第25話 幽霊船

 一体、どこに吸い込まれているのか。濃い霧に包まれたのとも違う、まさに何もないとしか形容のできない空間を、ブロムは漂っていた。

 意識まで吸い取られそうだ。歯を食いしばり、サンディを抱きしめた腕に自ら爪を立てた。自己を手放してはいけない。

 毅然と顔を上げ、前後左右方向感覚が奪われた空間で、進んでいると思われる方を見据えた。自分から突き進んでいく気持ちで、流れに乗った。

 どれくらいの間、経ったのか。

 突然視界が黒っぽくなり、落ちる、という感覚が生まれた。咄嗟に体を捻り、サンディを押しつぶさないよう持ち上げた。

 左肩に衝撃と、肉を敷いた感触があり、金属がぶつかり合う音が続いた。

「間に、合わなかったか」

 サンディを傷つけてしまったかとの懸念は、杞憂だった。四つ足で立ち上がったサンディは全身を震わせ、廃屋で毛に付いた埃までもを振り払う。舌を出し、潤んだ黒い目でブロムを見上げると、一声吠えた。

 束の間安堵し、では脇の下にある肉体っぽいものは何かと上体を起こした。

 それは、バディの相棒の腕だった。錆びが浮き、朽ちかけた鉄骨や廃材が積み重なった上に、横向きに倒れている。

「おい」

 おずおずと首筋に指を当てれば、汚れて黒ずんだ指の腹にドクドクと血流を感じた。肩を揺すると、閉じた瞼の下で眼球が動き、眉間に皺を寄せる。軽い呻きと共に、金色の睫毛が持ち上がった。

「あ、おはよーございます」

 呑気に大欠伸をし、腕を伸ばす。金属片の小山が崩れ、けたたましい音をたてたことで、目が見開かれた。

「え、ここ、どこですか」

「やっと目が覚めたか」

 能天気な頭を叩こうと構えていた腕を下ろし、ブロムも改めて辺りを見回した。

 細かい粒子でざらつく床も、もとは磨かれた金属だったらしい。強度は保っているものの、所々歪み、亀裂が入ってめくれ上がっているところもある。細く太く、白い光が射し込んでいる。目で辿ると、ガラスが割れ、枠だけになった大きな窓の向こうに、晴れ渡った星空が広がっていた。

 見覚えのある窓枠に、ブロムの喉が鳴った。

「幽霊船だ」

「あの、十年前、塩の荒野に墜落した」

 一度言葉を切り、バードは決まり悪そうにブロムから視線を反らせた。

「ブロムさんが、一度死線を越えた事故、でしたね」

 気にするなという気持ちを込めて、ブロムはビードの肩を軽く叩いた。

 墜落地点は、大陸の南端に突き出した半島の中程だった。半島は、海からの強い風に巻き上げられた塩の害で作物が育たず、建材も朽ち易い。人口に対し広い土地を持つ惑星の民は、早い時点で半島の活用を諦めた。最も近い居住地が徒歩で二日かかる地点に墜落した実験機は、犠牲者の遺骸と回収可能な遺品、飛行データを記録したブラックボックスを回収すると、片付けられることなく放置されていた。年に数回、物好きなオカルト愛好家が自家用機で乗り付け、面白おかしく報じることで存在を思い出してもらえる。日常的には、忘れられた遺物だった。

 ふらりと立ち上がったブロムは、廃材の山に隠されていた部分に目みむけ、ギョッとした。

 表情の変化をみて訝しく立ち上がったバードの対応は、素早かった。直ちに廃材の山を回り込んだ。累々と折り重なって横たわる人は、どれも頬や額に珠花のタトゥーを刻んだ魂狩りだった。おそらく、今まで行方不明になった者だろう。皆、ここに連れてこられていたのだ。バードは躊躇なく彼らに駆け寄った。片端から声を掛け、脈を調べ、瞼を開けて瞳孔を確認して回る。

「さすが、研修医だっただけあるな」

 呟くブロムの手の先を、サンディが柔らかく舐めた。

「十二名中、九名は脈に異常がないものの、深い昏睡状態に陥っています。残る三名は、脈も弱くなっている。急いで搬送する必要があるけど」

「難しいな」

 息を吐き、ブロムは褪せた菫色の髪を無造作に掻き上げた。諦念を滲ませるブロムに、バードは通信機を取り出す。

「距離はあるけど、妨害するものがないから、繋がるかもしれません」

「そういう問題じゃない」

 ブロムは、腰に手をやった。そこにあるはずのものがない。サンディと離れ離れならないようにするのが精一杯で、柄まで手が回らなかった。

 廃屋で感じた嫌な予感が的中していた。

 あれは、罠だった。魂狩りを捕らえるための。

「見ろ」

 ブロムは横たわる魂狩りとバードの背を示した。

「相手の目的は、おそらく魔石だ」

 他の魂狩りも皆、武器を奪われていた。

 指摘されたバードは、慌てて我が身を見下ろした。自分が眠っていた残骸の山へ駆け寄り、朽ちた破片を手で避けながら弓を探す。だが、彼の弓はどこにもなかった。

「だけど、魔石なんて、そうそう扱えるもんじゃないでしょう?」

「天然ものは、な。しかし、人口魔石なら、その方面の知識と道具があれば、汎用範囲は広い」

 ギルドに応援を要請すれば、新たな魂狩りも連れてこられるだろう。手土産を持ってくるようなものだ。眠っている魂狩りの顔ぶれを見ただけでは、このうち何名が、武器のレベルアップをして、人工魔石を保持していたか分からない。だが、確実に二名はブロムも知っている、玄人だった。

「そして、ここには」

 ぐるりと、元研究機の機関室だった船内を腕で示した。

「破損したとはいえ、道具がある」

 生きた人間に取り憑き、どこかから発電機を調達すれば、後は人工魔石のかけら一つで簡易のシステムが作れる。ざっと見ただけでも、材料はいくらでも転がっていた。

 その方面の基礎知識があれば、システムを発動させられる。

 危惧すべきは、得たエネルギーを、何に使うつもりなのか、だ。

「知識は。悪霊化すれば、理性も何も忘れてしまうんでしょう?」

 バードの言う通りだ。

 考えたくない。だが、可能性はひとつ。

「怨霊だ」

 生きていた時の記憶、知識を持ったまま、負の感情のみを増大させた悪霊は、惑星内で怨霊と呼ばれていた。

 口の中で小さく復唱したバードが、険しい表情で舌打ちした。

「歴史の上でも、過去に数件しか記録がない、あれですか」

 内心、舌を巻く。少年期から魂狩りに憧れていた異端児は、上層ギルドか国立図書館にしか保管されていない文献にまで辿り着いていた。よほどの興味と熱意がなければ果たせないことだ。

 突然、背後から笑い声が上がった。サンディが低く唸った。

「なかなか勉強熱心な後輩を持ったもんだな」

 振り返った先は、船室の一段高くなった元船長席だった。白く塩の砂を被っている椅子は、張られていた皮が燃え、金属の骨組みだけになっていた。墜落した時、グランが座っていた場所だ。そこに浅く腰掛け、優雅に足を組み、あっけらかんと笑っている人の姿に、ブロムは歯を食いしばった。

「フラウを」

 背に流した菫色の長い髪。ブロムと同じ藍色の瞳。白磁の肌の儚げな女性。怨霊が取り憑いているのは、紛れもなく、ブロムの双子の姉、フラウだった。



(#novelber 25日目お題:幽霊船)

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