3話:何も変われない

「と、言うわけで私は多分、異性を好きになれんと思う。そもそも自分の中に恋愛感情が備わっているかも分からん。以上」


 夕食の時間。弟も含めて全員揃っているところで打ち明ける。うみちゃんのことを知っているおかげか、誰一人として特に大きなリアクションはしなかった。


「まぁ、恋愛は義務じゃないからなぁ。父さんはともかく、私は別に元から口出さんつもりだったし……恋愛感情を持たない無い人間も世の中には存在するって、かいさんも言ってたから、満はそうかもしれないってことなんだろ?」


「恋愛感情を持たない人間?それって、人に恋をしないってことか?」


「そう。アセクシャルって言うらしい。実際に当事者と会って話したこともあるって」


 海さんというのはうみちゃんの母親のことだ。バーを経営していて様々な人と関わるからか、そういうことには詳しいらしい。


「うん。私も多分そう」


「……けど、そうだと決めるには早すぎると思う。私も初めて人を好きになったのは二十歳過ぎてからだったから」


「もしかして、それが父さん?」


 目を輝かせる弟。しかし両親は共に首を振った。


「私も、決めるには早すぎるってことは分かってるよ。そういう可能性があるって話」


「分かってるよ。打ち明けてくれてありがとう」


「……確信が持てるまで言うかどうか悩んだけど、父さんからいちいち彼氏が出来たらって話されんのうぜぇから。知っておいてほしかったんだ。私は、彼女はともかく、彼氏は多分作らない」


「……そうか。彼氏は作らないのか」


 以前から、私に彼氏が出来たら寂しいと言っていた父だが、私が彼氏を作らないという話を聞いて喜んだりホッとしたりすることはなく、複雑そうだった。


「……満のウェディングドレス姿は見れないかもしれんのか……」


「……見たいなら着るけど」


「何にもないのに着たってただのコスプレにしかならんだろ。そうじゃなくて、娘の結婚式に出たかったって話だよ」


「……まぁ、まだわかんねぇけどな。けど、男を好きになれないことはほぼ確定でいいと思う」


 うみちゃんの母親は元々、レズビアンだったらしい。結婚したのは決して世間体を気にしてのことではなく、自ら夫—つまり、うみちゃんの父親—と結婚したいと望んだのだそうだ。曰く、『女性が好きだけど彼は例外』なのだとか。私もそういう例外の人と出会う可能性はゼロでは無い。今の私的には限りなくゼロに近いように思えるが。


「……新はどうなの?気になる人居る?」


「……うーん……俺もまだよく分かんない」


あらたはこの間まで小学生だったもんなぁ」


「父さん、俺もう二年生だよ。……ところで姉ちゃん、気になってたんだけど、最近よくうみちゃんの部屋行ったりうみちゃんがこっち来たりしてるよね」


「うん。なんか最近眠れないらしくて。何か問題でもある?」


「いや、問題はないよ。ただ、うみちゃんと付き合ってるのかと思ったけど……恋愛感情が分かんないって言うってことは違うんだなぁと思って」


「付き合ってはいないよ。ただ一緒に寝てやってるだけ」


 間違いではない。当たり前だが、彼女との関係を詳しくは話していない。流石に話せない。


「ベランダから抜け出すのは良いけど、一言言えよ?」


「新から伝わってるだろ?」


「伝わってるけどさぁ……よくやるよ……怖くないの?あんな高いところ飛び越えて」


「落ちてもよっぽど当たりどころ悪くない限り死なんだろ。あと、今日も向こう行くから。はい、今伝えたー」


「……俺も遊びに行きたいなぁ……」


「満はともかく、新は絶対ベランダから落ちるからやめなさい」


 カミングアウトしたにも関わらず、家族はいつも通りだ。だけど、うみちゃんの件を知った時は全員戸惑っていた。彼女の件があったから、私もそうだと言ってもすんなり受け入れることが出来たのだろう。彼女の件がなければきっと、彼女が居なければ、誰にも打ち明けられずに一人で悩んでいたかもしれない。




 その日の夜。いつものようにベランダを飛び越えて彼女の部屋の窓をノックする。鍵が開くと同時に中に引き込まれた。強い力で抱きしめられ、身動きが取れなくなる。身体が震えて息も乱れている。何かあったのだろうか。


