第29話 白昼夢

 

『村長は、ご長男に直接お仕えしていたんですよね?』


 幽霊船を見送った日、モイラはそろそろ帰路につこうとする村長に尋ねた。村長はエルフ族でありとても長寿で、ホルトス村が出来た当初から村の管理を任されている。つまりは、前住人のベルホルト・クリオールを知るただ一人の男であった。


『よく存じ上げておりますよ。私がまだモイラちゃんくらいの年頃の時に、お仕えさせて頂きました』


 優しい御方でねぇ、と村長は当時を追懐してしみじみと答えてくれた。しかしモイラは思い出話が聞きたい訳ではなかった。


『ご長男はこの家で何をしていたんですか? 塔の中に何かを隠したとか、村長は知っていますか……?』


 モイラは塔を指さしながら、意を決して尋ねた。村長はつられるようにちらりと塔を見上げたが、頭を振って肩を竦めた。


『私が分かることなど……。住み込みで働いていた執事長なら熟知していたでしょうが、村から通っていた執事たちには知らされないこともありましたからね』


 きっとその方が良いと、主様がご判断なさったんでしょう。そう付け足して柔らかく笑う村長は、家門を開けて通りに踏み出した。モイラが後を追って通りに顔を出すと、蹄をならして一頭の馬が近づいてくる。昔から村長の足となる相棒だった。


『この通りを歩くと、あの頃を思い出しますよ。リビアは自由貿易を手に入れ、反対にエストスは聖魔の種族間抗争が勃発した最中……大陸は自由に渇望し、リビアは自由に喜んだ、そんな時代でした。対局の国に挟まれて過ごした主様の元には、とにかく客人が多かったですねぇ……』


『お客さん? 通行人が寄っていくってこと?』


『通行人も寄りましたし、わざわざやって来る者も……』


 村長が覚えているのはそのくらいで、わざわざ尋ねてくる者の素性など知らされなかったという。モイラは大きな疑問を抱えながら、村長を見送ったのだった。









 モイラがビューローの上から持ち出した一冊、『貴族と変革―バルリオス家の繁栄と衰退―』は、副題の通りバルリオス家に焦点を当てたものであり、主人公はバルリオス家の長男ウリセスであった。ブランチを終えた後、午後に差し掛かってまで通読に時間をかけたモイラは、ロッキングチェアに凭れながら読後感に浸っていた。




 その昔、リビアに暮らしていた半牛半人のバルリオス男爵は、貴族間の抗争に巻き込まれ失墜した。財産略奪、一家離散に追い込まれ、長男のウリセスは家族と爵位を取り戻すため闘牛士に転身する。自らも大きな牛角を持つ身でありながら、同族の闘牛と戦う姿は倫理的に許されるものではないが、剣と布で同胞をあざ笑い、時に角を突き合わせて闘うウリセスの姿に人々は熱狂した。混迷するウリセスが種の誇りと貴族としての生き方に葛藤する姿を書いた伝記である。




「すごいなぁ……家族の為に、仲間と闘うんだ。でも、その仲間の遺体はお肉にしちゃうんだよね、闘牛だし……なんだか、アタシなんかには分からない世界だなぁ」


 モイラはロッキングチェアを揺らしながらもう一度本を開いた。はらりと捲ったページには挿絵があり、精密に掻き込まれたウリセスが描かれていた。頭に大きな闘牛の角を持つ青年が、闘牛士の煌びやかな衣装を身に纏っている。手に持っているのは有能な闘牛士のみが削ぐ事を許される牛の耳のようだ。すがすがしいとも取られかねない笑みを浮かべている彼の表情を見ていると、ぞわりと背筋が震えた。なんとも言えない読後感の悪さに苛まれながら、もう一度裏表紙に挟まっている紙を引っ張り出すと、モイラの気持ちを代弁するように、書き出されている。




