど?」


「いい、今日バイトがあるから。」


それに、春樹はヘルメットをしながら


「へえ、お前、偉いね?バイトなんかせずに、両親が金あるんだから財布からくすねればいいのに?」


と、さも平然に軽犯罪を進めてきた。しかし、それに遥は。


「そういうのいい、あいつらに借りを作るような事したくない。」


と、事の良し悪しに関わらず、断った。


 というか、遥は両親が嫌いだった。


それというのも不倫をしていて軽蔑しているというのもあったが、共働きという理由で、ほとんどの家事を姉のしずかに押し付けているという事に、遥は長年不満を抱いていた。


 誕生日やクリスマスの折には、


 家事を頑張っているからと、普通の同年代より、高価なプレゼントを贈って、小遣いも弾んでいたが。「そもそもそう言う問題じゃないと思う・・・。」と、遥は幼い頃から感じていた。


 しかも、しずかの高校受験の時も大学受験の時も閑は変わらず、ぎりぎりテスト前に祖母に手伝ってもらう以外、すべての家事を一手に引き受けていた。 


 そして、深夜遅くまで、彼女は毎日毎日勉強をしていた。



遥は幼い頃、帰るといつも


「おかえりなさい~!」


と笑顔で迎えてくれるのは、実の母親でなく、しずかだった。



あの頃の彼女は、家事も勉強も、果ては自分の面倒まで、いつも、笑いながら一生懸命こなしていた。


本当に、あんな親元で育ったなんて信じられないくらい。


しずかは純粋で清らかだった。


 遥はそんな姉を、密かに、この人は本当は人間じゃなくて、天使なのかもしれないと考えていた。




だから、この世界で、絶対に傷つけるわけにはいかないと思い、自分がこの人を守り抜くんだと強く思っていた。


 思っていたのに・・・最初にあの人を大きく傷つけたのは、あろうことか遥自身だった。




そんなつもりではなかった。その時はそれが正しいと思っていた。


けれど、そのやり方は、。結局大きく間違っていて・・・。




 そして、それ以来、遥はしずかを「姉」どころか、名前でも呼べなくなってしまっていた。




そして、年々彼女を守るどころか、彼女をおびえさせる存在になっている事を遥は自覚していた。


・・・しかも、先日など、


 泣いている彼女を見ていたら。どうして、年齢は大人のはずなのに、そんなにいつまでも純粋なのか?


むしろこの両親がいなければもっと楽が出来るだろうに、何をまだあいつらに夢を見ているのか?


という彼女に対する苛立ちと共に、どうしたら彼女の涙を止められるのだろう?という気持ちが、


何故か、自分の身体を押し動かし、気付いたら、彼女の唇を自分の唇で押さえつけていた。


 驚かせて、涙を引っ込ませようとしたのかもしれないし。


 自分もあの母親の子供だ。単なる欲望かもしれない。・・・しかし、やってしまってから、また自分は間違えたのだと激しく後悔した。




 そして、それが彼を家路に足を向けるのをより躊躇ためらわさせていた。


だから、遥は出来るだけ家に帰らずに済む方法を、毎日考えていた。遥は、本当はいつだって、帰って、


あの「おかえり。」を聞きたかったのに、


どんどんこじれていく自分を


遥は、ただただどうすることも出来ず、苛立ち、ひたすら孤独に苦しんでいた・・・。




「ふう、ただいまー!・・・って、誰もいないか・・・。」


玄関だけが明るい、家に帰り。私はポチポチと廊下やリビングやキッチンの電気を点けていく。


お風呂のスイッチを入れてお湯を張り、買ってきたものを冷蔵庫に入れていく。


 今日は、家庭教師のバイトの後にスーパーに寄ったので、いつもより遅くなってしまった。


 キャベツ二分の一、にら、もやし、100g98円だった豚肉、牛乳、麹みそ。


 最近マジで美味しいからみんな食べて!と思ってる。モチっとした『相模屋さがみや』の絹厚揚げ・・・これタピオカが入ってるんだよね?どおりでモチモチするわけだよね?


ほんと美味しい。ビールが合う!それから・・・。


「あ、つい買ってきちゃった・・・。」


買ってきてたのは餡子のお団子と桜餅。・・・遥の好物である。


「・・・メモを張っておいて置いたら、遥、食べてくれるかな?」


・・・というか、遥があんまり帰ってきている形跡がないんだよなあ・・・。




 だって、遥の物を全然洗濯していないし。お風呂の使い方も両親とは違うから、私は帰ってきてたらすぐに気付く。


 食器だって、遥は、あんな非行に走っているくせのに、自分が使ったものはしっかり洗って、いつもなら水切りに置いているのに、それもない。


「・・・ちゃんと、ご飯食べてるのかな?」


明日は、先日先輩と約束したお弁当を持って行くことになっている。2個も3個も作る手間は基本変わらないから、遥の分も作っておいたら、家では食べなくても、外では食べてくれるだろうか?




