第17話 カトラ地方の洪水2

 シェルウが印章による権限を行使することは、同時に、それを与えた者による首輪を受け入れることを意味する。各種の報告は定期的に行わなければならない。

 テパ領主へ、予定されていた三体の亜神討伐完了と、今しばらく領内に留まらせてもらう旨の報告。タッタ領主への報告にはテパ領での活動報告に加えて、カトラ地方の水害対策に着手すること、必要であれば根回しを頼む旨をしたためた。領主と言えども国王の首輪あってのものであるし、そこで実際にどのようなやり取りが行われているかシェルウには分からない。ただ、無為に敵を作らないためにも、可能な限り"隠れた活動を明らかにしておく"必要ある。

 キリは彼女の仕事のために外出している。グージィに使いを頼むと、街で極力目立たないような、いわゆる普通の格好に着替えた。シェルウがグージィの着替えた姿を見ていると、グージィ顔を覆って出て行った。彼女と同年代の子供たちは、裕福な家の生まれであれば学校へ通い、そうでなければ見習いや家業の手伝いや下働きをする。自らのあり方を決めているキリに対し、グージィはまだその準備段階だろう。選択肢を増やすだけが必ずしも幸福に繋がるわけではないが、もし彼女が別の道を見つけた時はそれを支えよう、とシェルウは考えた。

「グージィを小娘だとお思いですか?あれでもひとりの女ですよ」仕事から戻ったキリは面白そうに言った。

「わたしの感覚だと、成人とはもっと成熟してから認められるものだが」

「いいえ、そういった通例のことではありません。あの子なりに、あなた様を愛しているということです。あなた様との接触の禁は、避妊のやり方も知らずに隠れて妊娠されては困るという理由も大きい」

「え?」

「そういうわけですので、彼女に別の道を示すことは残酷と言えます。あなた様の優しさには感謝しますが、いずれあの子を受け入れる方向でお使いになられた方がよろしいかと」

「なぜ?わたしはなにか彼女に好かれるような理由があっただろうか。未だことばさえ交わしたことがないのに」納得できないシェルウに、キリは目を細めて言った。

「亜神の肝を持ち帰ったわたしに、女たちからどれだけ羨望の眼差しが注がれたことでしょう。それに、半神の英雄様に惹かれない女は、少なくとも集落にはまずいません。声をかければ全員が全員集落を出たがったことでしょうね。さらにはそのお顔まで甘くいらっしゃる。その点でも、あなた様の"連れ出すのは一人だけ"という提案は非常に残酷なものでした。ああ、本当になんて残酷なおかたでしょう」

 この後に及んで火傷の跡があるし…などともごもご言うシェルウに対し、傷跡どころか欠点でさえ、愛する者にとっては魅力に見えるものだ、とキリは諭した。


 ギルドを介して集めたカトラ地方の探索者は四人で、案内役の山の民の流れの男、知の神の信徒である初老の学者、彼らを守る傭兵の大女、そして斥候の女。皆くせ者揃いの強者だった。中でも斥候の若い女は山の中でも木から木へと飛び移りながら進み、目は猛禽のように見渡せるという。鍛錬の他に、いずれかの神の加護があるのだろう。

「少々優秀過ぎるので、ギルド管轄の者ではなさそうですが…今後の雇用も考慮して良いかもしれません。あなた様を知れば独立心が削がれる点と、功名心からの裏切りの危険が少ない点は、女であることの利点です」

 キリの話はいまいちシェルウの腑に落ちなかったが、おそらく今後を見越しあえて女の探索者を選んだのだろう。キリが知らない景色をシェルウが知るように、シェルウが知らない景色をキリが見ていることは十分に分かっている。

 カトラ地方への往復に四日、探索に七日間。一行は竜で山間部へ向かったが雨足が強く、徒歩で災禍の中心部へ向かった。中心の目星が付いていた理由については、天と支川と木々が生み出す相似性の乱れが…などと、学者による数字と記号を交えた別紙の報告書に記載されていた。

 ぬかるんだ山道でも歩みを止めず、破棄された山の民の集落を経由しながら進んだという。人外の気配を雨の中に感じ取りながら慎重に。学者が目星を立てた場所には寺院があり、おそらく山の民がその神々を祀るものだったのだろう。その寺院が、泡のような頭を持つ、異形の人間たちに占拠されていた。はるか昔にその名前を禁句とされ、追放された原始の神のしもべである。


 人が神を見ようとするとき、神は己の方に則った善意で人々に干渉する。現世で広く信仰される神々は、人の法に近い価値観を持ち、利益のある神が多い。例えば光の神の祝福は生命力と社交力を高め、邪な者を退ける。知の神の祝福はその名の通り知恵を授ける。広く信仰を得た神は、それだけ人間への大きな影響を持つようになり、その名を呼ぶだけでも弱い祝福が得られるようになるという。

 一方で、その祝福が人を害するような神、その善意によって祈る者を焼き払ったり、"降臨するだけで周囲を狂気に陥れるような神"は、名前を禁句とされ、人間の方から接触を絶たれた。こうして封印された神を"原始の神"と呼ぶ。祈る者を異形に変える祝福は、原始の神の特徴のひとつだ。

「そこで探索を打ち切ったのは正解だ。泡頭のしもべたちは、取り込まれた山の民だ。近づけば、探索者たちも取り込まれていただろう」

「つまり、土着の神々の寺院が"原始の神"に乗っ取られたと。学者の推測によれば、土着の神が影響を受けるほどであるから、寺院内部で降臨の秘儀が行われているのではないかとのことです」


「爆薬を運ばせて、寺院を吹き飛ばしてはいかがでしょう」キリが提案した。

「いや、泡頭が山の民である以上、彼らを殺すわけにはいかない。亡者と違い、まだ生きている。我が主の禁忌に触れてしまうし、彼らを解放できればまだ助かる可能性もある。寺院の破壊による土着の神々への影響も抑えたい。やはりわたしが行くしかないだろう」

 ふたつ問題がございます、とキリは言った。

「ひとつは現地に降り注ぐ雨です。ぬかるんだ山道を進むことは、熟練の探索者でさえ困難です。氾濫した支川も寺院への接近の妨げになっている。人外の奇襲も考えられる。歩くだけでも困難な山中を、あなた様とわたしだけで向かうには危険すぎます。探索者を護衛に立てるにも、禁忌に抵触する可能性が増す。混戦においては敵も味方もなくなる場合があります」

「ふたつめの問題は、寺院についたあとです。泡頭に武器が通じるとしても、わたしや探索者が伴えばやはり混戦になりかねません。ただ、それは一旦置きましょう。おそらく寺院内部には、巫師か使徒に値する指導者がいる。最悪の場合、顕現している原始の神そのものと戦うことになります。わたしには神のことは詳しくわかりません。しかし、亜神よりもはるか格上の存在を相手に、あなた様は勝てるのでしょうか」

 道中はシェルウが足手まといとなり、寺院ではキリや探索者の身に危険が及ぶ。やはり亜神討伐と同じやり方、シェルウ単身であたらなければならない。

「わかった。ひとつめの問題を解決するために、まずは一旦、雨を止ませよう」

「…そんなことが可能なのですか?狂った土着の神の力です。生半可な祈祷では効かないでしょう」

「雨が止めば竜で現場へ接近できる。ふたつめの問題は、わたし自身で何とかしよう」

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