11話:最後の夜

「…今私、人生で一番緊張してる」


「…空美さんに告白した時より?」


「…うん」


 この公園には、昔私達が友情を誓い合った大きな桜の木がある。周りの桜より一回り大きな木だ。私達はこの木を"長老様"なんて呼んでいた。腰を持ち上げてその木の下に移動する彼女を追いかける。


「…我ら、生まれし日、時は違えども兄弟の契りを結びしからは、心を同じくして助け合い、困窮する者たちを救わん。上は国家に報い、下は民を安んずることを誓う」


 彼女が、すっかり花を散らしてしまった桜の木に手を当て唱えたのは、三国志で有名な桃園の誓いの一部。「同年、同月、同日に生まれることを得ずとも、同年、同月、同日に死せん事を願わん」と続ける。私が今唱えたのは同じ日に生まれなくとも、同じ日に死ぬことを願うという意味らしい。なんともまぁ、重い誓いだ。


「…暑苦しい誓いだよな」


「あの時は深く意味を考えずにそのまま引用して言ってたもんね」


「痛いよな」


「あははっ、小学生だもん。よく分からないけどカッコいい!って感じだったんだろうね」


 今はもう小っ恥ずかしくて同じことは出来ない。だけど…想いはあの日から変わらない。二人もそうだと信じている。だからうみちゃんは集合場所をここにしたのだろう。


「海菜」


 うみちゃんを呼ぶ彼の声が聞こえた。彼女と共に振り返ると、走って駆け寄ってくる彼が見えた。うみちゃんが深呼吸をすると、緩んでいた空気を引き締まる。


「望、私はずっと、君に酷いことをしてきた。君の気持ちに気づいていながら、君に恋愛感情を向けられるのが怖くて、君の気持ちを否定し続けてきた。…ごめん」


 うみちゃんが深く頭を下げて彼に謝罪をする。彼の表情が歪み、ぽろぽろと涙が溢れ出す。私に、彼女に対する想いを打ち明けていた時も確かこんな顔をしていた。


「…分かってる。それでも俺は、もうどうしようもないくらいに…」


 言葉を詰まらせる望。ずっと言わせてもらえなかった言葉を出すことに躊躇っているのだろう。


「本音を打ち明けて。もう…否定したりしない」


 うみちゃんの言葉に彼は頷き、大きく深呼吸をして、真っ直ぐに彼女の目を見て続く言葉を綴る。


「俺は、君が好きだ。何をされたって許してしまうほど。側にいられるなら自身の想いを否定する言葉を吐けるほど。俺だけを見てほしいと、叶わないと分かっていても願ってしまうほど。君が好きだ。愛してる」


「…うん」


「…君の恋人になりたかった」


「…うん」


 そこまで言ってから彼は再び言葉を詰まらせ俯き「好きになってごめん」と小さく呟いた。


「…こっちこそ、好きだと言わないでなんて言ってごめん。謝らせてごめん。私は、私が異性愛者であることを前提で話すみんなに、打ち明けたのにも関わらずキャラ設定でしょと決めつける一部の人間に苛ついていた。性別を理由にフラれるかもしれないなんて微塵も思わずに好きな人に告白出来るみんなに嫉妬していた。…だから君に、性別というどうしようもない要素を理由に私に叶わない恋をしている君に、その苦しみをしばらく私と一緒に味わってほしかった。異性愛者というマジョリティに対する羨望と嫉妬を、君にぶつけてたんだ。八つ当たりをしていたんだよ」


 誰が聞いたって、非があるのはうみちゃんの方だ。望は何も悪く無い。彼女の八つ当たりは理不尽なものだ。それでも彼は彼女を責めなかった。うんうんと頷き「分かってたよ」と呟くだけ。きっと、うみちゃんは彼に怒ってほしいのだろう。


「…望。怒らないのか」


 彼は何も言わずに俯いてしまう。怒り方が分からないのか、あるいは怒る資格はないと思っているのか。怒らない理由が後者なら呆れてしまうほどお人好しだ。今の彼女にとっては彼のその優しさは逆に辛いものだろう。全くもう。仕方ない。


