11.二大問題児の秘密

 政学の教師は育田柾目といって、ひょろりと痩せた定年退職間近の男性教師だ。その年齢らしい地味な出で立ちだが、ビン底眼鏡が特徴的なので蒼でも顔と名前をすぐに覚えられた。男子は講義中、育田が何回その眼鏡を押し上げるか数えたりしていた。


その育田が抑揚なく説明していくのをぼんやりと聞き流しながら、蒼は両隣をそっと窺った。


右隣の姫織は、いつものように教書とはまるで違う本を読んでいる。今教師が説明していることはすべて知っているのだろう。


左隣の一鞘は、頬杖をついてノートに何やらラクガキをしているらしかった。手の動きが明らかに文字を書く時と違う。


ある意味能天気としか言いようのない2人の様子に、蒼はこっそりとため息を吐いた。


――時は昨日の放課後にさかのぼる。




 ピカピカに磨かれた道場、3人きりの空間。


 そこで打ち明けられた話は、蒼にとってあまりにも重過ぎる話だった。


「――お前、この前おれと姫織の目が同じ、とか言ったよな」


 一鞘に1番触れられたくない話題に触れられ、蒼はビクッと激しく肩を跳ねさせた。


「いっ、……言いました」


「おれと姫織が似てるとも言ったな」


「……言いました」


 蒼は認めざるを得なくてうなだれた。何も2回も確認してこなくても。


「あれな、大正解」


「……。えっ」


 てっきり的外れなことを言うなとか、気持ち悪いことを言うなとか、言われると思っていたのだが。蒼は思わず、顔を上げた。


 一鞘は、不愉快そうな顔も、冗談を言っているような表情もしていない。ただ冷静に、蒼の目を見つめ返すだけだ。そうしてそんな表情のまま、唇を動かす。



「おれら、ふたごだから」



 ――何てことなさそうに言ってのけてくれたが、


「……えっ、えぇぇ――――――――――――――――――ッ‼」


「ばっか、叫ぶな!」


 一鞘が慌てたように詰め寄ってくるよりも先に、別の何かが蒼の口を塞いでいた。「むごっ‼」と蒼の口から言葉じゃない声が漏れ、絶叫はそこでぶっつりと止んだ。


見れば、いつの間にこちらに来ていたのか、姫織が蒼の口を手の平で隙間なく塞いでいたのである。


「……黙りなさい」


 至近距離で地獄の底から這い上がって来たかのような低い声で命じられ、蒼はコクコク、とうなずいた。それを見届けて、姫織が手を離してくれる。


(狭見さん、怖過ぎ……!)


 もしかしたら一鞘より容赦ないんじゃないか。


「……やっぱり信じるんだな」


「えっ」


 一鞘のつぶやきに思わず声を漏らしてしまい、蒼は慌てて自分で口を塞いだ。姫織が素早くこちらに氷の眼光を放ったのが分かる。


「いい、大声じゃなければ」


 そんな2人の様子に、一鞘が呆れたように付け足した。


「お前、おれと姫織がふたごって、あっさり信じるんだな」


「……」


 一鞘が同じことを繰り返し、蒼は思わず口をつぐんだ。


「ただの考えなしの可能性もあるけど」


 いやそれはひどくないだろうか。


「やっぱり目か?」


 蒼が遠い目になっている間にも、一鞘は重ねて尋ねてくる。一体何なんだ、と思いつつ、蒼は渋々とうなずいた。


「それは……、うん。初めて見るタイプの目で、2人とも、本当に、同じだったから。……目だけだったら、どっちがどっちか、見分け、つかなかったかもしれないし……」


 そこまで言ってから、蒼ははっとして2人を交互に見る。


「そうだっ、ふたごって何で隠して……⁉」


「隠した方が都合いいからな、いろいろと。おれら二卵性双生児だから顔似てねぇし」


 蒼は思わず、2人の顔を見比べた。


 姫織は、色素の薄いふわふわの髪。それとは対照的に色の濃い瞳。長いまつ毛に縁どられた瞳が儚げな印象を与える。体も華奢で小さいから余計にだ。


 一鞘は、黒に近い色の髪で癖はないがやや固そうな髪質だ。瞳の色は、髪色よりは少し淡い。少年らしい大きな瞳だが切れ長な印象もある。抜きん出て背が高いわけではないが、決して小柄ではない。


 大人びたところや、どこか達観した言動には近いものを感じるものの、


(……死ぬほど、似ていない)


 それが蒼から見た2人の印象だ。


 だがそれには納得したものの、蒼からすれば不可解な点は多すぎる。


「都合がいいって……、」


「――その前に」


 蒼の問いを遮って、一鞘がずいと顔を寄せてきた。


「今の秘密、守れるな」


 これが他の女子達からしたらもっとときめいたりするのかもしれないが、――すごんでいる以外の何物でもないと蒼は正確に理解した。コクコク、とまたしても無言のままうなずく。


(……何かあたし、泥沼にはまっていってない……?)


