第二章:この気持ちは恋なのか

8話:この気持ちは私が求めていたものなのか

「あ、百合香、今のうちにLINK交換しよ」


「えぇ」


「私も」


「いいわよ」


 望達と別れて教室に入り席に着き、小桜さんとLINKを交換する。


「そうそう。昨日君が帰ったあとにクラスのグループを作ったんだ。招待しておくね」


「ありがとう」


 昨日招待されたグループの人数は小桜さんが入ったことで40人になった。クラスの人数と一致しているが、まだ誰が誰だか分からない。中には本名じゃない人もいる。ざっと見ていると、ミューズのキャラクター—うみちゃんが言っていた久遠銀河—をアイコンにしている人もいた。人気があるのだろうか。


「…月島さんのアイコン、これ何?」


「あぁ、これ?うちで飼ってる犬。可愛いでしょ」


「…犬なの?」


 私がアイコンにしているのはペットのつきみだが、丸まっているため一見何かわからないのも無理はない。


「犬だよ。ポメラニアン」


「…クッションか何かかと思った」


「丸まってないやつもあるよ。見る?」


「見たい」


 写真を開いて小桜さんにスマホを渡す。


「"つきみ"って名前のアルバムにまとまってるから」


「つきみ?」


「犬の名前。月見団子から取った。丸くて白いから」


「月見団子というか、綿菓子みたいね」


 確かにわたあめや綿菓子という案もあった。しかし、私の家族の名前は全員月に関係している。私が満月、弟が新月、父が晧輝こうき皓月こうげつ—明るく光る月のことらしい—に由来する。母の名前は月に由来していないがミカという名前だ。美しい花と書いて美花みか。だから犬も月に関する名前にしようと月見団子からとってつきみ。だんごという案もあったがやめた。


「…なるほど。そうなのね」


 ふと、小桜さんの手が止まる。


「もしかしてこれ、海菜?」


 見せられた写真につきみと一緒に写っていたのは私と望と、そして髪の長い頃のうみちゃん。


「ん?…あぁ…そうだよ。私。中2の終わりまではずっと伸ばしてたんだよ。短くしたのは去年なんだ」


「ばっさりいったのね」


「うん。…長いと手入れ面倒だしね」


 写真と今の彼女を見比べる小桜さん。「髪が長い方が女性らしいと思う」と言ってからしまったと気まずそうな顔をする。


「あっ、で、でも…今の方が素敵よ。私はそう思うわ。私は短い方が好き」


 何に対するフォローかはよく分からないが…もしや"女性らしい"というワードがうみちゃんの地雷だとでも思ったのだろうか。必要以上に人の顔色を伺って気を使うタイプなのかも知れない。


「…君みたいな綺麗な人に好きって言われるとドキドキしちゃうな」


 うみちゃんが彼女を揶揄うように笑う。どこか嬉しそうだ。


「なっ…もう!また揶揄って!」


「…ふふ。ごめんごめん。別に私は女性らしいって言われることに対しては何も思わないよ。それを強要されるのが嫌なだけ。男性に間違えられちゃうから髪を伸ばした方がいいとか、スカート穿いた方がいいとか…そういうことをたまに言われるんだ。それが嫌なの。君は別にそういう意味で言ったわけじゃないでしょう?」


