第23話 狼女 ウクバルの愚王

 半亜神の娘クラパリーチェを拠点へ連れ帰ったシェルウは、まずキリとグージィに経緯と今後の方針を説明した。

「もうあなた様が何をなさろうと驚かない心構えで居たつもりですが、今回は流石に肝が冷えました。亜神を飼うなどと…」キリは言った。

「当然ながら危険は増えるが、了承して欲しい。今後取り得る策として、おそらく欠かせないものになる」

「わかりました。…しかしこれはわたし個人の願いですが、どうかグージィを悲しませるようなことはなさらないでください」

「ああ、すまない、グージィ。力を抑えているとはいえ、人外が近くにいるのは怖いだろう。きみたちに危害が及ばないよう強く制限させておくから」

「そういうことではございません。…しかし、わたしが強く言うのも筋が違いますね。あなた様の好きになさってください」キリが言ってグージィを見遣ると、「わたしのことはいいですから…」とグージィはうつむきながら言った。

 キリの意図がシェルウにはよくわからなかったが、いくつかの仕事から解放されたキリは、元の忙しさ以上にこころの余裕ができたように見える。最初に出会った頃のおしゃまな娘ぶりが戻ったかのようだ。

 それから騎士団のものたちへクラパリーチェをどのように説明するのか、キリから提案があった。

「古城の食人鬼に囚われ影響を強く受けた娘、とでもしておきましょう。あなた様のお考えも、彼らがその全てを受け入れるには難しい。神官たちは何かしら察するでしょうが、彼らはおそらく"わきまえている"かと思います」

 古城の食人鬼が指摘したように、半神であり冥神の使徒であるシェルウの立場は、人間たちとは根本の部分で相容れない。騎士団に裏切られるよりも、むしろ彼らを裏切ってしまう可能性の方が高いだろう。


 シェルウたち四人は、騎士団の拠点とは少し離れた場所に拠点を構える。ほとんど必要はないが、この本陣の護衛に入るのはもっぱらイオである。イオは白灰騎士団で最もシェルウに気安く、シェルウにとってもそれが気晴らしになった。遠い故郷の風習や信仰されていた神々、かつての難しかった戦いなど、作法は違えど二人は共通する部分も多い。人を避けてきたシェルウにとって、イオは地上ではじめてできた友人のようであった。

 ウクバルへ報告に行ったアズランたちの帰りを待つ間、イオがふとシェルウに尋ねた。

「キリの姉御はあんたの嫁だろ?ちっこいグージィもそうなのかい」

「いや、そういうわけではないよ。戸籍上はキリの妹になっている」

「ふーん。見習いのササクリとか、補給のおっさんたちにモテてるからね。あの子はあたしから見てもかわいいし、ちょっと気になったのさ」

 最近では、騎士団との連携もグージィに任せることが増えた。

「あっちの不思議な姉ちゃんも来たし、白灰様は女好きなのかと思ったよ。まあ好色の神官なんて珍しくないけどさ」

「そう…まあ、否定はできないよ」

 クラパリーチェは地面に伏して、鳥や鼠と話をしている。その所作と、やつれ切った姿を除けば成人の女とほとんど変わりがない。何かに感づき、急に体を起こして言った。「おい、見つけたぞ」

「そうか。イオ、ちょっと行ってくる。キリにも伝えておいてくれ」

「え?行くってどこに行くんだ?」

「白灰騎士団の本分、亜神退治だ」


 亜神は縄張りとしもべを持つことで力を蓄える。しかし敵から逃れるためにわざと縄張りを持たない狡猾な"流れ"の亜神がいた。古城の食人鬼のしもべを隠れ蓑に、人間を食らい続けてきたのだ。

