不気味の谷のほたるさん 人形焼奇譚編

白木レン

第一節 『簡単で不愉快なお仕事』


 

 『《不愉快》はカネになる』

 その日僕は、そんな社会の真理を一つ学んだ。

 

 ダンボール1箱で、一万円。

 それがこの『不愉快』につけられた値段であった。



     ●      ●



「ちょいとさ。まずはやってみろっさ」


 水色のツナギを着たオッサンは、僕に向けて言った。

 そして差し出したトンカチを、僕はおすおずと受け取る。

 だがそれを受けとったまま逡巡する僕を見て、オッサンは焦れたように言った。


「どした? 簡単な仕事だろさ?」

「…………はい」


 おっさんは訛り声で急かすが、しかし中々踏ん切りがつかない。

 僕の前に置かれているのは、セルロイド製の古びた人形だった。大きさ30センチほどの四等身の女の子で、童話の赤ずきんのような服を着ている。

 その人形を見ながら、僕はおずおずと訊ねた。


「…………顔ですか」

「おう、顔さ。わかんねーことなんか、ねだろさ」

「………………はい」


 帰りたい。

 来たことを後悔し始めている。


 だが……だが……それでも……。

 僕には、カネが必要なのだった。


 振り上げる、トンカチを。


 振り下ろす。



 ゴツン。



 僕は人形を叩いた。

 人形の顔を。


「……これで、良いですか?」


 指がジンと痛んでいた。

 しかし……。


「ダメだ。もっとさ」


 オッサンはそう言った。


「もっとだ」

「もっと叩けさ」


 オッサンはそう言った。


「ど……どれぐらいの強さでですか……?」

「もっと強くさ」

「あの……少し……やって見せてくれませんか」

「もっと強く叩け」

 

 無精髭のオッサンは、固い声で言った。有無を言わせない口調だった。

 決して手本を見せる気はないようだった。


「…………」

 

 僕は今になって思い至った。

 オッサンは決して人形に触れなかった。

 いや、人形が入っていたダンボール箱にすら触れようとしなかった。


「強く叩け」

「もっと強く叩け」


 オッサンは床を見たままで言った。

 もう決して僕のことも人形のことも見ようとしなかった。


「叩け」

「もっと叩け」


「な、簡単だろさ」

「たったそれだけで、ひと箱一万さ」

「な、だからな」


 その男は言った。




「顔が潰れるまで、叩け」



 

 それはとても簡単なお仕事。


 とても簡単で『不愉快』なお仕事。


 



    ●       ●




 きっかけは先輩の紹介だった。

 バイト好きのN先輩が、万年金欠の僕に紹介してくれたのだ。


『いやぁ、すんげえバイトらしいぜっ』


 そのN先輩自身も、友人の友人という人から紹介されたのだという。


『本当は俺が行きたかったんだけどよぉっ……まあ、その、都合悪くなってな』


 N先輩はどこか歯切れが悪い様子であった。


『まっ、ともかく人形焼き屋の臨時バイトらしいんだけどよ』

『なんでも慣れれば時給1万はカタいらしいぜ!』


 和菓子屋のバイトごときで、時給1万円。後から思えば、どう考えても奇妙な話であった。

 いや……。

 僕だって変だとは思ったのだ。

 けれど僕には、選択肢というものが存在しなかった。

 どうしてもカネが欲しかったのだ。


『宮守、お前たしかタコ焼き屋のバイトしたことあるって言っただろ。じゃあ、ラクショーだな。任せたぜ! 焼きまくって稼いでこいや!』


 N先輩はそう言って笑いながら、僕の肩をバンバンと叩いた。

 タコ焼きと人形焼きはだいぶ違う気がしたのだが……しかし先輩の笑顔を見ているとそんな細かいこと気にならなかった。とにかく豪放磊落で気の良い先輩なのだ。

 

 思い出せば以前やったタコ焼きの屋台のバイトは、短期だが確かにとても稼ぎが良かった。夏祭りの会場では、誰もが財布の紐が緩くなるものなのだ。


「そう考えれば、あり得るのかな?」


 臨時のアルバイトと言っていた。

 もうすぐ年の瀬だし、何か酉の市とかで大量の人形焼きを売る機会があるのかもしれない。色々なバイトを渡り歩いて思うことは、世の中知らないことが沢山あると言うことだ。老舗の和菓子屋なら、何かそういう書き入れ時もあるのだろう。