「…えぇ。違うわ。…そういうの苦手だって、自己紹介の時に言ってたから」


「あぁ、覚えててくれたんだね。ありがとう」


「印象に残ってたから。髪が長い方が女性らしいって言ったのは…ただの…感想よ。…そうした方が良いって意味じゃないわ」


「…うん。大丈夫だよ。分かってる。私の気持ちを汲み取ってくれてありがとう。…君は優しいね」


「優しいわけじゃないわ。私…」


 何かを言いかけてやめる。


「…なぁに?」


「…な、なんでもない。…何言おうとしたか…忘れちゃった」


「あはは。よくあるよくある。…また思い出したら教えて」


「…えぇ。…思い出したらちゃんと話すわ」


 やはり、彼女は何かを抱えているのだろう。しかし私達は出会ったばかりだ。踏み込めるほど仲良くない。こういうのは本人が話すのを待ったほうがいいと、私は思う。


「…うん。…なんでも話していいからね。悩み事とか、不安なこととか…なんでも」


「うみちゃんに話せない話なら私が代わりに聞いてやってもいいし」


「…ありがとう。二人とも」


『思い出したらちゃんと話す』ということは既にそれほど私達を信頼しているのだろうか。


「みんなおはようー。そろそろ席付いておけよー。鐘鳴ったらホームルーム始めんぞー」


 三崎先生の声が教室に響く。時刻は8時35分。HR5分前だ。小桜さんからスマホを返してもらい、ポケットにしまって前を向く。

 40分になるとHRが始まった。担任が一日の流れを説明し、廊下に出席番号順に整列する。今日は対面式と部活動紹介のみで、午前で解散となる。授業が始まるのは明日から。本格的に高校生活がスタートするのは明日からだ。うみちゃんの従姉妹の空美さんは音楽部。同級生4人と"クロッカス"という5人組のバンドを組んでいるらしい。パートはドラム。ピアノをやっているからキーボードかと思ったが、ドラムがいないからと切望されて、趣味でドラムをやっている弟から教わりながら始めたらしい。

 ちなみに彼女の彼氏のまこちゃんこと藤井ふじいまことはサッカー部。部員が多いため舞台に上がるかどうかはわからない。


「新入生が入場します。皆さん、拍手で迎えてください」


 体育館の中からアナウンスが聞こえ、重そうな錆び付いた横開きの扉がゆっくりと開く。廊下に光が差し込み、拍手の音がまばらに聞こえてきた。担任の後に続き、体育館に入場する。


「でっか…あれ、女子?」


「女子に挟まれてるってことは女子だな」


「イケメンすぎない?絶対あだ名王子でしょ」


 拍手の音に混じって、上級生の声がひそひそと聞こえてきた。視線を感じる。恐らく私ではなく、前のうみちゃんに向けらている視線だろう。『前後の女子レベル高くね?』という声も聞こえた。うん。知ってる。私は可愛いからな。


「…こうも視線浴びちゃうと手振りたくなるよね」


 うみちゃんが冗談っぽく呟く。


「王族のパレードじゃねぇんだからやめろ」


 新入生が全クラス入場し終わったところでBGMが止まり、上級生が全員立ち上がり『校歌斉唱』という司会の言葉を合図にピアノの生音が流れる。舞台の上でピアノを弾いているのは空美さんだろうか。

 うみちゃんは以前『みぃちゃんのピアノを聴くのが辛い』と言っていた。もう平気なのだろうか。後ろ姿では表情が分からない。

 歌が終わるとピアノを弾いていた彼女が二年の列に合流し、全員着席し、在校生の代表の名前が呼ばれた。


「みなさんおはようございます。新入生のみなさん、ご入学おめでとうございます。今こうして新しい出会いに恵まれたことを—」


 挨拶が終わると、次はうみちゃんの名前が呼ばれた。彼女の「はい」という元気な返事が体育館中に響く。演劇部だけあって声がよく通る。

 堂々とした足取りで舞台へ向かい上がると、マイクを軽くトントンと叩き、マイクチェックをしてから話し始めた。


「本日は私達のためにこのような会を開いていただき、ありがとうございます。私達は—」




 彼女の挨拶が終わると、在校生と向き合って礼をして対面式が終了した。一旦着席席させられ、しばらくすると司会が教師から生徒に変わる。在校生代表挨拶をしていた生徒会長だ。カーテンと扉を締め切り、体育館全体の照明を落とし、舞台だけにライトが付く。今から部活動紹介が始まるようだ。演劇部以外は特に興味はない。


「…お、まこちゃんだ」


 サッカー部の部紹介で空美さんの彼氏のまこちゃんが舞台に上がる。音楽に合わせてつま先や膝を使ってぽんぽんとボールをドリブルする姿に拍手が上がる。『カッコいい』なんて声がどこからか聞こえた。ちらちらと舞台袖を気にするまこちゃん。この次は音楽部だ袖に空美さんが居るのだろうか。


「あはー。色ボケしてるねーまこちゃん」


「試合全負けすれば良いのに」とうみちゃんが鼻で笑いながら呟く。昔から彼女は彼に対して当たりが強いが、別に嫌いではないらしい。好きな人の彼氏だから気に入らないだけだと自分で認めている。