『私はこの本の主人公が嫌いだ』




 本を読み終えた今なら、長男のこの一文に深く共感ができた。このまま感想文が続くのかと思い続きを読んでいくと、この紙を挟んだ本当の意味を理解できた。




 『解説』だ。この紙切れの正体は、この本の『解説』。


 凸凹した道を舗装するように、リビアに住んだことが無い者が読んでも解るようにたくさんの補足が書いてある。長男が抱いた感想を折りまぜながら、バルリオス家がなぜこうなってしまったのか貴族の視点から解説しており、その上で貴族にも変革が必要ではないかと問う形で締めくくってあった。




 貴族が貴族の変革を訴える――、本家から離れた長男ならではの意見だと思えた。


「バルリオス家にクリオール家……貴族ってすごいなぁ……。アタシが全然知らない世界だわ」


 ホルトス村にいるだけでは決して出会えない一冊、知ることのできない世界を垣間見ることができた。心の中を淀ませるこの読後の悪さを差し引いても、知らない世界を知れた感動は大きかった。長男が添えてくれた解説があるお陰で、本の世界がより鮮明に映る。


「そっか、読んだ人が読みやすくなるように、解説を入れるのね? なんだかすっごい親切だわ……」


 親切と言葉を使って初めて、モイラはちぐはぐした現実に気付いた。自分が読むための本にどうして『解説』を付ける必要があるのだろう? こんなに親切に、わざわざ紙にまとめて挟んで。


「……もしかして」


 モイラは腰を上げ、急いで塔に向かった。




 ビューローと小机の周りにランプを下げ、モイラは再び紙の山に向き合った。いつの間にか付いてきたゴールデンを横目に、ビューローの上に置かれた本――右側のもう一冊を手に取った。そこに挟まっている紙切れも、はやり『解説』だ。変わって左側の本には紙が入っていない。


「やっぱり……長男はここで、解説を本に挟む作業をしていたんだわ!」


 一体どうして? その答えは紙の山を漁っていたゴールデンが見つけてくれた。


「モイラよう、主様はもしかしたら、本を売ってらしたんじゃねぇかい?」


「……やっぱり、ゴールデンもそう思う?」


 不特定多数を想定して作る『解説』は、つまりは他の誰かに読ませる為にある。本が欲しい誰かがいて、その者は他人で、例えばホッパーのような商人を通じて手渡すからだ。


 モイラは帳簿や購買リストなどがあるかもしれないと思い、ゴールデンと共にあちこちの引き出しを開けて探した。すると思った通り手書きの帳簿が発見された。几帳面な文字の羅列は全て本のタイトルで、線を引かれたりチェックが付いていたり、数字や文字の付け足しが所狭しと書き込まれている。


「……そっか、長男はこの家で、本を売るお仕事をしていたんだ……」


 モイラは壁一面の本棚を見渡して、感嘆の吐息を漏らした。ここにあるもの全て、長男が取引して集めたものだと思うと壮観であった。


 ただただ呆然としていたモイラは、ふと天井を見上げた。螺旋階段の最上部は、相変わらず真っ暗で見えない。


 図らずも長男と同じように、自分は本に関わる仕事をしようとしている。ホッパーが取り付けてきた商談だから偶然に他ならないけれど、モイラは運命のようなものを感じていた。


「……これは、偶然なのかな?」


 ふと、胸に浮かぶ疑問。文机の上でお座りをしていたゴールデンが、耳をピンと立てた。


「……私は、自由になりたくて、この家に引っ越してきたつもりだったけど、……本当は『無月』に呼ばれたから、この家に来たのかなぁ……?」


 始めて家出をした時、「その時がくればこの家が迎えてくれる」と村長は言った。その時が来たように、大災害の後にモイラはこの家に引っ越してきた。家に迎えられようが何だろうが、村を出られるなら満足だと思い気にならなかった。


