第29話 勝てない

 悪霊に実体はない。よって、物質的な手応えがないのが普通だ。

 だが、スカイの怨霊が生み出した青い刃は、鋼鉄の硬さをもっていた。衝撃が跳ね返り、刃からブロムの手首へと伝わる。

 痺れた手首を押さえ、斬りむすんだ刃を一度離した。

 怨霊は、生前のスカイの姿を取っていた。ブロムの記憶がそう見せているのか、スカイの未練がそうしているのか、分からない。

 スカイは肩で息を吐くと、剣を構え直した。村の競技会でリングに立つ時と変わらない顔だった。

「うおおっ」

 声を上げ、スカイは切っ先を真っ直ぐに、ブロムの心臓を突かんと踏み込んだ。

 はたき落とそうと、ブロムは斜め上に剣を構える。痺れの残る手首の反応が遅れた。どうにか進路を反らせたものの、スカイの刃はブロムの古傷、左の脇を掠めた。青い火花が散り、鱗粉のようにブロムの脇に残る。

 肉体の痛みだけでなく、冷たく鋭い怨霊の感情が根を張る痛みにブロムは呻いた。すかさず怨霊は、次の刃を構えた。

 怨霊の手元に矢が飛んだ。

「鬱陶しい」

 怨霊は呟き、悪霊を放つ。次の矢を番える力が弱く、手間取るバードへ襲いかかる。だが、駆け寄った魂狩りが槍を振った。

 バードの足元で、目を覚ましたフラウが青白い顔でブロムを見詰めていた。ブロムは無言で頷き、柄を握り直す。左脇の痛みを堪え、スカイへ斬りかかった。

 振り上げたスカイの刃をかわし、水平に剣を薙ぐ。続けて斜めに振り上げれば、立てた刃と斬り結ぶ。

 怨霊の刃の軌跡が、青白い鱗粉となってブロムに降りかかった。

 ちらちらと、耳の奥で音が揺れた。誰かの声のようだ。刃をかわし、振り下ろされた軌跡の光を浴びると、よりはっきりと聞こえてきた。

『だれかさん、また二番ですって』

 発したのが誰か分からないが、背景は伝わった。

 村にいる時から、スカイは何をしても二番手だった。成績、競技会、チェス大会、人気。

 他人に興味を持たなかったブロムですら、どの分野でも優秀者のランクに入るスカイの名を知っていたほどだ。村には、何をやっても出来る凄い人がいるのだなと、ぼんやり思っていた。

 だが、スカイは苦痛だったようだ。いつでも二番、という言葉は、鋭い刃となってスカイの心をえぐり続けていた。

「お前は」

 痛恨の一撃を受け、ブロムは膝をついた。肩で息をする。唸りながら、サンディが寄り添った。

「一番に、なりたかったのか」

 だから、スカイがアカデミーに入学した時、学年内で最も人気があり、成績でも学園長から表彰されるグランを妬んだのか。

 フラウを槍の使い手へ託したバードにも、ブロムの声は聞こえたようだ。援護しようと、弓を構え歩み寄る。

「だったら、今最強の悪霊になれたんだから、未練は果たせたでしょうに」

 スカイの目が見開かれた。青白い炎と煤が散る。

「黙れ」

 噴出する炎は、圧をもってバードの体を吹き飛ばした。

「生意気に、知ったような口をきくな。俺の未練は、そんなものじゃない」

 床に叩きつけられ、呻くバードを一瞥し、ブロムは密かに息を吐いた。

 まったく、余計なことばかりをする。

 スカイの気がバードに逸れた隙に、ブロムは体勢を立て直していた。

 荒いながら呼吸を整え、構えるブロムに、スカイは苦く笑った。

「言っただろう。俺の未練は、あいつの悪事を暴けなかったことさ」

 嫌らしい笑みで、スカイは剣を握った。青白い光が強くなる。

「実験が成功していれば、研究所のお偉いさんから表彰されるのが裏で決まっていた。空港には、報道陣の取材の準備もできてたんだ。だから俺は、後輩として祝辞を述べる役に立候補した」

