part3

『不躾で失礼ですが・・・・貴方は秋山徹氏をご存じですか?』

 彼女は女の子を膝の上であやしながら、俺の方を見て、

『ええ、知っていますけれど』

 と、ちょっと怪訝そうな声を返した。

 俺はコートのポケットから、ホルダーを出し、認可証ライセンスとバッジを提示した。

『失礼しました。私は私立探偵の乾宗十郎いぬい・そうじゅうろうと申します』

 俺がそう名乗ると、彼女はまだ幾分警戒心を解かない声で答えた。

『ええ、秋山・・・・いえ、小川徹は私の主人です』

 夫?

 俺は少し驚いた。

 別に婚前交渉など、この節は珍しくはないが、それにしてもこんな大きな子供が二人もいるとは思ってもいなかったからだ。

『実は秋山氏に関してある人から依頼を受けたものですからね。他意はありません』

『そうでしたの・・・・それは失礼致しました。』

 彼女は幾分声の調子が柔らかくなった。

『主人は今家におります。私は今日買い物があったものですから、家までご案内致します。』

 バスは街中を離れ、少しばかり勾配がきつくなった狭い道を進んで行く。

 道の両側は、葡萄畑が連なっているのが良く解る。

『ここです』

 運転手が次の停留所・・・・といっても、バスはそこで終点だったのだが・・・・を告げると、彼女は降りる支度を始めた。

 俺は畳んだベビーカーと、それから荷物を持ってやる。

 彼女はまた、

”どうも有難うございます”

 と頭を下げ、

”後は私がやりますから”という。

 しかし俺は、

『いえ、お子さんと荷物では大変でしょう』そう答え、荷物とベビーカーを押してやった。

 それほどきつくはないが、それでも坂道が続く。

 彼女に言わせると、

”ほんの10分ほどの距離ですから”とは言うが、それでも一人でこれだけの荷物はどう考えても大きいからな。

 まあ、これもある種のサーヴィスだ。


 彼女の言った通り、舗装されていない田舎道を10分歩いたところで、葡萄畑に囲まれた、青い瓦屋根に二階建ての民家が見えてきた。

『家の者は皆畑に出ているんです。今日は私だけ夫と両親に頼まれた買い物に行ってきたんですよ』

 彼女がそう答え、玄関の鍵を開けると、子供たちの靴を脱がせ、彼らが足音高く部屋の中に上がっていった。


『どうぞ、こちらの居間でお待ちになっていてください。すぐに主人を呼んできますから』彼女は自分の着替えもせずに、茶を出してくれると、もう一度頭を下げて、子供二人を連れて家を出て行った。

 家の中が静まり返る。

 どうやら今のところこの家には俺以外誰もいないようだ。


 待つほどの事もなく、古い農協のマークが入ったキャップを脱ぎながら、一人の眼鏡をかけた男が、

『お待たせしてしまって申し訳ありません』と言いながら、居間へと入って来た。


 細い銀縁の眼鏡をかけ、色が白く背が高い。

 薄茶色のトレーナーにジーンズという、如何にも農作業が似合いそうな恰好をしていたが、都会的な風貌が、屋外で働く人というよりは、都会のオフィスでパソコンを前に座っている方がフィットするような、そんな雰囲気に見えた。

『いえ、こちらこそ急に押しかけてしまって』

 俺はそう言って頭を下げ、改めて認可証とバッジを提示する。

『探偵さんなんですね』それから少しばかり間を置き、

『ここまでいらした目的は大方理解できます』

 秋山・・・・いや、小川徹氏は畳の上に腰を下ろすと、妻が淹れてくれた茶を一口飲み、ぽつりと言った。

 

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