第5話 ホーンテッド・シャトー 祓




 ▶首だ!




 レプリカの長剣を振り上げたに、体ごと飛び込むように——、アルドは脚元に広がるコンクリートの石畳を踏み切ると、空中へと跳躍した。

 キイイィィィンッ!!!

 二振りの剣が、互いの刀身を削り合う。

 アルドの剣から溢れ出す覇気と、ロボットの電子ブレードが放つプリズマの光が、十字型の衝撃波と化し、暗闇にふたりのアルドの相貌を浮かび上がらせる。

 先攻を滅多に取ることのない、防戦を得意とする筈のアルドは、いま——これまでに見せたことのないほどの気迫で、禍々しい殺意を放ちながら、攻めに転じていた。


 だが。

 そのアルドが——一気に、力を弱める。

 そして、反発力を失い、大きく傾いだロボットの脇の空間に——アルドは即座に姿勢を落とし、床を転がるようにして、体を滑り込ませた。


 そして。

 即座に床を蹴って立ち上がり、体勢を立て直したアルドの眼前には。

 無防備なロボット人形の、見慣れた紅いケープと、青いチュニックを纏った背中が広がっていた。


(————取った……っ!!!)


 アルドの鼓動が、好機に高まる。

 ロボットの背に飛びかかるようにして取りつき、振り落とされそうになりながら、背中をよじ登り——アルドは、遂に片手に剣を持ち替えた。


 そして、アルドは。

 緊張と興奮で歪む、視界の中心に。

 人形の、黒い癖っ毛を湛えた頭部と——その色の薄いうなじに真っ直ぐに走った、一本の細い線を見出した。


(————そこだっ!!!!)


 そのに、切っ先を捻じ込むようにして——アルドは迷いなく、ロボットの首筋に剣を突き立てた。



 ギシイィィィッ!!!!


 その瞬間。

 人形は、自分がアルドに何をされたのか、理解できていないようだった。

 ヴ…………、ア゙…………

 その華奢な青年を模した外見とはおよそ釣り合わない、魔物の呻きのような掠れた合成音声が、喉に内蔵されたスピーカーから切れ切れに上がる。

 その体から、濃緑色のオイルが溢れ出る。

 アルドが捻り広げた、首の後ろの継目から——そして、大きな蒼い目玉の縁から。長い前髪の間から。硬直したように突っ張った手脚の関節から、太腿の間から。

 まるで涙が滲むかのように、体液が分泌するかのように——ロボットの体中の隙間という隙間から、腐敗したプリズマ廃液が、止めどなく溢れ出していた。


 ア゙…………

 その乾ききった喉から、断末魔の叫びを、振り絞りながら——機械仕掛けのアルドは遂に、完全に動きを止めた。



「やっ……、やった……っ!?」


 その場で腰を抜かしてしまいそうな程の、圧倒的な虚脱感に——、アルドは堪えきれずに、片膝を地面に突く。

 だが、その襲い来る安堵に抗いながら、アルドは上体を必死に引き上げ——、目の前で果てたロボットへと、重い瞼の奥から視線を向けた。


 だが——そのときだった。



『…………イタイ、ヨ…………』


「——……!?」



 耳に飛び込んできた、聞き慣れないそのに——、アルドは思わず、全身を強張らせながら、声のした方向を向く。


 目の前に佇む、動作を停止したアルドから漏れてくるそのは、ごく低音質の合成音声だった。

 トト人形や道化師人形に与えられているのと、同一のものであろう——性別を剥奪され、極限までパターンを抽出され圧縮された、機械的な音声。

 だがその声は、聞き間違うことの不可能な明瞭な発声で——恍惚と、ある一人の人物の名を呼び続けていた。



『イ゙……タイ…………、イ゙ダ……イ゙、ヨ…………、メ゙…………、…………』



「————メイエルド?」



 自分を象った人形が狂おしく反芻する、その人物の名に——アルドが、目を大きく見張った瞬間。




『————やめろ…………、を、それ以上、痛めつけるな!』



 

