氷のステージ

 ついに決勝戦の日がやってきた。波乱を表すかのようにどんよりとした曇り空の下、ぼう富良ふら町に寒風が吹き荒んでいる。


 揚げ物のみに焦点を絞った料理の世界大会、「センタッキープライドチキン」の決勝戦は暴富良町長・能生のうなし一夫かずおの提案どおり、流氷の上で行われる事になった。危険性や事故率について、誰も特に何も考えていない。

 まずは会場となる巨大流氷の探索から始まるはずだったが、沖からわずかの位置に25メートル四方、高さ1・2メートルの大型流氷がきらめきと共に都合よく現れた。何も考えず流氷の上に流氷を置いたのでステージのようにせり上がっている。秘書のわけが命令に従いプールで作ったものだ。


 とても自然にできたとは思えないきっちりとした長方形の巨大な氷のステージに、出演者たちが笑いながら降り立っていく。この時点で安全性に注意を払っている者は皆無である。想像力が欠如しがちな愚者特有の楽観的行動といえた。


 まず設置されたのは料理人のスペース。そしてそれを円形に取り囲む審査員の席。責任者が審査員の数を把握していなかったので、予想よりも大幅に審査員が増えた。具体的には6つの席に70人以上の審査員がむりやり詰めて座っている。土俵周りに親方が80人ほど集結してしまったようなものだ。圧迫面接のプレッシャーを遥かに凌ぐ圧迫取り組み状態である。

 能生梨もまた多数の人混みに押されながら斜めになっており、足が浮いている。横回転のX軸のみならず、奥行きに当たるZ軸に沿ってゆっくりとした回転を始めた時は老町長の目に涙が浮かんだ。


 また、さも当然といった状況ではあるが、実況席の設置を誰もが忘れていた。そこで急遽、停泊した船のクレーンがガコガコ稼働。クレーンの先に雑に釣り上げられた雑なソファに、二人の男が雑に重なる形で雑に座った。実況と解説である。強風に煽られ流氷の上5メートルを常に激しく旋回している。


 音声やカメラ、照明といったスタッフは流氷の端っこの方で各々の作業の準備をしていた。2メートル先は氷の浮かぶ冷たい海だが、そこに対する恐怖心はないようだ。

 巨大流氷の中には暴富良名物に祭り上げられたハイテク手錠が100個ほど閉じ込められていたが、それに気付いた者は能生梨と田分のみである。能生梨の写真にいたっては印画紙の白い面が空に向いていた。


 準備が整った。ついに二人のファイナリストが氷上に舞い降りる。有人カメラに加え、カメラを搭載されたドローンが風に抗いながら流氷の上を飛び回った。


 船から垂らされた縄梯子にぶら下がり、まずは裸足の日本人が登場。まだ20代と思しき青年は道場破りを彷彿とさせるボロボロの道着に身を包み、全身をブルブルと振るわせている。黒い短髪が逆立っており、眉間には深いシワが刻まれていた。


「さあ、ついに決勝の舞台、暴富良の氷上に立ちました。日本のからあげげんろう。武者振るいでしょうか、体が勢いよく震えております」

「唇も綺麗な紫なので、凍えているんでしょう」

「そうですか。解説はともこもなしさん、実況は私、しゃべりすぎろうで全国にお送りいたします」


 強風の中クレーンに釣り上げられ、常に高速で回転している実況と解説の二人が、一人用ソファの上でくんずほぐれつしながら喋り出した。


「空挙選手、華麗にステップを踏んでおります。藻共菰さん、これは武道家のような珍しいパフォーマンスですね。気合十分といったところでありましょうか」

「氷の上なんで、裸足だと引っ付くんでしょう。皮バリバリですね」

「なるほど。ここでもう一人のファイナリストが姿を見せました」


 薄いワンピースで現れたサモア系アメリカ人女性のオリーブ・バターフライもまた裸足だった。カメラに向かって手を振り、踊るような動きでやはり小刻みに足踏みをしている。胸元から二人の子供の写真が落ちた。


「藻共菰さん、オリーブ選手は陽気ですね。元気いっぱい、やる気いっぱいといった様子です」

「寒くて助けを求めてるんじゃ」

「ではルール説明に参りましょう」


 斜縁は藻共菰の話を一方的に遮った。ルールがテロップで表示される。



 センタッキープライドチキン 決勝戦ルール


 1、食べられるものを使用すること。

 2、開催地の食材を使用すること。

 3、揚げ物2種であれば内容は問わない。

 4、政治やポリシーを前面に出さない。

 5、これらのルールを破った場合アウトが加算される。

   3アウトで試合終了。


 世界のさまざまな地域で開催されたSPCだが、ルールはこの5つのみ。船頭多くし山に登った割には厳格に定められているようだが、実際は誰もが言われたことに疑問を感じず愚直に進めてきただけであった。


 いよいよ調理開始の段階になって、不自然な格好でもみくちゃにされ続ける審査員の大半がポケットから何かを取り出した。血糖値の上昇を抑制するインスリン注射である。能生梨の隣で斜め70度になっている老人もまた青い注射器を取り出したが、能生梨はそれを視認できない。能生梨の顔の横には老人の膝があった。

 インスリン注射は通常ならば腹部に打つものだが、気温は氷点下に近い。当然誰もが外気に肌を晒したくない。皆が皆黙り込んだままコートやダウンジャケットの中で手をもぞもぞと動かし始めた様子を見て、能生梨は大いに慌てた。いい歳をこいた中高年たちが一斉に自慰行為にふけり出したのかと思ったのだ。


「たわけー! 助けてくれー! ぶっかかっちまう!」


 決して完成することのない生命の円環に組み込まれると勘違いした能生梨はあられもない悲鳴を上げた。声の出元がどこかわからず、田分は円形に囲まれた審査員席の外周をドタバタと走り回った。

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