「うみちゃん、手加減はするから」


「へっ、ちょ…うわっ!」


 彼女の前に立ち、足を振り上げ、体の回転を利用して彼女の横腹を狙う。しかし、彼女に足を受け止められてしまう。


「ちょっ、たんまたんま!」


「あぁ?素直に蹴られろよ」


「いやいや、流石に腹はいかんよ。私、女の子だし」


 女の子扱いされたく無いと散々言うくせに。都合の良いやつだ。


「ならケツにする」 


「きゃー!やめてー!女の子のお尻蹴るなんて最低!」


「うるせぇ!都合の良い時だけ女になってんじゃねぇ!」


「ゔぁっ!」


 思い切り彼女の尻を蹴り上げる。手加減はしたつもりだが、彼女は尻を押さえながらその場に膝をついた。


「手加減するって…言った…」


「しただろ。ほら、望も一発殴っとけ」


「えっと…じゃあ…」


 ぽんっ。と、うみちゃんの頭を優しく叩く望。叩いたというか、ただ手を置いただけだ。どこまでも甘ちゃんな彼を突き飛ばして彼女の頭を思い切り引っ叩く。


「…手が出せないなら、言葉だけでも全部こいつにぶつけてやれよ。お前のそれは優しさじゃねぇ。ただの甘やかしだ」


 彼は頷き、何かを言おうと口をぱくぱくさせる。しかし、何も言えずに俯いてしまった。呆れてため息が漏れる。本音をぶつけ合うために集まったというのに。


「…望、言ったよな。『俺は二人と大人になっても親友でいたいって』今でもそう思ってんのかよ」


 彼は弱々しい声で「思ってるよ」と答える。笑ってしまう。本音を言えないくせにどの口が言うんだか。


「望、私は今日、どんな罵詈雑言も受け止める覚悟で君を呼び出した。ちゃんと向き合いたいんだ。君と、自分自身と」


 頭を抑えながら彼女は立ち上がり、言う。本音をぶつけ合うことに怯えているのは彼だけじゃない。きっと彼女もそうだ。だから今まで話し合わなかった。私だって怖い。だけど、私達の友情がこんな形で壊れてしまう方が怖い。いつまでもギスギスしている二人に挟まれている方が辛い。早く仲直りしてほしい。昔みたいに三人で心から笑い合える日々を返してほしい。

 俯いていた彼は深く、震える息を吐き、顔を上げた。泣きそうな顔で彼女を真っ直ぐ見据え、途切れ途切れに言葉を放つ。


「他の人の告白には誠実に対応するくせに、俺には好きだと伝えることさえ許してくれない君が、ずっと憎かった。君を好きになってしまったことを何度も後悔した。だけどどうしても嫌いになれなかった。君が、俺に対して酷いことをしてるって自覚があることは気付いていたから。君が自分の非を素直に認められる人間だって知っていたから。だから、いつか『ごめんね』って君が言うまで八つ当たりに付き合おうって思ったんだ」


「…うん。ありがとう。私の八つ当たりに付き合ってくれて」


「…本当は…君を責めたら…君が俺から離れて行ってしまいそうで怖かったんだ。恋愛感情は無いと嘘をついてでも、君の側に居たかった」


「…うん。私も…君を失いたくはないよ。あれだけ八つ当たりしておいてどの口が言うんだって思うかもしれないけど」


「…ほんとだよ」


「親友のままでいたかったから、君が私と恋人になりたいと望むことが嫌だった。…告白してもらって、フった方が良いことは分かっていた。けれど…あの時の私には君の想いを受け止める余裕がなかった。実はあの日の前日にね…」


 望がうみちゃんに告白をしようとした数ヶ月前に、女の子から告白されたのだとうみちゃんは語り始める。初めて聞く話だ。

 彼女の告白は恋の告白ではあったが、うみちゃんに対するものではなく、別の女の子に対して恋をしたという相談だった。うみちゃんは彼女に応援すると約束したが、数ヶ月後に再び彼女に呼び出された。

『好きな人にが出来た』という報告と『自分の想いはただの憧れだったのかもしれない』という報告を受けたらしい。

 彼女は、彼氏が出来た彼女に対して特に嫉妬するわけではなく、むしろ嬉しかったと言い、そして『自分にも気になる異性が出来た』と嬉しそうに報告してくれたらしい。そこまでは良かったが、そのあと彼女がうみちゃん言った言葉が問題だった。

 うみちゃんは彼女に『鈴木さんもいつかきっと男の子を好きになれるよ。大丈夫』と言われたそうだ。『それは君がそうだっただけで、私は君とは違う』と主張すると彼女は謝ってくれたが、うみちゃんの怒りは簡単には治らなかったようだ。