 もうひとつの、荒々しいが——古城の石壁に、何重にも反響した。




「……アルドール……?」


 耳に飛び込んできたその名前に、思わず眉を顰めながら——アルドは、そのもうひとつの声の発信源を追って、背後に広がる空間を振り返る。

 崩落した壁の奥に覗く、無数のケーブルや配管——その折れたパイプや、断線した導線から噴き出す廃プリズマ体が、回廊の内部に流れ込む。

 その腐ったような緑色をした霧は、見通すことができない程に厚い——見えない相手と対峙するために、アルドは爪先をプリズマの霧へと向け、相手の動きを待った。


 だが、その声は——その臭気に満ちた、腐乱した暗闇の中を衝き通すようにして、アルドの元に朗々と響き渡った。



『勿論、古代の人間は、神経の存在を知ることがなかった。ミグランス大陸における神経の発見には、ユニガン式顕微鏡の発明を——科学と精製プリズマの時代の到来を、待たなければならなかった』



 それはあたかも、大講堂での講義か、あるいは悲劇役者の台詞回しか——。この荒廃した舞台には場違いな淀みのない演説に、アルドは目を見張る。



『それは、——お前が生をけた時代よりも、ずっと先のこと……ミグランス朝最期の王が革命に屈し、王座を明け渡した後のことだ』



 そう、その尊大な知性の声が、不意に自分の名を発したとき——アルドは、まるで心臓が鷲掴みにされたかのような、得もいわれぬ不快感を覚えた。



『だが——古代ガルレア大陸の秘村で制作された、土偶の頭部とされる出土物からは、丁度にあたる部分から、今日のプリズマ光ファイバーに似た伝導素材の、雲龍の髭が発見されている。ケガレの概念を持っていた古代ガダロ人には、獣の屍体を解剖することすらも、一般的な慣習では無かった筈だ』



 そう、その声は——あたかもそれを愉しんでいるかのように、講釈を続ける。

 まるで音楽のように、完全に調律された、整然とした秩序の声。

 濃緑の暗闇から迫るその声から、逃れることのできない野兎のように——アルドは高く、自分の耳をそばだてた。



『つまり、古代ガダロの土偶師達は——土偶という機械人形の開発に向き合う事で——人体のメカニズムに、限りなく接近していたことになる』



 そのとき。

 まっすぐとプリズマの霧へと向けられた、アルドの眼は——その靄の先に揺らめく、陽炎のような人影の存在を捉えた。



『だからオレは、30年前に——当時既に旧式レガシーと見なされていた準-中枢神経モデルを、に採用した。それは人智の全能性の象徴であると共に、人体が最も優れたデザインのマシンであることの、紛れもない証明——、だからだ』



 その声が暗闇から向けて放った、その一連の言葉を、すべて耳にした瞬間。

 ロイの説明を聞いた瞬間から、アルドの脳裏を過り続けていた、 言語化することのできなかった微かな疑念は——、はっきりと、確信へと変わった。


 アルドは、荒々しく腕を振り上げた。




『——そんな、ごたくはいいっ! さっさと姿を現せっ……、ッ!!』




 ズルッ……

 重い衣擦れの音が、聞こえる。



 姿を現したのは、一体の機械人形だった。



 ミグランス朝初期のテンペラ画の中から、描かれた女性が身を乗り出し、額縁を引き摺りながら地を這うという、奇想をモチーフとした大型の機械人形。

 それは、夜毎ミグランス城で開かれる、悪霊達の狂宴という、このエリアの着想に合わせて考案された、この古城のかつての立役者だった。



 しかし——

 その長く波打つ黒髪の間から覗く、大きな三日月型の唇から発されるのは——、自信と慢心に満ちた、低く深い、の声だった。



——どうしてここにいる?』





 まるで自分の身体に纏わりつくような、好奇の視線を撥ねつけるように——アルドは険しく眉を顰めると、人形に向き直る。

 ミグランス・ルネサンスの巨匠の作とされる、名画に描かれた絶世の美女——その両目に二対のカメラ・アイを埋め込んだ機械人形は、名状しがたい異様な気を纏いながら、アルドの姿を貪るように見つめていた。