「じゃあ次だ」


 蒼から顔を離した一鞘は勝手に話を進めている。


「さすがのお前でも、【五天】くらいは把握してるだろ」


「……してますけど……」


 またしても失礼なことを言ってくる一鞘に、蒼は渋々とうなずいた。本当に信用がなさそうなので、内容にも軽く触れておく。


「龍に仕えてる、五家のことだよね? えぇと、確か武家、綾家、奏家、律家、舞家で」


 こんなこと、龍世の民であれば常識じゃないか。少し不満に思いながら、蒼はふと「あれ?」と瞬いた。



 ――お前【  】か?



 ……以前、そんなことを問いかけてきたのは、


 途端、ぶわりと嫌な予感が這い出てきて、蒼はものすごい勢いで『彼』から視線をそらした。


「……あぁっ、それで、えぇっと五家の人しか龍に会えないんだよね! それで龍に忠誠を誓って人々との橋渡しになってくれてるっていう、ありがたい存在で」


 へらへらと能天気に笑って、どうにかこの場を切り抜けたい‼


「いや~、何ていうか、雲の上の人だよね! 龍から忠誠の印に龍の力を賜ったとか、もう一般人のあたしには想像もつかないっていうか……、」


「――それ、おれらのこと」


 ……蒼の願いは、呆気なく砕かれた。




「え~、それではその龍に仕える【五天】について詳しく説明していきます」


 ビン底眼鏡を押し上げながら教師が口にした言葉に、蒼はビクッ‼ と肩を跳ねさせる羽目になった。慌ててそれを、教書を机に立てて隠す。


 そうだ、今は講義中だった。育田は蒼の様子に気付いた様子もなく、説明を続けている。淡々とした口調で説明するので、場合によっては眠気を誘われる厄介な講義なのだが、今はそんなのん気な心持ちになれない。


 蒼は教書の影から、両隣をそっと窺い見た。2人とも、見事に無反応だ。


「遥か昔、龍と誓いを立てた5人の人間がいました。彼らが【五天】の最初の人間です。そこから、5人は龍の力を参考にして呪力の有効的な活用法を見つけ、人々に広めました。その為【五天】は、術の始祖とも言われています」


 はいここテストに出ますよ、とお決まりの言葉を育田が口にし、生徒達がクスクスと笑った。


「5人はそれぞれ各地に散らばり、子孫を設け繁栄し、それが今の五家に繋がっています。今ではこの五家のことを【五天】と呼んでいます。【五天】について説明しなさいという問題が出た場合は、いつの時代、どういう存在なのかを詳しく書いてくださいね」


 えぇー、と生徒が不服そうな声を上げても、育田は気にしない。考査が苦手な蒼は必死にノートを取らなくてはいけないところだが、まったくもってそれどころじゃない。


「五家は武家、綾家、奏家、律家、舞家に分かれていますが、それがどのように区別されているのかは秘匿とされています。もちろん、誰が五家であるのかも」


 誰もが知っているといえば、知っている話だ。


 龍世には、王や帝といった統治者はいない。それは龍であるからだ。しかし、無論龍が政に携わるわけがない。だから、大政局が政治を管理している。


 しかし、龍によって創られた龍世は特殊な世だ。呪力を秘めた人と邪気を纏う妖とが存在する。大政局があるだけでは、人々の生活は成り立たない。


 五家は、大政局の管轄外である呪力、妖関連の統括を担っているのだ。


「――その為、【五天】は統帥五家とも呼ばれています」


 育田のそんな話で講義は幕を引き、続きは次回に持ち越されることになった。チャイムの余韻がまだ残るざわめきの中で、蒼は思わずため息を吐いた。


「統帥五家だってさ。なーんか雲の上の人ってやつだよなー」


「アレだろ、アレ。殿上人ってやつだろ」


「おっまえ、無理して難しい言葉使うなって」


「はぁ――無理してねぇし⁉」


 すぐ近くで、男子達がそんな話をしている。五家の存在を知らない者は、この龍世になどいない。それは親や学校の講義で教え込まれるからというのもあるが、五家に関する創作が出回っているからというのもある。いろんな設定の物語があって、最近その内のひとつが蒼達の世代で流行っていた。でなければ、男子達が講義が終わっても講義の話をしているなんてこと、まずない。


