絵本の部屋(2)

 心臓をツンツンつつかれてもてあそばれるような気持ち悪さ。

 冗談なのか、本気なのか、変態なのか、とにかく怖い。

 同じクラスだけど、私が話した事なんてあるハズもない男子が突然声を掛けてきた。しかも私の黒歴史、人生最悪の出来事を掘り起こすなんて普通じゃないと思う。

 これってサイコパス?!


「どうしてそんな事を言うの?」棗ちゃんが私の前に立って男子に詰め寄る。

「どうしてって……」気の弱そうな男子……名前なんだっけ。

「梓をからかってるの?困らせたいの?――若林わかばやし、どうなの?」そうそう、ワカバヤシ。

「えっと……」

 こっちからわけたずねておいて、今さら『やっぱいい』だなんて、もう遅いって分かってる。だけどその少年の口元がゆっくりと動く様子をぼんやりとながめる私の両手へは、なぜか彼の口をふさごうと脳が筋肉に信号を送ってる。

 それはとても自然に衝動的しょうどうてきに。けど私の本能は、なぜかそうさせずにいた。


「僕、見たんだよ」


 そして私の本能は反射的にき返していた。

「何を?!」


「UFOだよ……見えるんだよね?御神本さんは……」


 怖くて後ろの首筋から背筋がこわばる。全身が案山子かかしみたいに固い棒にしばられて動けない。

 何て言えばいいのかなんて絶対分からなかった。見えたけど見えたわけじゃない。正確には見えてないけど、見えたように感じた。どう考えても説明できる話じゃない。

「梓の事はともかく、若林は本当に見たの?」

「見たよ」

「遠くの空に光ってた、とかでしょ」

「違うよ、三日月くらいだよ。デカイってことは近いってことだよ。このあいだ御神本さんが、UFOだ!って言ったからビックリしたけど嬉しかったんだよ僕……仲間がいるんだと思って」

「そんな……嘘だよ見えるハズない」

 棗ちゃんが弱々しく言い返す。

「じゃあもういいよ」

 それだけ言って若林は、無表情なまま出席番号最後の一番後ろの席に戻った。その動きがやけに機械っぽく見えて、景品を取れなかったUFOキャッチャーがスタート位置に戻るシーンと重なった。

「どうしよう、私……」

「気にしないで、梓ちゃん。私がいるから」

 棗ちゃんの優しさが、ふわっふわの毛布みたいで落ち着く。棗ちゃんのためなら、自分が何でもしてあげられそうな気がした。

 席に戻った若林は、もうこっちに目も向けてない。少し怖かったけど、ひとまず安心。


「すごいな、棗ちゃんは」

「ん、何が?あっこれ?練習すればできるよ」

 猫目の笑顔で自慢げに特技をせる私の親友は、左手の人差し指の先端でシャーペンを何回転も回していた。指の付け根でクルクルさせてる人は知ってるけど、棗ちゃんのその技は爪の先だから、――すごいな。

「じゃなくて!」

「ん?」

「その技もすごいけど、そうじゃなくてさっきの対応とか……」

「ああ、ううん。びっくりしたよ。でも今は関わらないでおいた方がいんじゃないかな」

「うん」

「あ、そういえば梓ちゃん、今朝のパパさんの話」

「うん、夢から覚めた少女?」

「なんか違うけど、その前は本の部屋に居たんでしょ?」

「そうだよ」

「梓ちゃんの空想部屋……」

「そうそう」

「小さい頃はよく絵本読んでもらったって」

「そんな気がするんだよね」

「へえ、いいなあ。前に梓ちゃん言ってた児童書、気になる内容だったなあ」

「あは、そんなこと言ったっけ私」

 何気ない会話だった。

 ふたりとも笑顔で。

 なごやかで。

 棗ちゃんの指先の爪で回るシャーペンを見てたら、何も考えなくていいくらいにおだやかな空間に吸い込まれそうな気分だった。


「ところで、その部屋」

「うん」

「どうして、そんなにいっぱい本があるの?」


 不思議すぎるくらい考えたこともなかった。

 誰の本なのか。

 どうしてあんなに何百冊もあるのか。

 私に絵本を読んだのは……パパでもママでもない誰か。

 私は何かを知らないみたいだった。

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