 竜に乗ったシェルウが上空から見つけた時、猿の亜神は、クラパリーチェの狼たちに追われていた。

「あれを殺せばいいのか?」クラパリーチェは竜から飛び降り、その足で追うつもりだ。

「いいや。あんな小物を相手に、おまえの力は使うな」

 シェルウが竜ごと接近すると、猿の亜神は足がもつれて倒れた。

「きさまが"白灰"か。俺の話を聞いてくれ」

「いいや、話す必要はない。おまえの全てを預かってやる」

 シェルウは力を失った亜神の首を切った。流れる血を桶に貯める。クラパリーチェは目を見開いてそれを見ていた。

「人間の中にも、生き血を好んで飲むものがいる。飲んでいいぞ」

 クラパリーチェは一心に血を飲み始めた。彼女が亜神の血を飲めば、その力は高まるだろう。シェルウの制御下にある限り、これから先の難敵と戦う際に前衛を任せられる。

「クラパリーチェ、骸を竜鞍に結わえるのを手伝ってくれ」

 亜神としては小柄ではあってもシェルウが持ち上げるには難しい重さだ。クラパリーチェはシェルウのことばに素直に従い、骸を軽々と持ち上げ竜の背に乗せた。穏やかな表情だった。

「なんだ。もしかしておまえ、ずっと腹が減ってたのか?」

「…あいつはまずい血しか飲ませてくれなかった。さっきの血はうまかった」

「それは良かった。良い子にしていれば今後も飲ませてやろう。力を蓄えろ」

「でも、の血が一番うまい」


「面倒なことになった」

 斥候リンドーの報告によると、ウクバル国王への報告に赴いたアズラン、ガストン、ブーテニカが囚われたと言う。大規模な派兵にも関わらず思ったほどの戦果が得られなかったことに対し、賠償を求めているというのだ。

「愚かだ!自分たちの職務怠惰を棚上げしてよくも言えたものだ」若いササクリは憤った。対してイオは平然と言った。

「いいや、単純にゴネてタカろうって腹さ。下っ端でも偉い立場でも、他人から掠め取ることしか考えない連中は普通だよ。あたしから見りゃ、あんたたちみたいなお人好しの方がよほど珍しい。しかし実際どうすんだい、白灰様」

 組織ゆえのトラブルというのは想定内である。むしろ、トラブルによる致命傷を避けることが白灰騎士団という組織の主眼なのだ。白灰の仕事そのものは、シェルウとキリ、そして公務に関われる数名さえ残れば十分継続できる。

「正直に言うと彼らはこのまま捨て置いて、後は北方限界国との外交問題として処理して貰いたいところだ。金銭のやり取りで済むのなら、それが最も穏便だ」

「助けには行かれないのですか?」ササクリはシェルウに尋ねた。

「ウクバルの者たちが最初から利益を求める腹づもりであったのなら、口先だけの交渉ではどうにも運ばないだろう。かと言って考えなしにわたしが赴けば、敵対する者を皆殺しにしてしまいかねない。それは主の御心に反する」

 クラパリーチェを介して狼をけしかけるなどすれば、あるいは禁忌は避けられるかもしれない。しかし仮に禁忌を避けられる方法があったとしても、忘却の神のしもべとして命を弄ぶような真似はできない。禁忌や戒律は、それを良しとする主の御心があってこそのものだ。

 イオは深く唸ってから言った。

「まあ顔役って立場だし、アズランたちもこういう状況も想定していただろうね。きっとあいつらも、足手まといになるくらいなら切り捨てられた方がいいと思ってる。ただ問題はそこじゃない。要するに、ナメられてんのさ、白灰騎士団が。ナメられっぱなしじゃ、他の国でもまた似たようなことになる。そのたびに顔役さんを切り捨てていくのかい」

「…今後を見越して、こちらにも脅しのような示威が必要ということか」

「そういうことだよ。馬鹿相手のやり方じゃ基本さ。な、姉御」

「イオの言う通りです。ここで彼らを切り捨てるのであれば、いっそ顔役など使わない方がよろしいかも知れません。むしろ無理難題をふっかけられて、敵を呼び寄せる結果になる」

「いや、わたしに彼らは必要だ。こういう状況をケツ持ちというのかな」

「そういうことさ、白灰様。あんたが大将なんだからね」


 使徒とは、神々より特別な使命と加護を賜った者である。主より賜った力を無軌道に振りかざす者は、やがて加護を失い使徒堕ちとなる。もっとひどい場合、市井を惑わし他の神々の怒りを買った者は、その主である神もろとも堕とされることがある。

 シェルウはその主より課せられた禁忌も手伝い、人間への接触を可能な限り控えてきた。しかし"示威"となれば、どうしても大勢を巻き込まざるを得ない。北方限界国の活動において大規模な喧伝活動を避けられたのは、パド祭事長やタッタ領主と言った、政治を行う"味方"に恵まれていたからだ。しかし国外ではその限りではない。