 しかしそう好意的に解釈していた僕の期待は、大いに裏切られることになった。


      ●         ●


 十一月下旬、三連休の初日。

 T先輩からもらったメール通りの住所を訪ね、僕が目にしたもの。

 それはえらく立派な火葬場であった。


「えっ……なんで……?」


 およそ和菓子とは無縁にしか思えない場所である。


「あ、いや、ひょっとして香典返し的な粗品かな」


 かろうじて納得のいく答え捻り出した僕は、ようやく意を決してその火葬場に踏み入った。そして受付にいた女の人に、尋ねてみることにする。


「すみません。今日、臨時のアルバイトで来たんですが」


 勇気を出してそう伝えたものの、しかしその反応は今ひとつであった。喪服調の黒い制服を着たその女性は、怪訝そうに言ったのだった。


「臨時アルバイトですか? 当葬儀場ではそのようなことは……」


 彼女がそう答えかけたときだった。

 奥からもう一人別の受付嬢が、慌てて声をかけてきたのだった。


「待って××ちゃん、地下のアレじゃない?」

「あっ……!」


 そう言われて、最初の女性も何か気づいたようだった。しかし彼女のその瞳には、よく分からない動揺の色が浮かんでいた。

 けれど彼女はその動揺を、僅かな時間で押し隠す。


「失礼いたしました。臨時のアルバイトの方ですね」

「え、あ、はい、たぶん」

「あちらのエレベーターから、地下一階にいらっしゃってください」


 彼女が指し示したのは、洗練された内装にそぐわない無骨な業務用エレベーターであった。受付の裏手にあることからも、間違いなく職員専用のものだろう。


「地下一階で降りると目の前に用具室があるので、詳細はそこで聞いてください」

「はあ……」


 相変わらず話が見えず、僕は気のない返事をしてしまう。

 とは言え、ここで受付の人に問いただしても仕方ない。僕は言われるがままに地下へのエレベーターを待つことにする。しかしエレベーターが来るまで手持ち無沙汰でいるうちに、僕は妙な言葉を耳にしてしまった。


「…………キモチワルイ………」


 そう囁くように話しているのが聞こえた。

 言葉の主は、なんと先程話しかけた受付の女性達であった。彼女は肩を寄せ合って、ボソボソと何かを囁き合っていたのだった。

 どこか興奮して話しているのか、彼女達の言葉の端々が耳に入ってしまう。


「……何であんな…………地下にずっと………」

「……経営難……………引き取った…………」

「………嫌な感じ………キモチワルイ……」

「……キモチワルイ……………」



 気持ち悪い。



 彼女達は、しきりにそう口にしているのだった。

 地下という単語も聞こえるところをみると、話の流れからして間違いなく僕のバイトのことだろう。異常なバイト代も合わせてますます嫌な予感がしてくる。ちゃんとした火葬場場のようなので、さすがに犯罪沙汰ではないと思うが……。

 そんなことを願いながら、やっと来たエレベーターに乗り込む。


 しかし……。


 結果的に言えば、犯罪程度のことを心配していた僕はまだまだ甘かった。

 その地下には、犯罪よりもよっぽど始末に悪い仕事が待っていたのだから。

 エレベーターのドアが閉まる寸前、僕は彼女達はこう口にするのを聞いた。


「……ニンギョウオクリ……」


 それが忌むべきバイトの名前だった。

 


