二の三

 富田につくと、なるほど、聞きしに勝る人の数であった。

 街道も、ひとがいっぱいで、かき分けるように進まないと、いっこうに人ごみから抜け出せない。

 まだ昼過ぎだというのに、気の早い宿屋はすでに客引きにはげんでいる。

 「いらっしゃいまし。いらっしゃいまし。今ならまだお部屋あいてますよ」

 「いらっしゃい。いらっしゃい。こっちは相部屋、大部屋なしだよ」

 「いらっしゃい、いらっしゃい――」

 人いきれにおぼれそうな気分で、どうにかこうにか街道を進む。

 ふと気になって、三之助が後ろを振り返ると、茂平の姿がみえない。

 ――や、これははぐれたか。

 ともかく、この人の波を抜け出さねば、迷子さがしどころではない。

 道を進み、春野街道と南北の街道が交わる四ツ辻を北へ折れると、喧騒の度合いは半分ほどに減り、ようやく腕をふって歩けるようになった。

 見まわしてみるが、やはり茂平の姿はない。

 茂平は春原領内から、ほとんど出たことはあるまい。人ごみと云えば、年に一度の秋祭のときくらいだろう。それにもう歳も歳だ。はぐれた末に行き倒れにでもなったら、と思うと三之助は、気が気ではない。

 さて、困ったな、どうしたものかと思案しつつ、しばらくいくと、こちらにむかって手をふる人影ひとつ。

「旦那様っ」

 大きな声で叫びながら茂平がやってくる。

「なにをされていたんですか。茂平は心配しとりましたよ」

 三之助は鼻白む心持ちだった、心配していた自分にたいして。

 ――まったく、このじいさんは、人の気もしらないで……。


 富田という土地は、春原領の端から一里ほどはなれた場所にある、云ってみれば飛び地のようなもので、そこには代官所がおかれて、年貢や運上の徴収など、収税や公事をとりしきっている。

 ここの宿場は、ふたつの街道が交差する要所で、年中いつもにぎわっていて、そこから吸い上げる諸税は、富田だけでなく春原全体を潤し、そのため、

 ――富田のおかげで四万石。

 と言われるほど、――そうとうな誇張があるのだが――表高二万八千石の春原藩にはなくてはならない財源であった。

 ちなみにそこからは、富田屋という大商人がうまれ、藩上層との癒着も垣間見える。

 そのような土地柄のせいか、もう百年以上も前になるが、代官が大規模な横領をしていたことが発覚した。

 その過誤を繰り返さないために、年に一度、勘定方から数名が代官所に行って、査察を行うことになった。

 査察といっても、百年以上もたつと制度も人間もゆるみ、勘定方の者は帳簿を照らし合わせてそろばんをはじき、数字が合わなければ、補填しておくようにと注意するくらいの、甘い慣例行事になってしまっていた。

 ゆえに、勘定方の面々にとっては、富田行きは、ただの息抜きくらいのもので、遊び半分仕事半分というのが皆の共通した認識だった。

 その査察に、今年は三之助が選ばれた。

 それだけなら、出不精の三之助でも、さほどおっくうがることもないのであるが……。

 もうひとりの担当は、藤川という、三つほど年長の男で、その性格が陰険なのをきらって、三之助は、いっしょに行こうと云う相手の誘いを断って、気楽な――ほんの短い――道中を楽しんでいた。

 その楽しい歩き旅も終わりに近づいた。

 北街道を二町ほど進み、西へ曲がると、代官所の門がみえる。

 門まではゆるい上り坂になっていて、代官所の二階からは、おそらく宿場の様子が手に取るように、見渡せるのだろう。

 あくびをしている門番を横目に、門をくぐる。

 下働きをいれても十数人の小さな代官所ではあるが、館の作り自体はいかめしく、富田の領民を圧するような威容をもっていた。

 玄関をめざしてゆくと、左手の長屋のかどから人が出てき、こちらに顔をむけ、

「まったく、のろまなやつ」

 と嘲弄するように云うのが聞こえた。

 ――ついて早々、嫌な男にあった。

 三之助は急激に気が滅入るのを感じた。

 その男、藤川秀吾ふじかわ しゅうごは、口もとにいやらしい笑みを浮かべて、こちらに近づいてくる。

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