第14話 Bubble burst

私はようやく理解しだした。

シャングリラのカウンター席は、私が望めば他人格と決して交わることのない映画館の特等席。若しくはコクピットの副操縦士席だ。

互いの表情や仕草で感情を汲み取りながら、情報を共有して生きる対策を講じる訳だが、悪戯好きのトニーだけは例外的に単独行動が許されていた。理由は大したものではない。初めての交代人格だからだ。

2000年、鮫島結城が6歳の頃にトニーは誕生した。

フォックス眼鏡の赤毛の男の子は、ブックバー・シャングリラが出来る前の更地で、砂遊びに興じながら時々表の世界に現れては悪さをしていた。

母親の口紅をクレヨン代わりにして、画用紙に動物の絵を描いたり、小遣いを全てはたいて、同じメーカーの消しゴムばかりを買い集めたりと、鮫島結城にとっては迷惑な行動だったろう。何せ記憶にはないのだから、親に叱られている理由も解らなかったはずだ。

トニーがしでかした奇行の原因は、義理の父親へ向けた承認欲求らしいが、知ったところで私は同情はしない。

幼児性愛者に媚び諂う哀れな人格だと感じたからだ。

それに、永遠に歳を取らないトニーは異質で、センターに立つ人間を理由も無く後退させる能力は、知的探求を排除し未来を衰退させる俗物だ。

何がそんなに嬉しいのかキャッキャキャッキャと走り回り、カウンターの隅で膝を抱えて眠り込む鮫島結城の隣で、いつも微妙な笑いを浮かべている。

薄気味悪い小僧だ。

覚醒したばかりの私は、私自身が見たいものを記憶に刷り込ませ、それ以外の情報は遮断していた。だから精神科病棟を警察署の拘置所と間違えたり、雑誌記者を女弁護人と錯覚した。

鮫島結城の脳内で置き去りにされた堆積物を、手探りで搔き集めた結果そうなってしまったのだろう。

覚醒期によくある混濁と目覚めは、思春期と似ているではないか。

若さとは狂おしくも情緒的で不安定であり、宿業や宿命を忌み嫌う華やかさの中で光り輝く。

その潔さは皮膚を通して筋肉や神経に伝わり、脳内のシナプスを活性化させて、大量のドーパミンを放出させるのだ。

実に愉快ではあるまいか。

生命の執着心と、死への羞恥心。

同時期に混在する、肉体から溢れ出す若さ故の生命へのオーガズム。

美しい。

若者の肉体と生命こそが快楽だ。

人間は、若鶏や子羊を好んで食すだろう?

それと似ている。

かといって私は、与えられた運命に満足している訳ではない。

色褪せたフィルター越しに見える世界は、何処か真実味に欠けているのだ。

投げかけられる言葉も空々しくて退屈だ。傍観者である私は、じっと息をひそめているだけの被食者に過ぎない。

センターに佇む三宅リヨツグ以外は、私と同等か俗物か・・・。

そう考えると、無性に表へ出たくもなるが、私の出番はまだのようだ。

眠りを知らないメデゥーサは、いつも通りにカウンターの奥まった席で、ミルク色の美しい肌を露わに微笑んでいる。穏やかな時間なのだろう。鮫島結城にとっても彼女にしても。

ふと、人類の母がメデューサで、それは即ち神をも超越した存在ではないかと思う時がある。隣に座るカシイアヤメにも聞いてみたいものだが、今はやめておこう。

新参者の私を彼が好む筈がない。

蔑ろにされて、笑いの種にされるのがオチだ。

カシイアヤメという男は、2008年、鮫島結城が14歳の頃に形成された人格だ。

東京新宿駅のコインロッカーで、へその緒が付いた状態で発見されたアヤメは孤児院で育ち、定時制高校を卒業した後にアメリカへ渡り、フロイトと名乗る男に触発されて新興宗教・BRAINに入信した変わり者だ。

覚醒したキッカケは、鮫島結城の母親が起こした殺人事件を目撃した為で、つくづく運のない男だと私は思う。

しかしながら、人生なんてのはBubbleみたいなものだ。

死んでしまえば奇麗さっぱり忘れられる。

記憶なんてのは信頼出来ない、崩壊寸前の書庫みたいなものだ。


そうだろう?


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