 ニヤリと、スカイも剣を上段に構え直した。

「さり気なく、言えなかったのが未練だよ。俺が提案した人工魔石の可能性を証明してくれて感謝してる、とね」

 纏わりついた青い鱗粉が、ちりちり痛んだ。

 ブロムは奥歯を噛み締めた。

 スカイの一番の未練は、グランに勝てなかったことかもしれない。グランが死んだ今、その未練は永遠に叶わない。

 斬るしか、浄める手段はない。

 ブロムは、渾身の力を込めて斬りかかった。

 魂狩りとなり、幾度となく繰り返した戦いでブロムの腕は鍛えられていた。斬る対象が手応えの少ない悪霊と言えど、上腕を覆う筋肉は一般の女性に比べて逞しい。

 だが、元の男性の肉体をさらに強化した怨霊の力を真っ向から受けては、勝ち目はなかった。

 剣もろとも吹き飛ばされ、ブロムは仰向けに倒れた。床に打ち付けた頭部が、衝撃の大きさにバウンドする。

 くらりと、意識が遠のいた。

 思わず、心でグランの名を呼んだ。

 グランは、アカデミー入学当初から人気者だったわけではない。

 当時は、どちらかといえば孤立していた。同郷の学生もいたのに、群れることなく、ひとりで部屋の隅に座っていた。

 ブロムがその姿を知っているのは、彼女もまた、孤立していたからだ。

 村でも、社交的で穏やかな笑みを絶やさないフラウと、常に比べられていた。無愛想で、他人に無関心。可愛げがない。双子で容姿の作りが同じだけに、性格の違いが目立った。

 周囲からの悪気ない言葉に辟易し、村を出てアカデミーに進学したが、相変わらずブロムは他の学生と馴染めなかった。

 学年最初の試験が終わり、グループに分かれての実習が始まった。

 惑星のエネルギー資源について、与えられたテーマについてグループごとに調べ、まとめて発表する。他のグループの研究結果に対し、議論、評価し合うのが目的だった。

 グランのグループから提出された資料を検証していたブロムは、そこに明らかな計算ミスを見つけた。念のため、同じグループの学生に確認すると、彼はあっさりと頷いた。

『それね。みんな気付いてるよ』

 担当者のグランに指摘したのかと尋ねると、彼は苦笑いをしてこめかみを掻いた。

『誰も、言ってないんじゃないかな。ほら、あいつ、人から指摘されたらへそ曲げそうしゃん。近寄りがたいっていうか』

 それにしても、本人が気が付かなければこのまま発表するのか。計算ミスにより、導き出される結論も間違っている。

 迷った末、ブロムは休み時間にカフェテリアの端で一人寛ぐグランに話しかけた。

 自分なりに計算した過程を電子ノートで見せると、グランは迷惑そうに眉間に皺を寄せた。自分が間違うはずがないと、信じて疑わない顔だった。だがブロムの丁寧なメモに、緑の髪を掻き上げた。

