第3話

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 しかし家庭教師の教え子に言い寄られたら私はどうするだろうか。そんな事態を目の前にして、経験してきたことを生かせと言われたところで、それは具体的な解決策にはならない。私はあの彼と別れた直後にもこういうことを考えていた。人が人を好きになるということはどういうことなのだろうか。誤魔化しでない恋愛なんてこの世に存在するんだろうか。あの時は確か――。

「砂のように」

 私が三年前に彼女から相談の返事として受け取ったことを、今度は逆に私から彼女に向けて言った。

「恋愛は砂のように譬えられる、とあなたは言ったわ」

 私が言うと千晶は嬉しそうな顔をした。

「そう、恋愛は砂のようなものね。相手をいくら知ろうとしても、相手の核の部分にはそう簡単には触れられない。手に当たるのはさらさらと崩れ落ちる砂の感触だけ。砂は土から切り離された途端に、身体の中心軸を失って全体性を失くす。それは本来持っていた機能を留めておくこともままならない。だから私は手元に残ってなお指の隙間から零れ落ちる砂が持つ相手の余韻を必死に確かめなくてはいけない」

 千晶は私が初めて千晶を認識した時と同じことを言った。

「でもさ、それってつまり、その男の子が辛抱強く千晶のことを知ろうと思い続ければ、千晶も気が変わるってことになるんじゃない?」

 私が笑いながら言うと、彼女はハッとした顔になり、虚空を睨んだ。

「そういえば瑞香、あなたとは前にもこんな話をした気がするわね」

「ええ」

「あの時は確か、瑞香は人間と人間が恋愛することなんてできるのかなんて言ってたよね」

 私は頷いた。

「それで千晶は、人間は窮地を迫られれば変化する生き物なんだから人間と人間の組み合わせで不可能なことなんてありえないって言った」

 彼女はその細い腕を交差させた。

「そういうことになるわね……でもそれは可能性の話であって……」

 千晶は少し考えてもいいかと私に尋ねた。私はもちろん快諾する。

 喫茶店の午後は過ぎていく。テーブルを挟んで二人。他の客など視界からはなくなっている。彼女は答えを見つけるように、右手で髪を触り、机の端やソーサーに描かれた幾何学模様に目を向けた。

「ううん、難しい」

 私は彼女と向き合って過ごす緩やかな時間をこの世で何よりも愛していた。

 そうして、私はゆっくりとスプーンを回した。

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