     ●        ●



「やーっど、一人来たか」


 用具室から現れたのは、白髪まじりで無精髭を生やしたオッサンだった。水色のツナギを来たオッサンはボリボリと首筋を掻きながら、訛った声で言った。


「お前さ、高校生か?」

「あ、はい」

「んなら、お前がTだな」


 無精髭のオッサンは、来るはずだった先輩の名を挙げた。どうやら、ちゃんと話が伝わってない様子だった。


「いえ、N先輩が来られなくなったので代理で……宮守シンジと申し訳ます」

「何だ……ソイツも来らんなくなったのか」


 オッサンは呆れたように言った。


「どいつもこいつも、最近のガキはいい加減さな」

「……どいつもこいつも?」

「ああ。怪我だの病気だのぐだぐだ言って、今日になってだーれも来やしねぇさ」


 どうやら他にも来るはずだった何人かが、都合が悪くてこれなくなったようだった。オッサンは鼻を鳴らしながら、不機嫌そうに言った。


「ふん。ま、おめさの先輩は、代わりのモンよこすだけマシだな」

「はぁ」

「んじゃ、ついて来いさ。なんに、心配せんでも、給料はたんと出るんさ」


 そう言ってオッサンは、先に立って通路を歩き始めた。

 バックヤードというものは皆そうかもしれないが、打ちっぱなしのコンクリートの壁に裸電球が並ぶ通路はひどく殺風景であった。

 そしてその物悲しい風景の一番奥に、その扉はあった。


「ここんさ」


 オッサンがそう言って指し示したのは、ひときわ辛気臭い鉄扉であった。赤茶色い錆が扉の表面をジトジトとまだらに蝕んでおり、どう見てもここまで並んでいた扉より数十年は古い。

 そしてオッサンは鍵束をとりだすと、扉についているやけに大きな南京錠に手をかけた。扉にもともと付いている鍵ではなく、後から溶接した分厚い金具に通しているものであった。


「ん……なんだ、やけに硬ぇな」

 

 オッサンが苦労して鍵を回すと、南京錠はごりっと耳障りな音を立てて開いた。どうやらしばらく開けていなかったようだった。

 南京錠を外して引くと、古びた鉄扉が軋みながら開いた。


「おし、入れさ」


 火葬場の地下の最奥に位置するその部屋は、どうやら倉庫になっているようだった。橙色の電球に照らされたその部屋の一面には、カビが生えて変色しかけた古い段ボール箱が並べられていた。数は……二十か三十ぐらいだろうか。

 その段ボールの方を、オッサンは顎でしゃくった。


「ソイツを一つこっちに持って来いさ。落とすなよ」

「……はい」


 言われた通りに段ボールを一つ抱えると、オッサンの足元まで運ぶ。落とすなと念を押されたものの、重量はさほどでもなかった。代わりに段ボールの表面はやけに粘ついており、何より臭いが酷かった。思えば冬だというのに、部屋の中がやけに湿気っている。そのせいで段ボールがカビて、異臭を放っているのかもしれなかった。

ともかく今まであまり嗅いだことのない、生理的に受け入れ難い臭いだった。


「開けてみろさ」

「え……」

「ええから、はよさ」


 オッサンにうながされ、僕は嫌々ながら箱のガムテープを剥がす。

 火葬場、そして今まで嗅いだことのない異臭。いったい何が入っているのかと覚悟して開けたものの、入っていたのは完全に予想外のものだった。


「えっと…………人形?」


 それは確かに人形としか言いようがなかった。

 雛人形、アンティークドール、古びたこけし、ぬいぐるみ、果てにはフィギュアまで……段ボールの中には『人形』とものが無造作に詰め込まれていたのだった。

 混沌として無秩序な、とても異様な光景に見えた。


「えっと……これ、なんですか……?」

「ひとつ試しに出して、そこの台の上に置けさ」


 僕の疑問には答えず、オッサンはそう言った。答える気はないという、有無を言わせない口調だった。僕は仕方なく、一番上に入っていた赤い頭巾を被ったセルロイド人形を手にした。

 部屋の中央にある大きな作業台に人形を座らせ、オッサンに尋ねる。


「……これで良いですか?」


 僕がそう尋ねると、オッサンは僕の方を見ずにぶっきらぼうに言った。


「ん、じゃ、そこの工具箱ん中に、トンカチ入ってっだろさ?」

「あ、はい」

「んじゃ、な」


 オッサンは人形の方を決して見ようとせず、硬い声で言った。


「お前さんは、今からそんトンカチでな」



「人形の顔を潰すんが仕事っさ」


 


   ●     ●



 


 

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