第4話 ファーストコンタクト

 地上に出たシェルウは、暗い森の中、ランタンの灯りを頼りにさまよっていた。彼が生まれてはじめて出会った生身の人間は、全身が鱗で覆われた、円錐状の頭部を持つ種族だった。その声は木筒を打ち鳴らしたようで、シェルウには聞き分けることができないものだった。

 先に気がついたのは原住民の方で、遠くからシェルウの様子を伺っていた。装飾品などからの印象として、彼らは闇の神に属するものを信仰しているようだ。シェルウの仕える死の神とは比較的近しいが、それだけの理由で友好的であるとは全く言えない。

 彼らの警戒を考慮し、シェルウがゆっくりとして身振りで”自分”の”場所”を尋ねると、彼らはある方向を指し示した。シェルウは感謝の動作の後、示された方へ進んだ。身体構造が離れすぎた種族とはあまり関わらない方がいい。もし意思疎通の手違いで敵対することになれば、それだけで禁忌を侵すことになる。


 強烈なにおいと身体の重さにうんざりした。地上の生活でこれがずっと付きまとうのかと思うと、気が重くなる。歯車の内臓が痛んだ。長く歩くと疲れる。背嚢が肩に食い込む。休息、空腹。シェルウは時間を発見した。その目まぐるしさにシェルウは苛立ちさえ覚えた。

 しばらく進むと牙を向いた獣が現れた。せっかく這い出たところで冥府に逆戻りすることを考えたが、飢えた獣はシェルウに飛びかかるより先に崩れた。シェルウの身には何も変わりがない。どうやら”敵を作るな”という禁忌は、シェルウに過失がなければ当たらないようだ。

 何度か眠りながら歩を進めると、遠巻きに人の気配が隠れていることに気づいた。闇に目をこらすと、女たちの姿が見える。人間のかたちとしてはシェルウに近いものであったが、赤い肌と青い髪を持っている。こちらへの対応を決めあぐねているようだ。

「街へ行きたいのだが、道を教えていただけないか。街というものが今もあるのなら」

 地上ではじめて聞く自分の声は奇妙だった。


 娘たちに、石のような肌の人外が座る祠へ導かれた。冥府の浅層に住む闇の神、その眷属の陪神である。

 陪神には冥神のような大きな力はなく、神の使徒であるシェルウとの上下関係も定かでない。居丈高に振る舞う必要はないが、過度にへりくだるような振る舞い方は、シェルウの主、リエムメネムの威を損なうおそれがある。友好を築ける人外と接する際は、人の身としての立場と、半神としての立場をうまく使い分けていかなければならない。

 お互いが礼を示した後、陪神バルベターチェコリはしゃがれた古い言葉で語った。かろうじてでも、言葉が通じるのはシェルウにとって大きな助けである。

 陪神のことばによると、最も近くの街でさえ、歩く間に季節が変わるほど遠い。集落の子は竜を使い街へ行く。取引を受ける、というものだった。シェルウは片言で、竜を借り受けること、そして情報の対価を申し出た。陪神はシェルウの持ち物の中から、守り人のランタンとアムリタのふたつを指し示した。強い祝福を受けた品であり、みだりに譲り渡すことは当然許されない。またそれとは別に、灯を失えば森を進むことすら危うい。

 情報提供および竜を借り受ける対価としても高すぎるように思えたが、シェルウは考えた。闇の神は公平な取引を尊ぶ。眷属といえどもその性質は変わらないはずである。そうであるなら、案内の道すがらに危険が伴うといった理由があるのだろう。地上のしきたりについては、自分が断片的にしか持ち合わせていないことを考慮しなければならない。


「我が声を聞かせることをお許しください。わたしが案内を努めさせていただきます。どうかよろしくお願いいたします、主様」

 キリという若い娘は、シェルウにとって馴染みのある言語を使うことができた。集落の中でも、人里での作法については最も得意だという。

 他にもキリは竜塚へ案内する道中で、狩りができること、その解体から料理までできること、街での交渉ごとも慣れていること、他種族のあれこれについても勉強してきたことなどを話し、シェルウはそのいちいちに感心した。またキリは得意げに、夜の作法も座学としてなら心得があること、まだ子を産んだことはないが、婆様には問題ないと言われていること、下の子たちの面倒にも慣れていることなどを話したが、これをどのように返すのが正解かシェルウはよく分からず、曖昧な賞賛を送った。


 キリの先導で岩肌を登ると空が見えた。日の光に目が眩む。この暴力的な光をもたらす神は、さぞかし乱暴者なのだろう。

 竜塚には四匹の竜が止まっており、他の場所にも備えがあるそうだ。竜は肉でも草でもよく食べ、みな穏やかな気質だという。そのうちのよく調教された一匹を指して、キリは言った。

「その竜も、今やあなた様のものです。ことばを解し、主によく従います」

 シェルウは納得した。陪神の取り引きで、シェルウは竜を借りたのではなく、譲り受けたのだ。シェルウの"借り受ける"ということばが、”わたしが地上に生きる間借り受ける"と解釈されたのだろうか。なんにせよ、足が確保出来たのは喜ばしい。

「ここまで案内ありがとう。バルベターチェコリによろしくお伝えください。それでは。冥神の祝福があらんことを」

「お待ちください」

 竜に跨ったシェルウをキリは制した。表情がこわばっている。

「チェコリ様に恥をかかせるおつもりですか」「え?」キリの瞳に涙が浮かびはじめた。

「死の神の使徒にとって、闇の陪神の贈り物とはそこまで軽んじられるものですか。死の神がいくら強大であったとしても、その使徒とはそこまで傲慢に振る舞えるのでしょうか。許せない!」

 どこか作法を間違えたのだろうか?かつて習った知識を鑑み、礼に即するよう注意を払ったつもりだ。しかし交渉中ならともかく、別れ際でこういった指摘を受けるとは、シェルウは考えても見なかった。とにかく敵対はまずい。禁忌に触れるだけでなく、この娘が死んでしまう。

「いったいどういうことだろう。冥神ということばが失礼に当たるとも思えないが」

「わたしを…ここに打ち捨てて行かれるおつもりなら、どうかこの場で殺してください」

 キリは涙を流し始めたが、幸いにも未だ敵意はない。何かかけ違いがある。この場で誤解があるなら、それはきっと彼女ではなく自分の方だろう、とシェルウは考えた。

「すまない。わたしは今、状況を正しく理解できていないようだ。どうか、はじまりから状況を説明してもらえないだろうか」

 キリは深く息をついてから言った。

「闇の陪神バルベターチェコリは死の神の使徒との取引によって、冥府の祝福深き神秘の燈と竜、アムリタと娘のひとりを交換しました。今、わたしの主はあなた様なのです」

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