 幕間に戻ると、キリは言った。

「ああは言いましたが、あなた様は気乗りがしないことでしょう。あなた様の優しさは誰よりも知っているつもりです。人間相手の駆け引きであれば、是非わたしを頼ってください」

「助かるよ、キリ。人外相手には強く出られても、なんと言うか…わたしは人心に弱い。なにか良い手はないだろうか」


 ウクバルの都市は開けた盆地に城を構え、広い畑を挟んで山々が立ち並ぶ立地にある。

 キリの策は、クラパリーチェを使って近隣の山に大量の狼を集め、毎晩遠吠えをさせるだけであった。これだけでウクバルの住民は不眠に悩まされ、恐怖心も募る。

「溜まった住民の不満がどこへ向かうかお分かりでしょうか。遠くにいる亜神への怒りではなく、身近な兵や国の者へ向かうのです」

「それでうまくいくものだろうか?」

「どう転んでもうまくはいきませんよ。いずれ上か下の人間の血が流れるでしょう。ですからその前に助けを出してやります。"亜神は白灰を差し向けたウクバルに怒っている。人質を返せば、白灰が亜神に再び話を付けてやろう"と。住民にも周知するかたちで行えば、彼らは従うしかない」

 作戦から数日経っても、ウクバルの者は狼の狩り出しさえ行わなかった。すでに兵の統率すら困難なのだろう、と城下街の様子を探ったリンドーは言った。

 それから目深くローブを纏ったグージィと、亜神の首を抱えた台本係のイオがウクバルの城へ向かった。イオはウクバルのどの兵より大きく、キリは城内でも最も小さい。魔術師の仮装をした彼女たちに対して、ウクバルの者がどのような印象を抱くかはさておき、憶測をさせることで思考と行動を鈍らせるのだという。

 行った二人が戻ってくる時は、囚われていた三人も一緒だった。

「白灰の使いだって言えば一発だったよ。兵どもは待ちわびていたんだろうね。城までお供してくれたよ」

 帰ったイオはカラカラ笑いながら言った。

「いやあ面白かった。通りで台本を読み上げた時の、住民の顔ったらなかったよ。あたしらが救世主にでも見えたんだろうね。笑いを堪えるのが大変だった」

 イオとグージィは通りで人を集め、それから城へ向かった。城門に押しかける住民たち、威を失した無気力な兵。亜神の首を抱えたイオがウクバル国王に凄むと、交渉も抜きに三人は解放された。当然ながら、血は一滴も流れなかった。

「全く面目もない。儂が付いていながら…とにかく、すまなかった。次にこのようなことがあれば、どうか見捨ててくれ」そうしょぼくれたガストンに対し、イオは言った。

「いいや、あたしらの大将がやったことさ。大将は、あたしらを切り捨てることはないってわけだ」

「ええ。主のご慈悲に感謝しましょう」


 クラパリーチェは狼を遠くへ散らせ、ウクバル国の脅威は去った。

「まさかここまでうまくいくとは…兵の反発さえ無かったなんて」シェルウはことばを失っていた。

「国の大勢を占めるのは一般市民です。兵や政治家などは少数に過ぎない。亜神の良いようにやられている国王が"白灰の人質を取った"という事実が知れ渡り、一方の白灰は亜神を抑えた。国王らが白灰の悪評を流そうとも、住民が支持する者がどちらであるか、お分かりでしょう」

「なんということだ…ありがとう、キリ。きみは囚われた三人だけではなく、わたしをも助けてくれた。しかし今更だけど、きみは何故こんなが使えるんだ?」

「力の質としてはあなた様の足元にも及びませんが、わたしにも闇の神の末裔の血が薄く流れています。その血に基づけば、人心をかどわかかすことはむしろ本分というわけです」キリはにっこりと微笑んで言った。

 キリの魔術は同じ"魔術"ということばであっても、シェルウやクラパリーチェのそれとは全く異なるものだ。血はきっと関係ないだろう。


 白灰騎士団のウクバル国での活動は、古城の食人鬼の沈静化、野良の亜神一体、裏切ったウクバル国の無血開城。それから、クラパリーチェと名付けられた魔術師の娘の参加。以上は鳥を通じて北方限界国へ報告された。

 そして一向はウクバルの西の山岳地帯、風の国へ向かう。

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