『ああ、なるほど。確かにこれは、俺の計算ミスだ。バカだなぁ。こんな単純なところで』

 舌打ちし、グランは大きく息を吐いた。

『面倒だな。グループのやつらに言うの』

 ブロムは菫色の、当時はフラウと同じように腰まで伸ばしていた髪を揺らして首を傾げた。

『グループの人も、なぜ指摘してこなかったんでしょう。間違った結果を、そのまま発表すれば、評価も下がるでしょうに』

『そうなれば、原因となった俺をこき下ろすチャンスになるからですよ。て、同級生なんだ。タメで話せよ』

 礼を言って電子ノートを差し出し、グランは早速自分のノートを立ち上げた。急がなければ、修正が間に合わない。

 そのまま立ち去ろうとしたブロムに、グランはヒョイと顔を上げた。

『でもなんで、教えてくれたんだ? このままこっちが大ボケかましたら、あんたのグループが有利になっただろうに。わざわざ、敵の評価を上げるようなことをして』

 アカデミーは、実力主義だ。激しい競争を勝ち抜いた者のみが、政府の運営する研究所に入れる。科学者としての栄誉を、多くの野心家が狙っていた。

 入学したものの、ブロムはそこまでの野心を抱いていなかった。村を出て、好きな学問に没頭できたら、それでよかった。

 だが、心に押し込めた苦い思いを打ち明けるほど、グランと懇意になっていない。

『ここは、実力が全てだからこそ』

 ブロムは、電子ノートを持つ手に力を入れた。

『正当法で勝ち抜かなければ、研究所でボロが出ます。そうなれば、アカデミーの評価も下がり、自分の顔に泥を塗ることになります』

『真面目だね』

 クスリと笑うグランに、ブロムは頭を下げた。

『指摘を聞き入れてくれて、ありがとうございました』

 その時、グランがどのような顔をしたのか、ブロムはもう、見ていなかった。

 間違いを修正したグランのグループが教授賞を獲得し、ブロムはまた、一人殻にこもって勉学に励んだ。

 次の試験勉強に追われる、ある日の夕方。

 図書室で苦手な歴史問題に唸っていたブロムは、背中越しに、グランと同郷の学生の会話を聞いた。

『凄いな。お前、なんでそれ解けるんだよ』

『グランが教えてくれてんだ』

『あいつが? そういえば、あいつ、最近変わったよな。丸くなったというか』

『前は、できない俺たちをせせら笑うだけだったのにな。アカデミーデビューってやつかな』

 人は、意識したら変われるのかもしれない。

 ブロムは、そっとノートを閉じた。

 自分も、変われるだろうか。フラウと比べられ、いじけた自分も、変われるだろうか。

『ブロッサムは、そのままでいいんだよ』

 グランが笑った。明るい草原を散策しながら、強張ったブロムの頬を突く。

『ほんの少し、素直に甘えたらいいだけの話だよ。我慢せず、自分だけで抱え込まず、周りの人に手伝って、て言えば』

 グランが教えてくれたアドバイスが、どれだけブロムを変えることになったのか。

 その礼を、まだ伝えられていない。

 背中に走る激痛に、ブロムはハッとして目を開けた。

 頭を打って、ほんの一秒にも満たない間に、グランとの思い出を見ていた。

 ブロムは、即座に身を起こした。頭が痛む。視界が霞むが、まだ決着はついていない。

 ブロムを庇い、サンディが目を怒らせて立ちはだかった。低く身構え、首筋の毛を逆立てる。ゆっくり近づく怨霊に、今にも飛びかからんと唸った。

 さらに膨らんだ体に、ブロムは優しく手を置いた。

「あれは、私の獲物だ。私が倒れるまで、手を出すな」

 膝を立てた。足を踏みしめる。よろめきながらも、立ち上がった。

「しぶといねぇ」

 顔を歪める怨霊も、時折輪郭をぶれさせる。今まで斬り込んだ刃は、無駄になっていない。

 ブロムは、剣を構えた。真っ直ぐに、切っ先を怨霊に向ける。

「お前は、私が浄める」

 嫉妬と劣等感にまみれていた、過去の己と共に。

「うああっ」

 叫びながら、ブロムは怨霊に突き進んだ。姑息な手は使わない。正面から、走り込む。

 怨霊もまた、避ける素振りを見せなかった。光の剣を構え、真っ向からのブロムの突きを払う。

 斜めに跳ね上がった刃を、手首を返して振り下ろす。それもまた、横に流された。よろめき、怨霊に向いた背を狙われる。

 歯を食いしばり、ブロムは怨霊に近い右足を踏みしめた。体重を乗せ、よろめくままに体を低くする。全身を前に押しやるように、剣を持つ右手を後ろへ引き上げた。

 怨霊の輪郭が、石鹸の細かな泡が弾けるような音をたてて崩れていく。腐敗臭に似た悪臭が噴き出した。

「おのれ」

 グズグズと溶けた手が、ブロムの腕を掴んで引き寄せた。そのまま内包し、己に取り込もうとする。

「お前は、勝てない」

 朦朧としながら、ブロムは柄を振り上げた。刃が消えている。それでも、ブロムは手に、最後の力を込めた。

「グランには、絶対」

 迸る白い光は、細く、短かった。それでも、怨霊の崩れていく闇に深々と沈んでいく。

 刃が床に達し、硬い音をたてた。

 もうもうと立ち込める湯気のような光の粒子の中に、煌めく透明な砂が残された。人工魔石の欠けらだ。吹けば飛ぶような少量で、スカイの未練と憎しみを増幅させ、怨霊にした。

 ブロムはぼんやりと、未練の結晶のような魔石の砂を眺めた。

 終わった。

 振り仰ぐと、暁が訪れていた。

 長い夜が明ける。戦い疲れた体を満たすのは、虚しさだった。

 クゥンと鼻を鳴らし、サンディがすり寄った。毛に包まれた足もふらついている。時折、ググっと苦しそうに喉を鳴らす。凄まじい怨霊の気を間近に受け、まとわり付く悪霊に吠えかかり続けたのだ。サンディも、疲れただろう。

「あいにく、干し肉の持ち合わせはないんだ」

 ブロムは、深い毛に手を埋め、首を撫でてやった。

 背後から、わずかに引きずる足音が近づいた。

「お疲れさまです。他の悪霊も、浄めました」

 バードの労いに、ブロムは小さく頷いた。

 弓が軋む。

「あとは、そこの一体だけです」

 訝しく、ブロムは振り返った。

 バードの矢が冷たく狙っているのは、サンディだった。



(#novelber 29日目お題:白昼夢)

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