「……どうした」


「……ちょっと……居眠りしちゃったら……悪夢……見て……」


「……そうか」


 抱きしめ返して背中を叩く。少しずつ呼吸が整ってきた。


「……生理前だからかな。心が不安定なの」


「……そういう時あるよな」


「……あと、凄く眠いしお腹痛い」


「……今日はもう寝るか?」


「……うん……今日は隣で寝てくれるだけでいい……そんな気分じゃないから」


「ん。じゃあベッド行くぞ」


 しがみつく彼女を引き剥がして担ぎ上げ、ベッドまで運んでおろしてからベランダの窓の鍵を閉めて彼女の隣に横になる。


「……もっと丁寧に運んでよ。お姫様みたいにさぁ」


「うるせぇ。お前は王子だろうが。電気消すぞ」


 ベッドのサイドテーブルに置かれたリモコンを操作して電気を消す。


「……なぁ、寝る前に話聞いてもらっていいか?」


「……一応聞くけど……寝落ちしても文句言わないでね…」


 もう既に寝落ちしそうな声だ。


「……家族に話したんだ。私は恋愛出来ないかもしれないことと……仮に好きな人が出来たとしても、多分、男性ではないと思うってこと」


「……男性は無理なの?」


「……多分な。性欲はあるけど、男とはしたくない」


「……そうなんだ……性別関係無いと思ってた」


「恋愛感情の有無はまだ決めるには早いけど、男性とそういうこと出来ないのはほとんど確定だと思う」


「……家族の反応は?」


「あっさりしてた。母さんはお前の母さんから恋愛感情が無い人も居るって話を聞いていたらしい。けど、母さんも初恋は二十歳過ぎてからだったから、私の歳で恋愛感情が無いって言い切るのは早すぎるんじゃないかって」


 それも一理あることは重々承知している。


「そっか……良かったね。受け入れてもらえて」


「……お前と、お前の母さんのおかげだよ。そういう人が世の中に居るって私の母さんに教えてくれたから」


「そうなんだ。お父さんと新くんはどんな反応してた?」


「新は特に何も。俺もまだよく分かんないって。父さんは、結婚式に出られないかもしれないのが悲しいって」


「あはは……でも一応、女同士でも式だけはあげられるし……もしかしたら私達が大人になる頃には同性婚が認められているかもしれないよ。というか、認めさせる」


「……私もやれることがあったらやるわ。……特別と思える人が現れるかは分からんけど、男じゃない可能性が高いから」


「うん……ありがとう……」


 背中に回された彼女の腕や、身体に絡みつく脚から力が抜けていく。


「……話聞いてくれてありがとう。おやすみ」


「……うん」


 寝息を立て始めた。安らかだ。彼女との関係が始まった頃は彼女は毎日のようにうなされていたが、今はそんなこともなくなった。少しずつ、昔のような笑顔を取り戻してきている気がする。望のこともいつかは解放すると言っていたが、そのいつかは案外遠くはないのではないだろうか。できるなら早く解放してやってほしい。彼女も心配だが、彼も心配だ。


「……望……ごめんね……」


 目を閉じたまま、彼女はぽつりと呟いた。瞳から流れた涙を拭ってやる。寝言で呟いてしまうほどに罪悪感を抱えているのなら尚更、早く解放してやればいいのに。それほどまでに怖いのだろうか。彼に好きと言われることが。


「……望はお前と付き合いたいとは言わないと思うよ」


 寝言に返事をするのは良くないというが、つい呟いてしまう。

 彼は私に告白してくれた村田のように、想いを伝えるだけでいいと言うだろう。だったらそうさせてやればいいのに、頑なにそれをさせない理由はなんなのだろうか。

 まさかとは思うが『女同士で付き合ってるなんて普通は考えない』と彼が言ったことをまだ怒っているのだろうか。

 まさかそんなわけない、もう一年も前の話なのに。と、簡単には言えない。あの言葉でどれだけ傷付いたかなんて、彼女にしか分からないのだから。そして、簡単に許してやれとも言えない。当たり前のように異性愛者だと決めつけられてしまう苛立ちは私にも理解できてしまうから。他人から向けられる恋愛感情に嫌悪感を抱く気持ちも。

 私は彼女に同情している。自分を重ねることがある。決定的に違うのは、彼女はもう恋を知っていること。彼女に二度目の恋が訪れた時、もしくは私が恋を知った時、私達は一線を越える前の関係に戻ると約束をした。寂しさを紛らわせるために身体を重ねることは無くなる。隣で寝ることも無くなるのかもしれない。その日が来るのを想像すると寂しくなる。恋なんてしないでほしい。私から離れないでほしい。


 あれ?まさか、この醜い独占欲は恋の一種だろうか。いや、おそらく、これはただの独占欲だろう。

 彼女の隣で寝ていても、キスをしても、触れられても、手を握っても、ドキドキしたことは一度もない。

 好きという感情は抱いている。死にたいと泣く彼女を見て、死なないでほしいと願った。彼女が生きたいと望んでくれたことが嬉しかった。しかしそれは親友として当たり前の感情ではないだろうか。きっと、望が同じことを言っても同じことを思う。キスしていいかとか、好きな人の代わりに抱かせてくれと頼まれたら拒否するかもしれないが、望が女だったら、それも別に構わないと言ってしまうかもしれない。もっとも、彼は誰かを好きな人の代わりに出来るタイプではないと思うが。『好きでもない人とはそういうことは出来ない』と以前言っていた。彼の性欲は恋愛的な好意を持つ相手にしか向けられないらしい。だから彼女の隣で寝るのが辛いのだと言っていた。彼女以外の女性の隣で寝るのは別に平気だと思うとも。うみちゃんを好きだと自覚する前は、私と同じく、恋愛感情は分からないと言っていた。だから母の言う通り、まだ出会えていないという可能性も全く捨てきれないが、少なくともうみちゃんに対する感情は望と同じものであり、好きではあるが恋ではないと思う。


「……満ちゃん……」


 寝言で名前を呼ばれたって、しがみつかれたって、私の心臓は静かだ。抱きしめ返しても、変わらない。一線を超える前と何も。

 何も変わらない。

 何も、変われない。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る