一の五

 それからの日々、三之助は加代を見つめていた。

 いつも、加代が視界のなかにいれば、すいよせられるように、彼女に視線が向かう。

 再会した加代は、三之助にとって、普段みなれた道に不意に咲いた藤の花のように、鮮やかな彩りと、うっとりと心を酔わせる香りをはなつ、気をそらそうにもそらしえない燦然さんぜんとした存在になっていた。

 ある時は、洗濯物を干す加代を後ろからみつめていた。たすきをかけたそでから伸びたふくよかな腕、背中から腰、そして尻のふくらみを、上から下、下から上へとなんども瞳を往復させる。

 ある時は、廊下に雑巾をかけている加代の、うなじから首元のおだやかに反った線、襟もとからのぞきみえる首筋を飽きることもなく見つめていた。

「お隣のおしんさんに、みかんをいただきましたよ、おぼっちゃま・・・・・・もどうですか」

 などと三之助にひとつわたし、加代は手のひらのうえの皮を開いた、みかんの房を、細い指でつまんで、彼女はその唇に運び、にっと美しい弧を描いて目を細めた。その房が口の中に入ると、まるで自分が吸い込まれたような、奇妙な気分になったりした。

 加代は時々三之助のことを、おぼっちゃま、と呼んだ。そして、ごくまれに加代がそう云う、ささいなときでさえも、なにかわからない心地よさが胸を通り抜けるのだった。

 ある日、――加代が戻って一年半ほどした梅雨のころの、えらく蒸し暑い夜のことだった。

 家の者はみな寝静まった、深更。

 どうにも寝付けなかった三之助は、厠に立った。外に出て、身体の熱をさまそうという気もあって、廊下のつきあたりにある裏口へ行く。裏口を出て厠へ行けるようになっている家の間取りなのであるが、その裏口のよこの八畳間の、いつもは閉められている障子が、その日はなぜか開いていて、その奥の四畳半は、加代が寝起きする女中部屋にあてられていたのだが、その八畳と四畳半の間のふすまの隙間から、うっすらと光がもれている。それは、おそらく加代がしっかり閉めていなかったせいで、小指の幅ほどの細い隙間ができていたからで、三之助はふいに衝動にかられ、そちらへと足が向かった。それは、良いも悪いもない、ただ無心の行為で、しかし、三之助は足音をたてないよう、そろりそろりと畳のうえを慎重に歩いた。

 鼓動が高鳴る。

 襖の隙間から、部屋をうかがいみる。

 部屋の真ん中、行燈のほのかな明かりにぼんやりと照らされ、襦袢姿の加代が布団の上に、ちょっとななめにこちらを向いて、立っている。

 三之助の心臓がひとつ、どきりと大きく打った。

 薄明りのなかの加代のその姿は、どこかこの世のものとも思えない妖美なたたずまい。

 手がそっと動き、腰の帯を解く。

 はらりと布団の上に落ちる襦袢。

 そのうえの、一糸まとわぬ白い姿。

 三之助の心臓は、このまま爆発してしまうのではないかというほど、大きく脈動をはじめる。――その鼓動の音さえも、息を吸う音さえも聞こえてしまいそうな静寂しじまのなかで、必死に荒くはずむ呼吸を押し殺す。

 長い首すじから続く丸い肩、大きくふくらんだふたつの乳房、そのしたからゆるやかな弧を描いている腹部、ほどよくくびれた腰、黒々と密生した陰毛、そして、そこから流れる太腿ふともも、太腿から下にいくほど細くしまっていく脚の曲線。

 三之助のあごが震えだす。かたかたと音をたてそうな歯を食いしばってとめようとすると、今度は、首全体が大きく震える、膝が震える。

 加代は片膝立ちでかがむと、床においてあるたらいのなかの水につけてあった手ぬぐいを取り、しぼる。

 うつむいた加代の乳房が膝にあたり、やわらかくぜんたいがつぶれて……、背を立てるとふたたび丸い乳房が現れる。

 そして、膝立ちの姿勢になって、しぼった手ぬぐいで身体をふきはじめた。

 腕から肩、首筋へと、蠱惑的に、煽情的にしごくゆっくりと手が動く。

 手は、首筋から、胸へ。

 胸の上を手ぬぐいが這って、乳房が揺れる。双丘の間を手ぬぐいが通り、また揺れる。

 脇、腹、背と加代は、蒸し暑さで汗ばんだ肌をぬぐい、そこで、手ぬぐいを盥へ。水につけてしぼって、立ちあがり、今度は、それを下半身へ持っていく。

 ももすね脹脛ふくらはぎとぬぐっていく彼女の、ふくよかな乳房が垂れ、尖った琥珀色の先端が彼女の動きとともに振り子のようにゆれる。

 おしまいに股のあいだをサッと撫でる。

 ぜんしんぬぐい終わった加代は、手ぬぐいを盥にもどし、襦袢を拾って立ちあがると、腕を通し、帯をまわす。

 襦袢を着終わってしまうと、盥の水を捨てに部屋から出てくるかもしれないと、興奮しきった頭の片隅で考えた三之助は、足音を立てぬように、そっと、そっと、後ろさがりに、座敷を出、廊下を部屋へもどる。

 座敷の角を曲がったところで、さらりと襖の開く音が……、畳を歩く足音は、そのまま裏口へと向かう。

 加代が外へ出たのを確かめると、三之助は足早に部屋へと戻ったのだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る