『アルド……、……、マクミナル・データベースに残存する写本や銅版画で見られる造形は、後世の修道士や版画師達による誇張だとばかり、思っていたが』


 そう、勿体ぶった口調で、独言めいた感想を口にすると、人形はまるで我が意を得たりとばかりに、自慢気にカメラ・アイの焦点を絞る。


『実物は、想像したよりも幼いが、絵画よりも男前だな——、いいぞ……、が造った人形とそっくりだ』


 まるで姿を隠して窃視されているかのような、その視線の悪趣味さに——アルドは、負けじと機械人形を睨み返した。


「お前……、一体どこから話しているのか、分からないけど……、本当に、ロイが言っていた、あのメイエルド、なのか……?」


 そう、慎重に問いかけながら、アルドは臨戦態勢を解かないまま、目の前の人形の様子を探ろうとする。

 だが、そのアルドの問いに対し、対峙するロボット人形は——暗い色の唇を閉ざしたまま、アルドの出方を窺うかのように微笑んでいた。

 その態度の裏に、侮蔑的なものを感じ取ったのか——アルドは語気を荒げ、人形を問い糾した。


「もし、お前が、本物のメイエルドなら……、一体どうしていま、こんな所で、こんなことをしようとしているんだ……?」


 そのアルドの問いにも、人形は、一向に答える素振りを見せようとしない。

 度重なる緊張状態に精神を消耗したアルドは、珍しく相手の挑発に乗ったのか——しびれを切らしたように、声を荒げ人形に迫る。


「あいつらは、お前が設計したロボット達なんだろ……? あんな風に街に放って、人間を襲わせて、ひどいことをさせて……。かわいそうだと、思わないのか……?」


 そのアルドの発言を聞きつけると。

 人形——メイエルドは漸く、ぎろりと黄色のカメラ・アイを一周させ、アルドを徐に見つめた。


『まあ、そう、目くじらを立ててやるな……。所詮は、30年前に開発されたモーター人形だ。ちょっとことはあるかもしれないが、放っておいても、数時間駆動したところでスクラップだ』


 その反応を聞き、髪を逆立てるような怒りを滲ませるアルドに——メイエルドはさらに、嘲笑するように口の端を歪ませた。


『あいつらが、かわいそうだと……? あぁ、かわいそうになぁ……。あいつらがもう一度陽の目を見ることができるのは、その壊れる前の数時間だけだ……。こんなに狭くて暗いところに、10年間も押し込められて、かわいそうになぁ…………、』


 それから、メイエルドは。

 身じろぎ一つ見せることなく、アルドに刺すような視線を向けたまま——ロボットの身体をその場に凍りつかせた。

 それはあたかも、その機械の身体の向こう側で息を潜めている、何者かが——考え込み、アルドに伝えるべき言葉を、考えあぐねているようだった。


 アルドは、沸き立つ怒りを必死に抑え込みながら——息を飲み、メイエルドの次の言動を待った。




『————オレは…………、この遊園地に、この生涯を……、賭けていた』



 ふと——人形はその声色から、先程まで滲んでいた、荒んだ笑みを消した。




『オレの両親は、技師で……アンドロイドの暴走事故に巻き込まれて、死んだ』


 そう、人形が口を開く。


『周りの大人は、ロボットのことを責めた。オレは、その汚名を雪ぎたいと思った。両親が何よりも愛していたのは、ロボットだったからだ』


 思わぬ人形の発言に、アルドは目を見張り——だが、けしてその言葉を遮ろうとすることなく、耳と目を傾けることに努めた。


『オレはそれから、両親の遺した金で、大学へ行き……、遊園地の設計士団に抜擢された』


 アルドが自分の言葉を聞いているのを、自覚しているのか、していないのか——虚空に向かって語りかけるかのように、人形は物語を続ける。


『遊園地の落成後、オレは見た。風船を手にトト人形に駆け寄り、笑顔でロボットと抱擁を交わす子どもを。そこに恐怖心はなかった。オレがこの研究に賭けてきたものすべてが、そこで報われたと思った』


 そう、深い喜びの滲む声で、言葉を結んでから——メイエルドは、改めてアルドに向き直った。




『そして、何があったと思う? —戦争だ』



 アルドは、思わず口を噤んだ。




『合成人間との衝突が起きたのは、確かに今から10年前のことだ。だがその数年前には既に、KMS社が主導する、官民共同の巨大軍事開発プロジェクトへの資金投入が着々と進んでいた』


