第7話 脳内で快楽に溺れる野蛮さの序章

調布市国領駅から徒歩3分の場所にある、老舗のラーメン店大熊は、深夜の23時を回っても行列が出来ていた。

客の多くは近所の住民達で、マスクをしながら流行り病の現状を嘆いては慰め合い、安堵の表情を浮かべていた。

不安を抱えている人々がそうであるように、寄り添いながら労わり合える関係性を求め彷徨い歩く。コミュニティーは何処でも良かった。街の喫茶店・大衆酒場・フィットネスクラブ・囲碁サロン・ラーメン店・パチンコ店。

そこに集えば、閉塞感から抜け出せる気がした。だから皆、思い思いの場所へ集まった。

ジプシー達は温もりに飢えているのだ。

翔子と哲也も、列の中央で順番が来るのを待っていた。

店内を覗くと、カウンター席に若い夫婦と小学生くらいの男の子が座っていた。


「ニンニクを入れますか?」


店員の問いに、男の子は首を横に振って答えた。

母親は水商売風の格好で、大きく開いたVネックのミニドレスは、周囲の男性客の気を惹くには充分だった。

ジャージ姿の父親はふくよかで、瓶ビールを口にしながらにこやかに笑っている。

翔子は、幼い頃を思い返していた。

母子家庭で育ち、小学校低学年の頃は、学校から帰ると直ぐに託児所に預けられた。

訳ありの子供達とは仲良くなれずに、施設の隅っこでいつも絵本を読んでいた。

スナックを経営していた母親は0時を過ぎると迎えに来て、夜な夜な手を繋いで帰路に就いた。

そんな生活が5年間続いた。

所謂、普通の子と違う非日常の世界は、翔子にとって特別なものだった。

特に、その道すがらで食べた屋台のラーメンの味は、今でも忘れられない。

酒と香水とラーメン。

翔子の幼少期と、目の前の親子の姿が脳内で同期する。

パンデミックが治ったら、そんな母親が暮らす鹿児島へ帰省するつもりでいた。

そのためには、生活の基盤をしっかり整えなくてはならないし、仕送りの額ももっと増やしてあげたいと思っていた。

何よりも、来年古希を迎える母親に、余計な心配はかけたくなかった。


「寒くない?」


哲也の穏やかな口ぶりに、翔子の頬が緩んだ。

そっと身体を寄せて手を繋ぐと、哲也は力強く握り返した。

君が好きだと言わんばかりに。

互いの収入面と、将来を悲観し喧嘩した時間は何だったのだろう。

翔子は、哲也をジッと見つめながら。


「何処に行ってたの?」


「うん・・・実家に戻ってた」


「怒られなかった?」


「親父もお袋も、翔子の味方なんだもん、実家なのにさ、俺の方が肩身狭かった」


「嘘ばっか・・・」


「いや・・・」


「すぐに戻ってくれば良かったのに」


「・・・うん・・・俺にだって・・・」


口籠る哲也のわき腹を、翔子は肘で突いた。

いつものスキンシップ、普段通りのふたりの間合い。


「俺にだって・・・意地はあるから・・・」


そう言って、恥ずかしそうに笑う哲也を見て、翔子は詫びるように言った。


「私こそごめんなさい。ちょっと言い過ぎたから・・・反省してる」


「素直でよろしい」


「よろしい?」


「うん。よろしい」


日常の世界と、非日常の世界が迷走している。

流行り病も、パンデミックも、そして取材相手の鮫島結城も、まるで存在していない不確かな真実。ただ解っているのは、今夜は冷え込んでいて、白い月は丸いということ。翔子は思い切り、哲也に抱きしめてほしいと思った。

自宅マンションへ戻ると、ふたりともシャワーもそこそこに、乾ききった唇と火照った身体を重ね合わせた。

哲也は、毛深い腕を伸ばして逞しい力で翔子をベットに押し倒した。


「あ、まだ待って」


と、拒む演技をする翔子の唇を、哲也はキスで塞いだ。

飢えた欲望は、絡み合う舌先が証明した。

濡れていく。

華奢な翔子の身体を愛撫する大きな手は、小ぶりな胸からわき腹をなぞっていく。

焦らされる快感に、翔子は白い喉を上下させて喘いでみせた。

そして、荒々しい息遣いを耳元に受けながら、翔子は身をよじらせて哲也を受け入れた。

今夜はたっぷりの愛撫よりも、そのものが欲しかった。

理由は簡単だった。

脳内の何処かに潜む侵入者・鮫島結城を追い出したかったのだ。

哲也の顔を撫でながらその瞳を見つめる。

刈り上げたこめかみを両手で塞ぐ。


「もっと・・・お願い・・・もっと・・・もっと・・・来て・・・お願い・・・もっと・・・哲也・・・お願い・・・もっと・・・もっと・・・来て・・・」


哲也の表情が歪んだ。

翔子の身体は、波打つ快楽に酔い痴れようと痙攣し始める。


「中に出したい・・・」


「あ、ダメ」


哲也の言葉に、翔子は我に返った。

身体を引き離すと、精液が胸元に飛んだ。

哲也だけが果てた。









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