19.鬼の宴

 枝と葉に覆われた頭上は、わずかな隙間から空が見えた。いくら日が落ちるのが遅くなってきた季節とはいえ、確実に夜は近付いている。夜になればなるほど妖は力を増し、凶暴になってしまう。そうなる前に、本体を叩きたい。




 蒼は目をつぶって、周囲の気配を探っていた。姫織がその手を引いて慎重に歩いているのが分かる。近くにいる一鞘も、周囲を警戒しているはずだ。


 本体を探すにあたって、重要なキーとなるのは他でもない、人一倍邪気に敏感な蒼だ。一鞘も姫織も、この濃厚な邪気の中で個体を感知するのは自分には無理だと言い切った。蒼としてはそういうものなんだろうかと判然としなかったが、とりあえず蒼が気配を探ることに集中することに決まった。


……目を閉じた方が感覚が鋭敏になるので、その状態で探ることとなったのだが。


「つっ……かれたぁ!」


 とうとう集中力がもたなくなって、蒼は地面にどっと座り込んだ。あまり安全とは言えない行動なのは分かっているが、そろそろ限界だった。何度も植物に襲われて逃げ回っていたせいで、体力も万全とは口が裂けても言えない。


 姫織は蒼以上に、隣でぐったりとしていた。蒼と一鞘ほど体力がないにもかかわらず走りまわされているし、常に周囲に気を配っているのだって神経がすり減るに決まっている。


「この妖、頭まわり過ぎないか」


 一鞘がうんざりした様子で言った。蒼と姫織のように座り込んではいなかったが、さすがに疲労の色が見て取れた。ずっと2人をフォローしていたのだ、無理もない。


「こっちが本体を探してるって、分かってるみたいだったよね……」


「というか、絶対分かってるだろ」


「……上位の妖、むかつく」


「姫織⁉」


 姫織の口から姫織らしからぬ言葉がボソリと落とされ、蒼はギョッとした。しかし姫織は眉間のシワを深く刻んだままだ。


「……こいつ、結構こういうところあるぞ」


 一鞘が蒼にだけ聞こえる声で忠告した。


「そ、そうなんだ……」


苦笑混じりにつぶやいた蒼は――その時、不自然な音を聞き取った。


(……え……⁉)


 蒼はぱっと、周囲を見渡す。


「? おい」


「……どうしたの」


 何故森の中で、しかも妖に占拠された中で、こんな音が。2人に応える余裕もなく、蒼は耳を澄ませた。肌で感じ取れるものではない。ただひたすらに、聴覚だけが頼りであった。


「おい、聞いてるのか」


「しっ」


 焦れたような一鞘の声を、鋭く制していた。耳でしか追うことができない。他の音はすべて邪魔だった。


 一鞘と姫織は、それ以上何も言ってこなかった。ただ、黙って蒼をじっと見つめる。


 蒼は慎重に音の流れてくる方角を探った。試しに数歩歩いてみる。耳を澄ます。また歩いてみる。立ち止まる。


 そうしている内に、どこから音がやってくるのか、とうとう分かってきた。迷いをなくした足取りで、蒼は進み始めた。やがて、聞き間違いにさえ思えた場違いな音が、現実の音であることがはっきりと分かった。


 ――ちり、とて、ちん。


(……聞き間違いじゃなかった)


 雅やかで、不気味で、賑やかな。


 ――ちり、とて、ちん。


 愉しげな音色は、ますます近くなる。


 ――ちり、とて、ちん。


 進むにつれ、視界が明るくなる。


 ――ちり、とて、ちん。


 鼓、笛、三味線。



 ――ちり、とて、ちん。



「……!」


 とうとうその場所に辿り着いた蒼は、こみ上げてくる悲鳴を必死に抑えた。口に両手を当て、それでも呼吸が震え上がった。


 蒼の後から続いていた一鞘と姫織もまた、驚愕に目を見開いていた。動揺を隠し切れず、息を呑んだのが分かった。


 そこは、広場のように開けた場所だった。ぐるりと周りを木々が綺麗な円状に囲っている。広さ自体は大したことはなく、蒼達が普段講義を受ける教室よりもやや狭いんじゃないだろうか。


 そんな空間で――鬼達が、宴を開いていた。


 絵巻物からそのまま飛び出して来たかのような、恐ろしくも目を離せない姿だった。赤い肌。ぎょろりと飛び出した目玉。白っぽいざんばら髪に添えられた角。


 大きく避けた口からは、2本の牙が突き出ていた。手足はひょろっとしているのに、腹だけはでっぷりと膨らんでいる。腰にみすぼらしい布を巻きつけているだけで、後は何も身に付けていない。


 姫織よりも、みんな背は小さいんじゃないだろうか。数は10匹ほど。赤々と燃える火を囲み、ある鬼は鼓を叩き、ある鬼は笛を鳴らし、ある鬼は三味線を弾いている。それ以外は、楽器の音色に合わせ踊る。