 目の前のアルドの動揺を物ともせずに——人形はただ、抑揚のない口調で、乾いた事実を述べ続ける。


『遊園地は、経営難に陥った。その要因は、すぐそこに迫っていた戦争の存在を予感した市民が、自主的な行動規制に入り、大規模な経済緊縮が起こっていたからだ。そこにKMS社が助成を完全に打ち切り、閉園の決定打となった』


 そう、まるで自身と無関係の事実を連ね挙げるかのように、一切の感情を欠いた言葉を続けた後に。

 人形は、言った。




『そしてその後、市街戦だ』



 アルドは言葉を失い、立ち尽くしていた。




『テロルを目的とした市街戦の80%は、軍事施設を持たない一般区画、低階層の居住プレートだった。数千人もの非武装のエルジオン市民が、一夜にして光熱光線による大量虐殺の犠牲となった』


 人形は、淡々と言葉を述べていく。

 自分の目の前で繙かれていく事実の、あまりの惨さに、重々しさに——アルドはなすすべもなく立ち尽くし、その場に取り残されていた。


『犠牲者の多くは下級市民で、輸送用シャトルに鮨詰めにされたまま撃ち墜とされ、地表に叩きつけられた。戦局の悪化を悟りながらも、明日一日を過ごすために、工業都市へと通勤しなければならなかった者たちだ』



 そして。

 死のような静寂が、メイエルドとアルドの間に訪れた後に——、人形は言った。



『遊園地の再開園の話は、二度と持ち上がることはなかった。オレが全生命を賭して創り出した数百体のロボット人形たちは、今も、この巨大な墓場で眠っている』



 それから。

 人形の口から発された、すべての言葉を自分の中に受け止め、深い感情の波の中へと落とし込んだ後。

 アルドは、徐に口を開いた。



「それで、お前は……。そのだれにも背負うことのできない、閉鎖した遊園地の恨みを、どこかにぶつけたくて……。10年前から今までずっと、このエルジオンのどこかに隠れて、ロボットたちを放つ機会を窺っていた、ってことなのか?」



 だが、それを聞くと。

 人形はまるで、アルドの発言を純粋に訝しむかのように——黄色く濁ったカメラ・アイを不意に見開きながら、アルドの方を見た。



『隠れる……? お前は先刻さっきから、何を言っている……? オレは今、じゃないか……?』




 その、人形の言葉を聞いた瞬間。

 アルドは——見る見る内に、自分の心臓の鼓動が、早鐘のように増していくのを感じた。


「えっ……、だって……、ロイはあの時、リモコン人形って……」


 その言葉を聞いた瞬間から脳裏を過った、ある一つの可能性を、頭から振り払おうと取り乱すアルドに。

 メイエルドは、静かに言った。



『オレは……その輸送車に乗っていたのさ』



「…………!! じゃあ…………!!」



 そう、絶句するアルドの姿を。

 メイエルドは——メイエルドをその身に宿した人形は、どこか遠くを見るように、穏やかな顔つきで見つめていた。



『オレは……、輸送車に乗るのが、昔から好きだった。オレの両親は、時々オレをシャトルに乗せて、工場に連れて行ってくれた。シャトルの窓から眺めた空は、最良の思い出の一つだった』


 そう人形は、カメラ・アイの焦点を絞りながら——その遠い日の記憶に、身を委ねているかのようだった。


『そしてオレは、遊園地であの子どもを見た時に……。オレのロボットたちを必要とするのは、輸送車に乗る家族達だと気づいた。遊園地を必要とするのは、子どもを産み育てるために社会の手を必要とする人々、毎日輸送車に運ばれて、この国の未来を支えてくれる人たちだ』


