先輩ヒロイズム

雨宮和希

<上> そうして私は先輩に出会った。

 私が先輩に初めて会ったのは、高校に入学した直後――一年生の春だった。

 その日はいつもより少しだけ風が強かった。私の頬をゆるりと撫でる風は桜の梢をしならせ、花弁がいつもより少しだけ大きな螺旋を描いて地面へと沈んでいく。

 桜並木から花びらが踊る川沿いの歩道。それが通学路だった。

 私は友達になったばかりの女の子と並んで歩きながら、その背中をじっと見ていた。

 それは、単なる奇異の目線。人は変わったものを見ると、自然と視線が引き寄せられてしまうものだ。特に好奇心が強いと自認している私は、その傾向が顕著だった。

 明らかに染めた金色の髪に尖ったピアス。背が高くがっしりした体格。私たちと同じ高校の制服をだらしなく着崩しているその外見は、道行く人の中でもひときわ目立つ。


「見ない方がいいよ」


 隣を歩く友達に、ひそひそと囁かれる。


「なんで?」

「あの人、このへんじゃ有名な不良なんだって。絡まれたら怖いよ」


 なるほど、と私は思う。

 確かにあの外見はいかにも不良といった感じだ。


「ちょっと歩くペース落とさない?」


 先輩から距離を取りたいという気持ちが、友達の顔に書いてある。

 そんなに怖がるなら、と私は頷いた。ひときわ目立つ外見に興味は惹かれたものの、不良なんてどこの学校にも一人はいるものだし、そこまで珍しくもないよね。


「……怖くないの?」


 友達が不思議そうに尋ねてきたので、私は印象だけで語った。


「怖くないよ。たぶん優しい人だと思う」

「どうしてそう思うの?」

「んー、雰囲気が優しそうだからかな?」


 くすりと笑って私が言うと、友達はぽかんとしたような表情になった。

 何というか、周囲を威圧するような外見に反して、雰囲気が柔らかい気がするのだ。


「絶対気のせいだと思うけど……」


 と眉を顰める友達に私は苦笑する。特に根拠はないからだ。

 その時のことだった。

 十数メートル前方を歩いていた先輩が、肩越しに私たちを一瞥する。

「ひっ」と友達が怯えたように呻き、私は試しに片手をひらひらと振ってみた。

 先輩の顔からは「は?」という声が聞こえてきそうな表情が浮かぶ。

 私なりに友好の意を精一杯示したのに、先輩は無視して再び歩き出した。


「ほらやっぱり、怖い人じゃないでしょ?」

「今の眼光を見て、どこからその感想が出てくるのかわたしには分からないよ……」


 友達の恨みがましい視線に、私は肩をすくめることで誤魔化した。


 ◆


 二度目の邂逅は学校の屋上だった。

 私は好奇心旺盛な性格を自認しており、その日の放課後も自身の性格に基づき、新たな生活空間となる学校を探検していた。特に面白いものは見つからなかった。


「あ、そうだ」


 ひとつ忘れていた場所に気づいた。屋上には昇れるのだろうか。

 けれど三階から屋上の扉に至るまでの階段には、もう使われなくなった机や椅子が所狭しと置かれていた。ちょっと埃っぽかったので咳き込みつつ、けれど私はさっきまでよりわくわくした気持ちで机を動かして、どうにか道を作っていく。