「ねぇ海菜は…」


 サッカー部の部紹介が終わったタイミングで小桜さんが振り返ると、うみちゃんはしーと人差し指を立てて彼女を前に向かせた。


「次、私の従姉妹が出るんだ」


「…従姉妹?」


「軽音部のクロッカスってバンドでドラムやってるの。見ててね」


 舞台の緞帳が上がる。ギター、ベース、ドラム、ボーカル…普通のバンドは大体、あとキーボードが居ると思うが、彼女たちのバンドには居ないようだ。代わりの楽器はヴァイオリン。珍しい組み合わせに体育館がざわつく。

 楽器を持っていない生徒がスタンドマイクに「あーあー」と声を乗せてマイクチェックをする。


青商あおしょうのみんなー!おはようー!そして、昨日新しく青商の仲間になった一年生ちゃん達!はじめまして!あたし達、クロッカスです!」


 在校生側から歓声が上がり、メンバーの名前と思われる名前を呼ぶ声が飛び交う。どうやら生徒達から人気があるらしい。


「メンバー紹介します。まずはギターのユズキ!」


 紹介されたメンバーが一人一人担当の楽器を軽く鳴らすたび、拍手が起こる。そして…


「そして、キーボード…ではなく、ヴァイオリンのミノリ!」


 ミノリと呼ばれた女子生徒がヴァイオリンを鳴らした瞬間、全身に鳥肌が立つ。どくん…と心臓が高鳴った。


「…すげぇ。ヴァイオリンの生音初めて聞いた…」


 たった数秒鳴らされただけの透き通る音で引き起こされたこの興奮は、そういうことなのだろうか。それとも…。

 まだ分からない。分からないけれど…彼女は、私の知りたい感情を知る鍵となるかも知れない気がしてならなかった。

 マイクを通したMCの生徒の咳払いで再び会場が静まり、私もハッとする。


「ユズキ、ソラミ、セイ、ミノリ…そしてあたしがボーカル兼MC兼リーダーのキララです!えっと、ソラミはさっき校歌斉唱でピアノ弾いてたのになんでキーボードじゃないのかっていうと…ドラム叩ける人がこの他にいなかったからです!かといってキーボード弾ける人もいないのでヴァイオリンで代用してます。ほんと…みぃちゃんが二人いたら良かったんですけどね」


 MCの言葉で苦笑いする空美さん。


「あ、みぃちゃんってのはソラミちゃんのあだ名です。なんか、従姉妹ちゃんからそう呼ばれてるみたい」


 その従姉妹というのはうみちゃんのことだろう。うみちゃんの兄の湊さんもみぃちゃんと呼んでいるが。


「…っと…ごめんなさい。話が逸れちゃった。そろそろ曲の方いきたいと思います。入学する新入生ちゃん達のために、書き下ろしてきました。それでは聞いてください。"走り出せ青春"」


 MCのキララさんがスタンドマイクを握りしめ、足でリズムを取る。その足に合わせるように、ドラムスティック同士がぶつかるカンカンという音が聞こえた。すっ…と呼吸音がマイクを通って体育館に響く。彼女の声から曲が始まり、後を追うようにドラム、ヴァイオリン、ギター、ベースの音が入るが、私の耳は主旋律を奏でるヴァイオリンの音を重点的に追いかけてしまう。


「…ペンライト欲しいなぁ」


 うみちゃんの呟きに「分かる」と自然に返してしまうが、ヴァイオリンだけのバージョンも聴きたい。そう思っていると歌もギターもベースもドラムも止まり、ヴァイオリンのソロパートに入る。美しいヴァイオリンの旋律に、私の心臓の音が重なる。彼女の奏でる音が作る世界に引き込まれていく。




 演奏が終わっても、しばらく余韻が抜けなかった。ようやく抜けた頃にはもう放課後だった。


「満ちゃん、帰るよ」


「…おう」


 あの感覚はライブに行った時の高揚感に似ていた。だけど、少し違う気もした。あの感覚が恋なのだろうか。私はミノリさんに一目惚れをしたというのだろうか。まだ分からない。明日から体験入部が始まる。うみちゃん達はきっと音楽部に行くだろう。そこで彼女に会えば、この気持ちの正体が分かるだろうか。

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