 そして、人形は静かに言った。


『それからオレは、輸送車に乗り続けた。設計士団が解散した日も、遊園地が閉園した日も、"あの日"の朝も——、オレは、輸送車のベンチに座っていた』


 それから、メイエルドは口をつぐみ。

 まるで意を決したように、その大きな体を傾げ——雷に打たれたような表情で自分のことを見上げる、アルドの姿を見下ろした。


『あっと言う間、だった——。オレが死ぬのも、工業都市が落ちるのも。あっと言う間に、数千人の命運を、未来を変えてしまう圧倒的な暴力のことを、戦争と呼ぶんだ』



 何かを渇望するような、何かに縋るような目で——、メイエルドは、全身全霊をもってアルドのことを見つめていた。


——、お前は何故か、オレの生きたこの時代に、姿を見せて——、このエルジオン中の人々の人生に、数えきれないほどの奇蹟を起こしてきた』


 その声には、怒りとも、恨みとも嘆願とも違う——希求という言葉に最も近い、強く、純粋な感情が滲んでいた。


『奇蹟を起こしてきたお前なら、きっと、解るだろう……。お前のそのほんの小さな剣の一振りが、ときに未来を変え、数千万人の命を絶望から救えることが』


 アルドは、向き合っていた。

 目の前に立ちはだかる、巨大な怪物に。

 黄泉の淵から自分に救けを求める、聡く、ものをいう機械に——身じろぎをすることもできずに、ただその存在を全身で受け止めようと、向き合っていた。


 そして、メイエルドは言った。


『あの日このエルジオンに起きたのも、同じことだ。未来は、変えられるのさ。ほんの小さな剣の一振りで、な』



 それから。

 メイエルドは、まるで全ての力を振り絞って、アルドに言葉を伝えたかのように——その言葉を結んだ途端に、苦しげに呻き声を上げ、身体をよじり始めた。


『オレは、分からない……。今、なぜ……、自分がここに、まだ存在し続けているのか、分からない…………』


 恐らく、内側から体内に——機構内に異変を感じているのか、アルドが知り得ない苦痛に呼吸を荒げながら、人形は言う。


『生きている間には遂に解明できなかった、魂という存在が、オレを生かし続けているのかもしれないし……。もしかしたらオレはもう、メイエルドですら、ないのかもしれない……。オレはこの人形が演じ、お前に見せている、メイエルドの幻影にすぎないのかもしれない……、』


 だが——。

 人形は、ゆらりとアルドに向き直った。


『だがもう、どうでもいい……。死んでしまったオレになど、大した興味はない…………、』


 そのとき——。

 メイエルドの身体の周辺に、正体の分からない、渦を巻いた邪悪な力が集中し始めていることに、アルドは気づいた。


『ただ、オレは……、こいつらを……、もっと広くて明るい場所で、遊ばせてやりたいだけなんだ…………!!!』



 グオアアアアアッ!!!!


 メイエルドが、獣のような咆哮を上げた。


 古城の壁を震わせるような轟音を上げ、まるで先程とは別人のような荒々しい覇気を纏ったメイエルドが、鉤爪のように先の尖った手を振り上げる。


「っ…………!!」


 アルドが瞬時に跳び退ると、一瞬前までアルドが留まっていた床面に巨大な腕が振り下ろされ、コンクリートの破片が周囲に飛び散った。


『そこをどけっ…………!!』


 メイエルドが、枯れた喉から声を絞り出すようにして、獣のように戦慄く。


『英雄アルド…………、オレの邪魔を、するな…………!! オレと人形達の…………、邪魔を、するなァァアアッッ!!!』


 ドオォォォンッ!!!

 

 メイエルドが両腕を、廊下に叩きつける。

 窓から見える遠景を映し出した液晶が、無数のガラスの粒へと砕け散り、ブラックアウトした基板を露出させながら紅い絨毯の上に降り注ぐ。

 立ち並ぶコンクリートの石柱に深い亀裂が走り、その表面がぼろぼろと、鱗のように剥がれ落ちる。

 まるで大地震に巻き込まれたかのように、自らの主によって傷つけられた古城は、限界を超えて崩壊を始めていた。


(こんな、事って……!!)