 ところが蓋を開けてみれば、本を売っている前住人の家に、本が大好きなモイラがやってきて、自由を求めて国を出た男の家に、自由を求めて村を出たモイラが住んでいる。まるでそうあるべきであるように。


「親の思い通りに生きていくのが嫌だったから逃げてきたのに、此処にきても他の何かの思い通りに使われちゃっているのかな? それって、なんかちょっと、悔しくて……。結局、アタシの存在なんて蔑ろにされてるみたいじゃない?」


 モイラはきゅっと手のひらを握り、精一杯泣かないようにした。鼻の奥がツンと痛くて、腹の底がムカムカする。


 自由だと騒ぎ立て、奔放になったつもりで楽しんでいた現実は、結局のところ誰かの都合を付けるために引き立てられただけなのだろうか。チェスの駒のように都合良く使われる存在であることが、この家に来ても変わっていないのかもしれない。答えが欲しくてゴールデンを睨み付けると、ゴールデンは困ったように頭を掻いた。


「……どうしてモイラが呼ばれたんだろうなぁ?」


 ゴールデンから予想外の質問が返ってきて、モイラは再び困惑した。ゴールデンに尋ねたからとて、答えが返ってくる事を期待しきれなかったが、これ以上解らないことが多くなると頭の中が気持ち悪くなる。モイラは助けを乞うようにゴールデンを見下ろした。


「俺様にはよう、無月が考えていることなんて解らねぇんだぜ。けどなぁ、無月は理不尽に人を使ったりしねぇ。必ず、モイラを呼びたかった理由があるはずだぜぃ?」


「……アタシを呼びたかった理由って、なに?」


「そいつは、俺様じゃぁわからねぇけどよう? 確かなのは、モイラを呼んだ理由を知っているのは無月だけだってことでい」


 モイラはふたたび塔の上を見上げた。あの暗がりの中に、答えがあるのだろうか? 不安で怖くて、いつまでも踏み出せずにいる。するとゴールデンが肩に乗ってきて、短い手でモイラの頬をなでてくれた。


「お前さんはまだ、主様の秘密を知らねぇだろう?」


 ゴールデンは横道にそれていた話を引き戻そうとする。思い出して見れば、長男がなぜ本を売っていたのかは解っていない。けれど、それが何だと言うのだろう? モイラの関心はそこには戻れずにいる。


「……隠れて本を売っていたから、後ろめたくて本家に隠していたんじゃないの?」


 とっとと話を切り上げたくて短絡的に答えると、ゴールデンは首を横に振った。


「あの御方は、そんなことでこそこそと隠れるタマじゃぁねぇよう。根本の理由があるのさ、きっと。そして、それを知ってもらうならお前さんが良かったんだろうぜぃ」


 根本の理由……? 今更何か見落としているというのだろうか?


 長男は、家の厳しさが気に入らなくて、この地に逃げてきたのではないのか? 収入に困ったから、本を商売に選んだだけではないのか? それだけでは、塔に隠さなければいけない”秘密”の価値には足りないのか。




 モイラはビューローの前から踏みだし、螺旋階段の前に立った。外は午後の陽気、けれど窓がない塔の中は暗い。筒の奥を覗くようにほの暗い天井を改めて見上げると、螺旋階段の果てがいつもよりぼんやりと明るく見えた。ランプを持たなくても十分に階段を上れるほどの、夕暮れのような明るさを見て、モイラは息を呑んだ。


 ああ、これが呼ばれるということなのか。


 心の中にあった不安や不満が少しだけ薄れて、頂上に上がってみたいという気持ちが沸いてきた。それは突然植え付けられたように発生したものではなくて、前からずっと持っていた気持ちに、ようやく気づけたような充足感を伴っている。




 ゴールデンがすり寄ってくる。頬に触れる暖かさが後押しする。モイラは大きく深呼吸をした後に、意を決して螺旋階段に足を掛けた。


 その瞬間、真っ白な光に包まれた。それは無月が見せる白昼夢であった。

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