5.呪学

 呪学は、主に術について学ぶ科目だ。


「えー、では今日から、術を構成する基本的な4つの要素に入る」


 呪学の担当教師は、すらりと背の高い30歳前後の男性だった。名前は国母大河。鋭い目つきにもかかわらずどことなく愛嬌がある教師だ。天然パーマなのかくしゃくしゃの髪。生徒に親しみを持たせる、どこか緩さのある喋り方。そのあたりが理由なのだろう。


 しかし、このクラスの人間に限って言えば、さらに追加する要素がある。問題行動ばかりの一鞘と姫織をまったく叱らない、数少ない教師の1人なのだ。二大問題児が我関せずなら、国母も我関せず。初日に「質問して答えられなかったら卒業するまでイジり倒すからな」とニンマリしながら宣言しただけであった。……いやこれを「だけ」と言っていいのか。


 とにかく、そんなわけでまったく怒鳴り散らさない国母は、生徒達に人気なのであった。


「あー、やっとかー」


「ここまで長かったぜ……」


「こないだまで、つまんなかったもんね」


 そこかしこで口々に言う声が聞こえる。これまで、呪学はずっと術の歴史を軽くさらってきていた。ようやく実践的なことに入れるので、生徒達は国母の言葉に喜んでいる。


「んー、じゃあ、静井」


「えっ、あ、はい‼」


 突然名指しされて、蒼は飛び上がらんばかりに驚いた。その反応に、クラスメイト達がおかしそうに笑っている。「いいリアクションをありがとう」と国母にまで言われ、蒼は赤くなった。


「その4つの要素全体のことを、何て言う?」


「えっと、四礎です」


 これについては、初等学校でも習っている。うなずいた国母に「じゃあその4つは?」と更に問われ、蒼は周囲に注目されている落ち着かなさに耐えながら答えた。


「〈焔〉、〈水流〉、〈大気〉、〈地心〉……です」


 父からも教わっていることだ。だから、自信がないわけではないのだが……、何故だろう。国母のあのニマニマした笑い方は。悪意は感じないが、からかおうとしている感じがすごい。


 「正解」と口にした国母が、更に問いを重ねてきた。


「じゃあ静井、その四礎は呪力と術、どちらに属する?」


「はいっ⁉」


 さすがにそれは初等学校からもお父さんからも習っていないんですが⁉ と頭が真っ白になった蒼である。目をまわしていると、国母が笑いながら補足してくれた。


「どっちの基盤かってことだ」


「え、えーっと、……呪力?」


 だって、それが四礎の4つに分けられているのだから。


「残念、正解は術だ」


「えっ」


 存外バカにする風でもなく肩をすくめてみせた国母に、蒼はぽかんとした。国母は蒼個人ではなく、教室中を見渡した。


「呪力は、ただ呪力としてそこにあるだけだ。それを四礎というものに変換して組み合わせれば、術となる。つまり呪力から四礎を作り出し、四礎から術を作り出すというわけだ」


 国母が、黒板に「呪力→四礎→術」と書いた。分かるような、分からないような。


そんな蒼の表情を見ていたわけではないだろうが、「そうだなぁ……」と国母が思案する様子を見せた。


「まず、呪力というのは人が元々持っている力だ。みんな誰しも血が流れるし、感情があるし……というのと同じ。呪力は誰もが当たり前に持っている。対する術は、呪力を上手いこと使おうとした結果のもの。つまり人が作り出したものだ。技術だ」


 そこまで言って、国母はついさっき書いた黒板の文字をコツコツと指で叩いた。骨張った指なのだろう、小気味良い音が響いた。


「術にする為には、呪力を分かりやすく分類する必要があった。そこで四礎という4つの分類に分けた。――つまりどういうことだ、狭見」


 今度は蒼の右隣に国母の視線が向かった。ずっとまた教書じゃない分厚い本に読みふけっていた姫織が、静かに顔を上げた。


「……術を作り出そうとしなかったら、四礎は存在しなかった」


 あっ、と蒼は小さく声を上げた。ようやく、言いたいことが分かってきた。つまり術も、それを作り上げる四礎もまた、人工的なものなのだ。国母も「その通り」とうなずいて、更に補足した。


「だからこの場合、四礎は術に属すると言える。それに、あくまで四礎――4種類に分けたというだけであって、まだ発見されていない5種類目がある可能性もなくはないわけだしな」