 その光景の、あまりの惨さに——そしてその光景の中心に鎮座する、かつて人間だった存在の、豹変した姿の凄まじさに——、アルドは思わず、目を細める。

 だがアルドは、僅かに身体に残る力を振り絞ると——目の前に渦巻く、黒い力の波へと向き直り。

 その渦中に向かって、声を発した。



「メイエルド……、お前の無念は、オレにも分かる!!」


 アルドの声が、古城に響き渡る。


「でも……、お前が……、お前が、こんな悲しいことをしてしまったら、だめだ…………!!!」


 アルドの声に呼応するように、メイエルドを取り巻く渦が速さを増す。

 怒り、恨み、憎しみ——。四肢を引き裂くような、烈しく暗い、無数の感情の波が、矢面に立つアルドに迫る。

 だがアルドは、まるでそれを迎え撃つかのように——強く、声を張り上げた。


「ロイから、聞いたんだ……!! お前は、すごい研究者だったんだって……!! ロボットの事を、だれよりも真剣に考えていた人だったんだって……!!」


 そう、渦に向けて声を放ちながら——アルドは、ロイが自分に見せた涙を、脳裏に思い浮かべていた。


「そのお前が、してきたことを……、みんなから尊敬されていた、生きていたときのお前が、このエルジオンに築いた、新しい未来を……、今お前は自分の手で、壊そうとしているんだ……!!」


 そして、アルドは——剣を引き抜いた。


「だから、オレは……!! 生きていたときのお前を、本当のメイエルドのことを、救けるために……!! お前を、ここで倒す……!!!」


 剣を振り上げ、アルドは駆け出した。


「目を覚ませ!!! メイエルド!!!」


 そう言って、アルドは人形の身体を駆け上がり。

 その頭頂部から、頸部を目指して——、一気に長剣を突き刺し、頭蓋を貫いた。




 メイエルドは、虚空を見つめていた。


 人形の頭部に、深々と鍔まで突き刺さった、アルドの長剣。

 その周りから、黒い渦が姿を消して行くのと同時に——瞳に灯ったランプは弱々しく明滅を繰り返し、少しずつ輝度を落とし始めていた。


 メイエルドは既に、自身の体重を支えることができなくなっていた。

 項垂れるように、不自然に状態を斜めに傾けながら、体勢を崩すと——、額縁から突き出した女性の上体は、瓦礫の散乱する古城の床に落ち、両腕が投げ出された。


『ああ……、意識が薄らぐ……。ロボット人形の学習AIにも、死の感覚は発生していたんだな……、大した発見だ……、』


 そう、人形が嘯き。

 二つのランプを消し、深い眠りに就こうとした、そのとき。



『オトウ、サン……』



 一体のロボットが、そこに近づいた。

 それは、プリズマ制御装置を破壊され、動力の供給を完全に停止させられた筈の、アルド人形だった。


『メイエルド、サン……、オトウ、サン……、』


 そう、幼子のように呼びかけながら、アルド人形はよろめく足取りで、自らの創造主の元へと近寄り。

 そして、まるで聖母子像の逆図のように、絵の中の女性の頭部をその胸に抱え——その無数の傷跡の刻まれた頬に、残った左手を、そっと添えた。



『メイエルド、サン……』


 アルド人形を、追うようにして。

 一体、また一体と、暗闇からロボットたちが姿を現す。


『メイエルド、サン……、オトウ、サン……、オトウ、サン……、』


 メイエルドの元に、何十体というロボット達が集まる。

 トト人形が、道化師人形が——既に動かなくなったメイエルドの半身に、すがりつくようにその機械の身体を押しつけ、身を寄せ合う。

 床に投げ出されたメイエルドの白い片腕が、集まったロボット達の脚の下で何度も踏み潰され、粉々に砕けながら、ロボット達の波に飲み込まれていった。


『ああ……、よし、よし……、ようやく、眠れるな……、お前たち……、』


 そう、ロボットたちに語りかける、人形の女性の顔には、もはや表情はない。

 だがその鉄製の顔は、どこか満ち足りているかのようだった。


『オトウ、サン……、シナナイデ……、オトウ、サン……、』


 そのロボット達の、か細い合成音声に呼応するように——メイエルドのもう一本の腕が、トト人形達の頭を抱いた。


『愛されるために、お前たちを、造ってやったのにな……。お前たちに、会いに来てくれるはずだった人間たちも……、みんな、いなくなってしまった……』


 静かに、メイエルドを宿したロボットは、その動きを止め始めていた。


『お前たちは、本当に、いい子たちだ……。穢れを知らなくて、いつまでも、オレの傍にいてくれて……。お前たちが……、もっとたくさんの人に愛してもらえる未来に……、来てほしかった……、』



 そして——。

 人形は、停止を完了した。



「メイエルド……」


 アルドは、そこに立ち尽くしていた。

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