「…それが、君が私に『俺と一緒にいて平気なの?』って聞いてきた前日の話」


「…タイミングが悪かったんだな」


「…うん。そう。最悪なタイミングだった。…君は何も知らないから、完全に八つ当たりだけど」


「今まで本当にごめん」とうみちゃんは改めて謝罪する。


「…うん。…小桜さんとのこと、応援する。むしろ、早く付き合ってくれ」


「…うん。君も、新しい恋が芽生えたら教えて。全力で応援する」


「うん。…ありがとう」


「次はこれみたいなクズに引っかかったりすんなよ」


「気付ける」と彼はぎこちないが笑顔を浮かべたが、その笑顔はすぐに歪んでしまう。


「…望、私は先に帰るね」


「…うん…また明日」


 望に背を向けて、うみちゃんが家の方に歩き始める。涙を袖で拭う仕草をしながら。


「私は居たほうがいいか?」


 私も彼女と話がある。しかし、望が居てほしいというのなら居てやりたい。彼女とはどうせ夜に会うのだから。


「ううん…一人にしてほしい。また明日、いつも通りの時間にね」


「おう、遅刻すんなよ」


 望を置いてうみちゃんの元へ駆け寄る。彼女が泣いているところを見るのは久しぶりかもしれない。泣きそうな顔はたまに見るが。


「…なんでお前が泣いてんだよ」


「君も泣いてんじゃん」


「…泣いてねぇよ」


「…今日、このままうち来るよね?」


 そう言うと彼女は誘うように指を絡めてきた。驚くと彼女は「今日で最後にするって言ったじゃん」と言う。確かにそう言った。だけど今日するとは思っていなかった。


「ユリエルのこと好きなんだろ?」


「うん。好きだよ。だから、今日で君との関係はおしまい。…今日は嫌だった?」


「いや、別に嫌ではないけど…聞いていい?」


「うん」


「こういう関係を終わらせるのは、付き合えてからじゃ遅いの?」


 結局私も名残惜しいのだ。彼女と触れ合えなくなってしまうことが。


「例え割り切った関係でも、付き合えなくても、付き合いたいと本気で望むことを決心したのなら、君との関係は終わらせた方が誠実だと私は思う。私は彼女に対して誠実でありたいんだ」


「…それでも今日はするんだな」


「今日くらいは許してよ。最後なんだから。満ちゃんだって、最後に一回くらいしたいでしょ?」


「一回で済まないだろ。毎回…」


「えー?まだやめないでーって甘えてくるのはいつも君の方じゃないか。可愛いネコちゃん」


 いつもなら舌打ちしてしまうのだが、今日はため息しか出なかった。





「今日で終わりか…」


 風呂に入っている彼女を待つ。こういうことをすることも今日で終わり。やはり、名残惜しい。


「満ちゃんお待たせー」


「…うん」


 部屋に入ってきた彼女に抱きつくと、彼女は珍しいねと言いながら私の腰を撫でる。跳ね除け、話を聞いてほしいと伝える。ベッドに入ると抱きしめられたが、頭を撫でるだけで服の中に手を入れたり脱がそうとはしない。


「…ごめん。執着しないって言ったけど…本当は少し寂しい。うみちゃんは、私を理解してくれる数少ない人だから」


「…うん」


「…うみちゃんに対して恋愛感情があるかって聞かれたら、多分、無い。…こうやって抱きしめられても、落ち着きはするけどドキドキはしない。…実さんのヴァイオリンの音を聴いた時のような感覚はない」


 あの感覚を恋と呼ぶのかはまだよく分からないが。


「けど、今のところ、うみちゃんの代わりはいない。だから…手放すのが惜しい。うみちゃん、よく言うだろ?『好きだけど恋人にするのは勿体ない』って。私も同じ気持ちなんだよ。私は、うみちゃん以外とセックスしたって平気だし、うみちゃんが誰とセックスしようがどうでもいい。執着されんのは面倒」


「うん。分かるよ。割り切った関係って楽だもんね」


「…寂しいんだ。恋愛感情があることが当たり前の世の中で、私だけ恋愛感情が分からないことが。私は恋愛感情を理解したい。普通に恋がしてみたい。けど、理解出来ない。うみちゃんが私と同じなら良かったのに」


 彼女にも恋愛感情がなければきっと、この関係はずっと続いていた。そう思ってしまうのは、やはり私が彼女に執着している証拠なのだろうか。でも、恋じゃないのは確かなんだ。ドキドキしないから。彼女の代わりが居れば彼女は——言い方は悪いが、用済みになるから。別に、彼女でなければいけないわけではない。だからきっと、恋では無い。


「…満ちゃん。今日はたくさん質問してくれてありがとう」


 その言葉以降、続く言葉はなく沈黙が続く。他にいう言葉は見当たらないのだろう。ようやく出てきた言葉は「ごめん」の一言。


「…いつか必ず理解できるなんて無責任なこと言われるよりは全然マシ。言葉を選んでくれてありがとう」


 恋愛感情がわからないというと、ほとんどの人は『いつか理解出来る』となんの根拠もなく無責任なことを言う。『そういう人もいる』と教えてくれたのはうみちゃんだけだ。


「これからもたくさん質問していいからね。私が分かることならなんでも答えるよ」


「…恋愛感情はまだ分からないけど…うみちゃんがモテる理由はなんとなく分かる。…お前の吐く言葉は心地良い」


 だけど、自分だけを見てほしいと彼女に望む気持ちは私には分からない。


「珍しい。今日はデレの日なんだね。いつもツンツンしてるのに」


「…色々考えすぎて疲れた。ねぇ…早く…」


「頭の中空っぽにして」

ベッドに寝転がって彼女にそう囁くのも、今日で最後だ。きっと、もう二度と無いだろう。名残惜しい。だけどもう一度こういう関係に戻りたいとは思わない。再び彼女とこういう関係になるとしたらそれは私と彼女が恋人になる時か、彼女がまた失恋して病んでしまった時だから。私は彼女の幸せを望む。彼女が幸せなら、隣で人生を歩むのは私でなくとも構わないのだ。

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