 どこからどう見ても、鬼の宴であった。


「……どういうことだ? 何で小鬼なんかが」


 その光景を凝視したまま、一鞘が声を潜めて言う。茂みから覗く蒼達に気付く様子もなく、鬼達は宴に興じている。


 ――植物体の妖の本体を探していたら、まったく別の妖がいました。


 想定外の事態に、一鞘や姫織も困惑しているようだった。


「……元々、ここに住んでいた妖?」


「多分、違うと思う」


蒼はつぶやいていた。


 ――ちり、とて、ちん。


 宴の炎に照らされ、茂みの中にも明かりの欠片が入り込む。すぐ隣にいる姫織と、そのさらに向こうにいる一鞘の真剣なまなざしを受け、蒼は慎重に口を開いた。


「楽器の音がして、変だなって思ったから、ここまで来たんだけど……邪気はまったく一緒なの」


「まったく一緒?」


「うん。もしこの森に他の妖がいたら、邪気が違うなって、分かるハズなのに……」


 蒼自身も混乱している。再び鬼達に顔を向け、目を凝らし、耳を澄まし、感覚を研ぎ澄ましてみても……、


「……森の邪気と鬼の邪気、まったく同じなの」



 そう言った声は、確かにひそめていたはずだった。――しかし。



 鬼達が突如、ぐるりと首だけをこちらにねじり向けていた。


「……!」


 ぎょろりとした異形の目に、蒼は凍りついた。目を合わせてはいけない、と思うのに、視線が縫いつけられて動けない。


「おい、あいつらに反撃して何が起こるか分からない。ここは一旦退くぞ」


「……」


「おい!」


 とうとう焦れたように、一鞘が蒼の腕を掴んだ。しかし。


「……動け、ない……」


「はぁ⁉」


 ――『あぁ、うれしや』


 ――『ヒトがいるぞ、美味そうなヒトが』


 ――『母様が喜ばれるぞ』


 ……そんな声が、聞こえてきて……。


「「蒼ッ!」」


 二重に響き渡った声に、蒼は現実に引き戻された。しかしその時には、鬼達に無遠慮に腕を掴まれ、引きずられ……、


「えっ……――」


 口を開けた地面の中に、放り込まれていた。




 大きな口の中に落とされたハズだが、狭いトンネルを転げ落ちていくようだった。体のあちこちを壁らしきところにぶつけていく。


 そして蒼を急降下させていくトンネルは、気分が悪いが……食道を連想させた。かなり湿っていて、ぶつかる度にベトベトするのだ。……粘液に覆われている。


 そんな地獄のようなトンネルを長い時間(蒼にはそう思えた)は、突如終わりを迎えた。


「うごッ」


 終着点で、顔面からズベッと着地した。体術で好成績を叩き出しているとは思えない無様さであった。


「うぅ……」


 顔がじんじんと痛むが、幸いなことに鼻の骨は折れていないようである。蒼は顔をおさえながら、周囲を見渡した。


「……巨大マリモ?」


 そんな間抜けな例えしか思い浮かばなかった。苔むした、巨大な球状の空間。ところどころに太い蔦や蔓草が這っている。確かに地下に落とされたはずなのに、外よりも明るく周囲を視認できる。


「そうだっ、外!」


 たった今蒼をここまで滑り落してくれた穴の方を、慌ててふり返る。しかしその穴は、あっという間に苔に覆われて跡形もなく消えていくところだった。


「そ、そんな……」


 出口が完全に閉ざされてしまい、蒼は茫然とした。こんなの一体、どうすればいいというのか。みぞおちのあたりに、冷たい感覚が這い上がってきた。


(しかも、あたし1人で――……)


 その時ぐぽりと、すぐ近くで変な音がした。


 え、とそちらを見ると、苔むした壁に蒼が四つん這いで入れそうな大きさの穴が開いているではないか。そして、そこから……――、


「……っと」


 軽やかに着地した少年がいた。余裕のある様子で、たった今自分が出てきた穴の方をふり返る。何かが滑り落ちてくる音が、蒼の耳にも届いてきた。


「お、」


 とこれまた大したことなさそうに漏らして、穴から飛び出してきた少女を簡単に受け止めた。小柄な少女は、あっさりと少年の腕に収まって無事だった。


「一鞘、姫織……!」


 ずっと座り込んだままだった蒼は、思わず立ち上がっていた。そうして、2人に駆け寄りかけたところで、


「「ぶっ‼」」


 ……2人に、同時に吹き出されていた。


「おまっ……顔赤過ぎ……!」


「……マンガみたい……」


 肩を震わせながらの2人の指摘に、蒼ははっとして自分の顔を両手で覆う。


「しっ、しょうがないじゃん! 突然落っことされたんだから!」


 涙目で訴えるが、


「だからって顔から突っ込むかぁ⁉」


 一鞘に珍しく笑い飛ばされた。


 この非常事態にもかかわらず、蒼は2人の笑いが収まるまで待つ羽目になったのだった。

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