 たてつけが悪い屋上の扉には、どうやら鍵がかかっていないらしい。

 ドアノブを捻り、ゆっくりと押し開いていく。

 扉の隙間から入り込んでくる春の風が、私の髪をふわりと浮かせた。

 屋上には落下防止の柵だけがあり、他には何もない。

 私は扉から真っ直ぐ前へと歩き、柵に手をかけて景色を眺める。


 おおーと、思わず声が漏れる。


 夕焼けもあいまって、なかなか良い景色だった。

 ひとつ頷いて振り返ると、塔屋の横の壁――扉を開いて正面を向いたままだと死角になる位置に、背を預けて座っている大柄な男子に気づいた。


「おや、不良の人じゃないですか」


 それも、つい先日通学路で見かけた容姿だ。


「なんで知り合いみたいな面で話しかけてきてんだ。誰だよお前は」


 不良の人は呆れたような口調で応じる。


「私は一年生なので、きっと貴方の後輩です」

「答えになってねえんだよ」

「先輩は二年生ですか?」

「だから何だ」

「いえ、単に先輩という呼称が正確なのかどうかを確かめたかっただけです」

「……変な女だ、いいからさっさと消えろ。ここは俺の庭なんだよ」

「何読んでるんですか?」

「おい、人の話聞いてんのか?」

「ほう、動物の生態図鑑ですか。なかなか興味深いものを読んでますね」

「勝手に覗いてくるな。何なんだお前は」

「ちなみに私の推しは熊です。でっかい! 強い! かっこいい! の三拍子!」


 ぐわー、と熊の威嚇のポーズを取ると、先輩はため息をついた。


「ツキノワグマは可愛さも入り混じっててアリなんですが、しかし、私が熊に求めている要素を鑑みるとやはりヒグマが正義みたいなところありますよね」


 でも名前はツキノワグマの方がセンスあるような気がします、と私は続ける。


「お前ほんとに会話する気あんのか?」

「むしろ先輩には、私と会話する気があったんですね?」


 先輩が押し黙るのを見て、私はにんまりと笑う。

 やっぱり、この人は優しい。


「ええい、アホらしい。俺は帰るぞ」

「あ、私も帰るので一緒に帰りましょう」

「何だお前、その距離感は……」

「――私、先輩みたいに面白い人を観察するのが好きなんですよ」


 私が満面の笑みを浮かべて告げると、訳が分からないとでも言いたそうな顔をしていた先輩は、やがて諦めたように首を振り、「勝手にしろ」と投げやりに言った。


 スタスタと歩いていく先輩に、私はちょっと早足でついていく。

 私が早足になっていることに気づいた先輩はいったん速度を落とし、しかし、よく考えると私に合わせる理由がないことに気づいたのだろう、再び歩く速度を戻す。

 そんな先輩に、私はくすりと笑みを零した。


「だいたい、なんでお前は屋上に来た。わざわざ通りにくいように机を配置したのに」

「あ、先輩ひどい。私、けっこう苦労して机を動かしたんですよー」

「だから、何でそこまでして屋上に来たのかを聞いているんだが」

「ていうか、先輩こそ普段はどうやって屋上まで昇ってるんですか?」

「手すりに乗ってジャンプすれば机の山を越えられるんだよ」

「あー、なるほど。私には無理そうですね……」

「――で、俺はお前の質問に答えたんだから、俺の質問にも答えてくれ」

「探検ですよ」

「探検」


 私が指を立てて言うと、先輩は理解しかねたように言葉を繰り返した。


「はい。学校の探検です。マッピングは済ませておかないといけませんからね」

「この世界はゲームじゃねえんだがな」

「いえいえ、別に先輩のことをイベントのキーキャラだと思ってるわけじゃないですよ」

「それは聞いてねえから言わなくていいぞ」

「先輩を倒したらレベルアップすると思ってるわけでもないです。まず倒せませんし。仮に戦闘が起こるとしたら負けイベント確定なので大人しく降参する構えです」

「良い心がけだな。負けイベントが発生する前に俺の前から去った方が無難だぞ」

「それじゃストーリーが進まないじゃないですか。ゲームはクリアしてこそです。しかし価値があるのはそれまでの過程だとも思っている人間なんですけどね、私は」

「ゲームに一家言あるのは結構なことだが、これはストーリーじゃないし、俺はイベントのキーキャラでもねえって最大の問題があるな」

「私のプレイヤーとしての直感がビビっと来てますから。先輩と絡んでいった方が、なんかこう、面白い感じになると、私の心に住む妖精さんが囁いています」

「ツッコミどころはたくさんあるが、いちいち反応してたらキリがねえな……仮にお前の言う通りだったとして、だったらもうちょっとレベル上げてから尋ねてこい」

「はっ!? まさか負けイベントだと思ってたら普通にゲームオーバーになるパターンのやつですか!? せ、先輩がそんなことしてくるような強敵だったなんて……!」

「なんで意外そうなんだよ……」

「敵キャラみたいな顔で登場してくるだけの味方キャラだと解釈したいところです」

「願望じゃねえか」


 そこまでツッコんでから先輩は疲れたように額を押さえる。


「――話を戻すぞ。何を思ってお前は学校を探検しようと思ったんだ? こう言っちゃなんだが、何の変哲もない普通の高校じゃねえか」

「そうですね。どうせ秘密の隠し通路なんて見つかりません。でも、探せば何かしら出てくるかもしれないじゃないですか」

「……物好きな奴だ」

「私、こう見えて好奇心旺盛なんですよー?」

「こう見えてって、どう見えると思ってたんだ」


 そこまで言って、先輩はふと足を止めた。

 空を仰ぐ。

 私は小首を傾げつつ、同じように上を見たけれど、特に気になるようなものはなかった。

 気まぐれな空は、いつの間にか雲で覆い隠されているが、まだ雨が降りそうな感じでもない。

 しかし、先輩が纏う雰囲気が先ほどまでとは一変したことに私は気づいていた。

 それはこれまでの、うざったそうにしつつも穏やかで優しい雰囲気ではない。

 もっと刺々しく、近づくものを拒絶するような、鋭い刃物にも似た冷徹な雰囲気だ。


「先輩……どうかしましたか?」

「――後輩。急用ができた。先に帰ってくれ」


 図々しさには定評のある私だが、だからこそ引き際は心得ているつもりだ。これは、先ほどまでとは違う。本当の意味での拒絶だ。だから私は、頷くことしかできなかった。


「分かり……ました」


 いったいどうしたのだろう。私は何か失言をしたのだろうか。いや、あの様子だと原因は外部にありそうだけれど、しかし先輩が見ていた空に何があるというわけでもない。


「悪いな」


 私に背を向けている先輩は一瞬だけ、肩越しに私を一瞥する。

 その表情は人を安心させるような笑みで、しかしその目には寂しさのようなものがちらついている気がした。その顔が、やけに私の頭に残った。

 ぐるぐると私が思考を巡らせている間に、先輩は走り出してしまう。かなりの速度だ。とてもじゃないけれど、私では追い付けないだろう。なぜかは知らないが、焦っているように見える。

 先輩の後ろ姿を見つめていると、すぐに曲がり角で見失ってしまった。


「何が、あったんだろう……」


 ぽつりと呟く。

 分からない。それは今の行動だけじゃない。私には先輩のことが分からない。

 これでも人間観察は得意な方なのだ。どんな人だろうと少し話すだけで、だいたいの人間性は分かる。けれど先輩の纏う雰囲気はいまだにつかみどころがなく、どこか雲のような印象があった。

 不良のように髪を染め、周囲を威圧して歩いているかと思えば、いざ話しかけると口調こそ荒いものの穏やかに対応してくれる。ひねくれているのかと思えば意外と素直な受け答えをするし、勉強や読書が苦手な人間かと思えば、なぜか動物の図鑑を読んでいる。呆れながらも私のような人間に付き合ってくれる優しさがあるかと思えば、たった今、唐突に走り去ってしまった。

 私には、先輩のことが分からない。

 分からないからこそ――先輩のことが気になった。


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