「・・・遥もやっぱり気まずいのかな?」


勢いで、義理の姉にキスしたら、・・・そりゃあ、気まずいか・・・。


 でも、私は、もはや遥と顔を合わせる気まずさより、その存在の気配すら感じない、寂しさの方が増していた。例え顔を合わせなくても、遥がこの家にいるというだけで、私の心は、大分安らかだったから。


「・・・人の、気配のしない家って、・・・ほんと不気味。」


急に、足元に寂しさが忍び寄る。口に出したら、何だか余計に怖くなった。


「・・・・・・。」


私は、軽く部屋の中を片付け、お風呂は・・・うん、そのままでも大丈夫か。


一応点つけてないけど、ガスの元栓をチェックして、再び、鞄と鍵を持って玄関に向かった。


電気は・・・、帰ってきたとき暗いのが嫌だから、点けたままにしよう。TVは流石さすがに点けっぱなしにしない方が良いか。音があった方が安心だけど。


 私は、玄関を出て、再び鍵をした。


 チャラんと去年友達と行った。千葉の東京の名を冠する、ファンタジーなアミューズメントパークで買った。クマ型のマスコットがゆらゆらと揺れた。


 今日はなんだか、家で、ご飯を食べる気にどうしてもなれなかった。




「さて、どうしようかな?」


その時、ふと、友達が駅前に出来たラーメン屋を絶賛していたことを思い出した。


なんでも、濃厚なスープと麺のモチモチ具合が堪たまらないんだとか、


モチモチとか誰得だよ・・・私かよ!!




 それと、店員にちょっと悪そうだけど、すごいイケメンがいるんだとか・・・ふふふ、よしよし


イケメンを眺めながら、麺をモチモチしてやろうじゃないの!!


 私は、自転車にまたがると、駅前に意気揚々と向かった。


 自転車を駅前に停め、ラーメン屋に向かうと・・・おお、少し並んでる。




どうやら本当に評判の店の様だ。食券を買って、あまりしない、ラーメンを一人で食べるというイレギュラーに、何だか心なしかワクワクしてきた。


 店内にようやく通され、ソーシャルディスタンスを意識してか、席が広めに取ってあり、正直知らないおじさんと肘がぶつかりながら食べるのやだな・・・と思っていたので、有難い。




 席に着き、早速注文を取りに来る気配がした。私はテーブルに貼られた、店ご自慢のラーメン姿の、


あい素晴らしさに見入りながら、その味に妄想を馳せた。


「ご注文は・・・・・・!!?」


「ああ、あの、この店自慢の濃厚味噌の・・・」


「何で、お前ここに居るんだよ!?」


「へ、何でって、ラーメンを食べに・・・。」


何言ってるんだろう?お兄さんたら、


ラーメン食べに来る以外いったい何をしに来るというの!?と、どうしてそんなことを言うのかと、顔を上げると、そこには・・・


「え、ええ!?・・・は、遥!!?」


なんと、弟の遥が、ラーメン屋さんの黒いTシャツに、タオルを器用に帽子のようにして被り、驚愕の表情で私を見ていた。


「な、何でここに!?え、ここで、バイトしてるの!?」


それに、遥は私をジロリと睨んで


「・・・こんな時間に、繁華街で女一人が何してるんだよ?」


と、すごんで見せた。


「いや、こんな時間と言ってもまだ、10時前でそこまで遅いわけじゃないし・・・」


むしろ、高校生の貴方は今、働いてるし・・・。


「・・・何で、来たんだよ。ここまで?」


「え、自転車。」


そう言うと、遥は一瞬玄関の方を見てから、私に視線を戻し。


「店の前に停めてんの?」


「ううん、お店の迷惑になるから、駅前の駐輪場に。」


「・・・ここまで、だいぶ距離あるし、暗い所通るじゃん。」


「うん、まあ、ちょっとあるけど、・・・でも、大丈夫だよ!誰も好き好んでこんなの相手にしないし!」


繁華街なんて、それこそきらびやかで、綺麗なお姉さんが、竜宮城の魚の様にいっぱい歩いているのだ。


 そんな中で、タニシのような、ジーンズ・パーカー、おまけに眼鏡の地味地味地味子じみじみじみこを誰が好んで相手にする?道端に落ちている50円の方が、よっぽど関心を引くというものである。


 しかし、その答えが気に食わないのか、遥の眉間の皺が、どんどん深掘ふかぼりになっていく・・・。


「・・・さっさと食えよ。10時になったら上がりだから、送ってく。」


「え!?遥、今日は帰ってきてくれるの!?」


私が、ちょっと大きな声を出したために、周りに一瞬注目されてしまった。・・・やべっ!


「・・・ご、ごめん・・・嬉しくて、思わず。」


「・・・・・・。ご注文は以上ですね?少々お待ちください。」


そう言い、恥ずかしくて、他人の振りをすることにしたのか。遥は何事もなかったようにスルーして、厨房ちゅうぼうの奥に行ってしまった。


 しばらくして、遥は私の注文したラーメンを持ってきた。・・・きたきた来ました!うっひょー!!


 ま、眩しい!!なんて、神々しいの!?・・・って、あれ?


ラーメンには、注文していなかったはずの、煮卵と、写真より一枚多く厚切りのチャーシューがのっていた。


「・・・・・・。」


「さっさと食べろ。」


「あ、・・・うん。」



遥は、頭が良い。



たぶんちゃんと勉強すれば、私なんて足元にも及ばないくらい。もとは、ずっと。


だから、注文を間違えるなんてことは、絶対に無いはずだ。・・・という事は。


 私は、「いただきます。」と言って、ふーふー言いながらラーメンを食べ始めた。ラーメンは、元からすごく美味しいに違いなかったが、そのラーメンは胸の奥にまで、染み入るほど美味しかった。



 ちょっと美味しすぎて、目頭が熱くなるくらいに。



私は、塩分、脂質を気にせず、スープの最後の一滴まで飲み干した。


それを見て、遥は・・・。




「うわ、全部食べてる。・・・豚かよ?」


「・・・・・・。」


その一言で、私の目頭は、一気に急速冷蔵したのだった。

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