 はいこのあたりテストに出すからなー、と国母がいい笑顔で宣言し、生徒達から「えー」と非難の声が飛び交った。それを華麗に無視した国母と、蒼はばっちり視線がかち合った。


「分かったなー、静井」


「あっ、はい……」


 念を押すように言われ、蒼は戸惑いながらもうなずいた。うん、うんとうなずく国母は笑顔だが、蒼は笑みを返せなかった。


 ……だってまた、あのニマニマとしているのだから。


「俺、実は最初に答え言ってたんだぞ」


「はい……はいッ⁉」


 国母の愉しげな発言を受け流しかけ、蒼はギョッとして目を見開いた。


「俺は最初に言ったぞ、『今日から術を構成する基本的な4つの要素に入る』ってな」


「………………」


 ダメだ、まったく思い出せない。しかしとりあえず、国母が生徒をイジるのが大好きであることは、よく分かった蒼である。蒼の唖然とした表情に満足したらしい国母が、「さて」と何事もなかったかのように講義を再開した。


「術は基本的に四礎の内どれかを用いて構成するが、例外がある。それは何だ、沖代」


 今度は全然違う席の男子が名指しされた。「はーい」と軽い調子で返事をした男子は、特に緊張した様子も見せずに答える。


「結界と呪詛ですよね?」


「その通り」


 国母のうなずきに、沖代が「よっしゃあ!」とガッツポーズをし「調子に乗るなー」と釘を刺されている。これもまた、初等学校で習っている初歩の初歩の知識だ。……そう、なのだが。


(……呪詛……)


 蒼は思わず、膝の上に置いていた手でキュロットをきつく握り締めていた。ほんの少し、ぐっと心臓を握られたような苦しさがこみ上げる。


 ――蒼は呪詛が嫌いだ。自分から、父を奪った術だ。


「まず結界だが……」と国母が嫌じゃない方の話に触れたので、蒼は気を取り直した。


「これは四礎を用いたものとそうでないのとに分かれている。四礎を頼らないで構築する結界は、四礎を使わない代わりに呪具や龍脈を用いて術を固定化している。どちらにせよ、地の利を活かしたものがメジャーなんだが」


 呪具とは呪力の宿った道具のことで、実は四礎の構成からは外れたものとして分類されている。


龍脈は、龍世の地に血液や葉脈のように流れている龍の加護を指している。その昔、天龍が地に落ち死んだときに流れた血がそのまま龍脈になったと言われている。龍脈の流れているところには、妖がほとんど出没しない。その為、人の住む街や集落は龍脈のあるところに集中している。


「先生ー、チノリを活かしたものって?」


「……お前のその言い方だとこっちになっているぞ」


 先程名指しされた男子に半眼になった国母が、黒板に「血糊」と書いた。教室に、クスクスと笑いが起きる。蒼も思わず笑いを漏らしてしまった。国母は「血糊」の隣に「地の利」と書いてから、質問に答えた。


「俺が言ったのはこっちだ、こっち。要するに、結界を張るその場所や状況の特性を活かすということだな。龍脈を利用して結界を張るだとか、夜間に身を隠す為の結界を〈焔〉に属する影の術で構築するだとか」


 結界についてはまたその内教えるとして、と国母が話を戻した。蒼は思わず、息を止めた。


「呪詛についてもスルーだ。何せほぼ禁忌なんだから」


 えー、と露骨に男子の何人かが聞きたそうな声を上げたが、国母はそれを無視してくれた。とにかく、と自分のペースに持っていく。


「こうやって考えても、四礎だけで呪力ができていないことが分かるだろ?」


 教壇に両手をつき、生徒達を見渡した。見渡し終えてから、「ちなみに」といい笑顔になった。


「俺の講義は基本的に黒板に書かない。要所ぐらいは書いてやるがな。後は自分でノートにメモするように」


 えー!!! と今日1番の不満の声が湧き上がり、しかし国母はまったく余裕の笑みだった。今日は初日だからと、黒板に今の内容を書いてくれる。


 蒼はそんな国母を、嫌いだとは思わなかった。意地の悪いところはあるようだが、こうしてフォローも忘れない。少し李花に似ている。


(……でも、何よりも)


 呪詛の話を、しないでくれた。

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