月兎

 さくは自分(と常磐ときわ)の短冊をりっに見せ終わったので、それが吊るされた笹の枝を押さえていた手を放した。


 その時ふと別の枝に吊るされた短冊に〔月〕と書かれているのが目に留まり、もしやと手に取ってみると、やはり〔月影 小兎子〕と記名された短冊だった。


 そこに書かれた願いは──



「宇宙飛行士になって月に行けますように」


「ぎゃーっ‼」



 悲鳴を上げたが猛然とその短冊を引ったくった。その時、の手が自分の手に一瞬ふれてさくはドキドキしたが、平静を装い声をかける。



「笹、折れちゃうよ?」


「折れてない! 人の願いごと拡散しないでくれる⁉」


「ごっ、ごめん! マズかった? 人に知られて恥ずかしいような願いだとは思わなかったからさ」



 むしろ、この4人で唯一まともだ。


 魔法少女になりたいと願ったりっや、人がロボットに乗って戦う時代の到来を願った自分や常磐ときわと違って、現実的。



「月は前人未踏ってわけでもないし」


「ハァ……簡単に言ってくれるわね」



 が廊下で話すのを嫌がり、それから4人は人の来ない場所──階段を昇った行きどまり、立入禁止の屋上の扉の前──へと場所を移した。


 が話を再開する。



たちばな、宇宙飛行士になるのがどれだけ大変か分かってる?」


「えっと、もの凄く勉強した人たちの中から、ほんの一握りしか選ばれないってことくらいは」


「そーよ。それに、その狭~い門をくぐり抜けられたとしても、月に行ける可能性はとても低い」


「そうなの?」


「確かに月に行った人はいる。でも1972年以降、有人月面着陸は行われなくなった。宇宙飛行士がロケットで宇宙に上がっても、月までは行かなくなったのよ」


「それは知ってる」



 は初めあんなに恥ずかしがっていたのに、話し始めるとすぐに熱が入って雄弁になった。ロボットの話をしている時の自分や常磐ときわに似ていて、想いの深さが伺える。



「けど、なんでだっけ」


「予算が足りないとか、世間の宇宙への関心が低下したとか、色々よ。それから半世紀、最近ようやく『また月に行こう』って話になってるけど」


「けど?」


「今後どうなるやら。それより問題なのはね、宇宙に行く計画は国や企業が立てるもので、現場スタッフの宇宙飛行士には決められないってことなのよ」


「……ああ! つきかげさんが宇宙飛行士になっても、現役のあいだに有人月面着陸の計画が立ってくれなかったら、そのメンバーに選ばれようがないってこと?」


「そっ、最後は運よ。そんなの神頼みするしかないじゃない? だから短冊に書いたのよ」


「でもね」



 りっがニコニコしながら口を挟んだ。



「逆に言えばそれって、運良く有人月面着陸の計画が立っても、宇宙飛行士になってなかったら月に行けないってことじゃない。その自分で努力すべきところをはちゃんと努力してるの」


りっ!」


、こう見えてすっごく頭良いんだよ。将来 宇宙飛行士になるために、小さい頃からずっと勉強がんばってるの」


「『こう見えて』とはなんだー‼」



 目の前で友達とじゃれあう姿はどこにでもいる女子のようなのに、さくにはがとても遠い存在に思えた。ロボットに乗りたいと祈っているだけの自分とは比べものにならない。


 だって──



「すごいね、つきかげさんは。自分の願いを叶えるために、もう行動してるなんて。目標に至るための道筋をしっかり見定めて……それは恥じるようなことじゃない、素晴らしいことだと思うよ」


「でしょ?」


「もう、許してぇ……」



 親友を褒められてご機嫌な様子のりっとは対照的に、は今にも消えてしまいそうに小さくなった。からかうつもりはないのだが申しわけなくなる。


 あと、かわいくて困る。


 朝、りっに思ったのと同じようにを抱きしめたい衝動をさくがこらえていると──常磐ときわが、何気ない調子で言った。



「月なんか行ってどうするんだ」



 ぴしっ──空気がヒビ割れた音が聞こえるようだった。が険しい顔で、ドスの利いた声を常磐ときわに向ける。



「な・ん・か?」


「すまない! 侮辱するつもりはなかった」


「どうだか」


「俺も宇宙に興味はあるが、そこまで月に行きたいとは思わない。だがつきかげは思っている。それはお前には俺に見えていないものが見えているということだ。それがなにか知りたいと思った」



 は、大きく息を吐いた。



「はぁ……ごめん、誤解してた。理解されず馬鹿にされることが多かったから、今回もそうかと早合点したわ」


「いや、俺の言いかたが悪かったんだ。口にする前にもっとよく吟味するべきだった」


「それでつきかげさんは、なんで月に行きたいの?」



 空気を変えようと、さくは努めて明るい声で先を促した。は怒りは収まったようだが、それでも言いたくないようで、押し黙った。



「……」


たちばなくんといわながくんなら、笑ったりしないよ」


「もちろんだよ」「約束する」


「(ジャンプしたいの)」


「「え?」」


「あ~っ!」



 は観念したように、一気にまくしたてた。



「重力が地球の6分の1しかない月でジャンプすると地球上より高く跳べる、アタシはそれを体験してみたいだけ! 月面探査で科学の発展に貢献したいとか立派なこと思ってないの! だから言いたくなかったのよ‼」


「立派じゃなくても、いいと思うよ」



 さくはきっぱりと言った。


 は、目を見開いた。



「動機とか、どうでもよくない? どんな理由でも、それが世のためになることに変わりはないんだし」


たちばな……」


「逆に、世のためになることしようって人の動機にケチつけて、それで辞められたりしたら、人類の損失になるじゃない。むしろ害悪なのはそっちでしょ」


「ならこの世は、害虫だらけよ」


「知ってる。だから気になるのも分かるけど。そんな奴らよりつきかげさんのほうが絶対に偉いんだから、虫ケラの意見なんかに耳を傾けないで」


「虫ケラ──ぷっ」



 は可笑しそうに笑ったが。


 その目から、涙が一筋こぼれた。



つきかげさん⁉」


「ちが、これは、嬉しくて」


「えっ」



「だから、たちばな…………ありがとう」



「ど、どういたしまして」



 悪い意味で泣かせたのではないと安堵したとたん、さくは息を呑んだ。朝、初めて見とれた時と同じく、やはりの泣き顔はとても、キレイだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る