 「オレ会ってみてぇ~」「やっぱ顔はいいのか⁉」「いやそれ五家に関係あんのか?」と男子達は騒いでいる。そこへ、


「そういやさぁ~、五家についてのウワサ知ってるか?」


 1人の男子が、話に入り込んだ。ノートをしまっていた蒼は、そちらに顔を向けていた。その男子は他の男子達に顔を寄せてはいるが、声量が全然ひそめられていなかった。


「――東間研修学校に、五家が通ってるってウワサ!」


 ガタンッ‼


「……? どうした、静井?」


「へっ……」


 その呼びかけに、我に返る。見ると、五家の話をしていた男子達だけでなく、そのさらに周辺にいたクラスメイト達もこちらをふり返っている。


そこまで把握して、蒼はようやく、自分が椅子を蹴って直立していたことに気が付いた。不思議そうに声をかけてきたのは、五家の話をしていた内の1人だ。


「お前っていっつも唐突に立ち上がるよなぁ。せめて静かに立てって」


「静井さん、椅子倒れちゃってるよ。ほら」


 五家の話に加わっていなかった女子が、倒れてしまっていた蒼の椅子を立たせてくれる。それに「ありがとう」を言う余裕もない。すると、男子の1人がにんまりとした笑みを蒼に向けてきた。


「はは~ん……」


冷や汗ダラダラの蒼の顔を、彼がずいと覗き込んできた。蒼は完全に硬直する。そんな蒼の反応を見て、男子はさらに勝ち誇ったような顔になった。


「静井、さてはお前……、」


(ばっ、バレた……⁉)


 蒼は生きた心地がしない。――だが。


「……【五天】の隠れファンだろ‼」


「……。へっ?」


 ズビシ‼ と指を差され、探偵が犯人を暴くがごとく高らかに宣言される。蒼は目が点になった。その反応を、男子は図星と捉えたらしい。


「やっぱりな~! しかもお前、ウワサだけでそんなにいいリアクションするとか、かなりのディープファンと見た」


「へぇ~、意外だなぁ」


「そうかぁ? 静井はめっちゃ夢見そうなタイプに見えたけど」


「安心しろよ静井、このウワサどう考えてもデマだからさぁ」


 男子達が口々に言い、ウワサを口にした男子までもそんな風におかしそうにしている。蒼は思わず食いついた。


「そっ、そうなの?」


「そりゃあそうだろ。こんなしがない庶民が集まる学校に【五天】様々が通うワケねぇじゃん」


「だよなー! いくらなんでもデマ過ぎ」


「お前、もうちょっと信憑性の高いネタ用意しろよ」


「兄ちゃんが言ってきたから、一応?」


「いや一応って」


 男子達は、もう蒼を置いてきぼりにしてワイワイしている。


 ほーっと蒼が息を吐き出した、そこへ。


「……静井」


 蒼にしか聞こえない声量で、そして低い声で呼びかけたのは一鞘だ。怒気をどうにか押し殺しているのが伝わってきてより恐ろしい。


「……はい」


「……昼休み、図書館裏に来い」


「はい……」




 そして昼休み。


「――何で【五天】じゃないお前が挙動不審になってんだよッ」


「す、すみませーんっ‼」


 指定された場所で、姫織が防音の結界をこっそりと施すや一鞘に雷を落とされた蒼である。まるで上司と部下だ。


「お前な、いくら口がかたいとしてもその態度じゃバラしてるも同然だろーが!」


 蒼を叱り飛ばす一鞘の横で、姫織は木の根に座り込んで本に読みふけっている。あまりにも他人事と割り切り過ぎているところがこちらもこちらで鬼畜である。


「いいか、こっちはこれ以上おれらのことを知ってる奴を増やす気はないんだよ」


「ご、ごめん……次からは気を付ける」


「当たり前だ」


 一鞘は手厳しい。


(……何でこんなことに)


 蒼はこっそり、はぁ、とため息を落とした。

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