第3話 はじまり
ストーンゴーレムの討伐に成功した翌日。柊の頭の中は、冷めやらない興奮とこれからへの期待で満たされていた。
時刻は朝6時頃。思いっきり伸びをして、寝ぼけた体を呼び覚ましていく。
「しかしここ、ほんとに景色がいいな」
この宿は郊外にあり、比較的自然豊かな場所だ。ギルドからは少し距離があるが、クエストの目的地、いわば「狩場」がとても近く、冒険者に人気の宿だ。特に早朝は陽の光や鳥の声、風のざわめきが聞こえてきてなんとも目覚めがいい。また夜は人通りも少なく、満点の星空が一望できる最高のロケーション。オーナーによるとそれが売りなんだとか。
窓の外では森の木々が揺れ、その先に街が見える。
「さて、今日は特にやることがないな。どうするか」
たまには単独でクエストを受けるのもいいかもしれない、と考えていると、
「おっ、起きたかシュウ!」
聞き慣れた大声が耳に飛び込んできた。
「おはようジェイ。お前は朝から元気だな」
「そうかあ?これが普通だって!」
「ソフィアとリズは?」
「2人ともまだ寝てるよ。今日は一日休むそうだ。な、それよりさ、お前今日はどうすんの?」
「まだはっきりとは決まって無いけど、今日は趣向を変えて、単独クエストでも受けようかなって」
「じゃあさ、俺もついてっていいかな?」
「もちろん。お前もクエストを受けるのか?」
「いや、ちょっと装備を強化がてら、新しい武器でも物色しようかと……」
「それいいな!俺もそろそろ新しい武器が欲しいと思ってたところなんだよ」
「決まりだな。朝食食べたらすぐ出るぞ!」
ジェイはニッと歯を見せて笑うと食堂へ向かった。その軽快な笑顔は、どことなく佐倉を連想させる。
(あいつ、元気してるかな。……そういや、俺は向こうの世界では死んだことになってるのか?)
元の世界が少し気にかかる。が、そんなことを気にしている暇はない。
ジェイを待たせてはいけない、と気持ちを入れ替え、部屋をあとにした。
「シュウ、準備できたか?」
「ああ、問題ない。お前こそ、財布忘れたりしてないだろうな?」
「当たり前だろ?って、ちゃんと入れたよな、俺」
「ほんとに大丈夫かよ……」
ジェイは鞄を掻き回して財布を探す。正直、ジェイの人間性に不安しかない。
「あったあった。大丈夫だよ、お前心配しすぎ!」
「まあ、あるならいいんだが。じゃ、そろそろ……」
「おはようございます。お出かけですか」
宿を出ようとすると、奥からオーナーが出てきた。
「はい、ちょっと街まで」
「それはそれは、どうぞお気をつけて。なんでも、最近リディアは物騒な噂が多いようで」
「物騒な噂、ですか」
「ええ、指名手配犯が出たとか。街の衛兵や騎士が調査を行っていますが、まだ見つかっていないようです」
やはりどこへ行っても事件の一つや二つあるのだな、と痛感する。街の様子を見る限りでは分からない、裏の世界というものがあるのだろう。
「大丈夫だって!俺達冒険者だぜ?自衛くらいちゃんと出来るっての」
「あはは、それは頼もしい。どうぞいってらっしゃいませ」
「はい、行ってきます」
指名手配なんて、あまり馴染みのない単語だ。テレビで世界の極悪指名手配犯!なんて特集や再現ドラマがやっていたりしたのを思い出す。
「シュウ、どうしたんだよ。早く行くぞ〜」
「あ、おう!」
こういうのは、気にしすぎていても仕方ない。今は武器屋に行くことが最優先だ、とジェイの後に続いた。
「見ろよシュウ!メリケンサックだぞ!グローブも強化してもらったし、今日はいい買い物が出来たっ」
「良かったな、相当気に入ったみたいで」
「お前も新しい剣を買ったんだろ?な、もっかい見せてくれよ!」
「あー?まあ、別にいいけど」
そうして腰に携えた剣を見せる。銀に、エメラルドの装飾が施された鞘。ずっしりと重みがあり、刀身は今までのものよりもかなり長い。
「わあすげぇ!めっちゃかっこいいな」
「ああ、ほんとに。後は、俺がこれを使いこなせるかどうかなんだけど……」
「まあ頑張れよ!お前なら出来るって!」
そう言ってジェイは柊の背中をバンバンと叩く。ジェイの言葉はいつも真っ直ぐで、心に響きやすい。
(そうか、俺なら出来るの、かな……)
「お前、これからギルドに行くんだよな?俺もいいクエストがないか見てみよっかな〜。ついでに、メグとの親交も深めちゃったりして」
「お前ほんとメグさん好きだよな……行くぞ」
ジェイの言葉に照れを覚えつつ、柊達はギルドへ向かうのであった。
「冒険者ギルドへようこそ!」
以前までは新鮮だったこの台詞も、今ではすっかり慣れたものだ。
「ジェイさんにシュウさん!今日はどうしたんです?」
「ああ、今日は単独でクエストを受けようかと」
「昨日ゴーレムを討伐したばかりだというのに、凄いですね。クエスト募集の掲示板ならそちらに……あっ」
急に、メグさんの視線が俺の後方へと移る。見ると、ジェイも同じ方向を向いていた。
「……
それは、一見すると細身の男性であった。前身にボタンが縦二列に並び、金糸の刺繍や立襟、肩章などが施された白のナポレオンジャケット。ぴっちりとしたスラックス。騎士と呼ぶにはややラフな服装だが、歩く姿には威厳があり、ラベンダーの髪を紺のリボンで一つに束ねた姿は、気品そのものを体現している。
皆、その人に目を奪われていた。圧倒されているのだ。その立ち居振る舞い、そのオーラに。
「パラディンっていうのか、あの人」
柊はジェイに小声で囁く。するとジェイは大層驚いた顔をして、
「お前パラディンを知らないのか?!この国、イヴシス最高峰の騎士だよ。特出した剣術と頭脳が無ければパラディンにはなれないんだ。しかも普通の騎士と違って、国の政治にも深く関わってる。なかなかお目にかかれないぞ。今のうちに、目に焼き付けとけ」
と小声で返した。
柊は呆然とその姿を見つめる。一目で理解出来る「格」の違いに見せつけられていた。
「メルヴィル・ハンスさんですね。今回はどのようなご要件で」
その騎士、メルヴィルと呼ばれる男は透き通るような声で答える。
「お久しぶりです、メグさん。今日は完全なプライベートですよ。こちらのバーの評判が大変よろしいとうかがったので、こうして足を運んだ次第です」
メルヴィルは柔らかに微笑む。騎士も真昼間から飲酒するという人間らしい一面が垣間見え、なぜかほっとしてしまう。と、メルヴィルがこちらに目線を向けた。
「こちらは、冒険者の方々ですか?」
「はい、ジェイさんとシュウさんです」
「ほお、なるほど……」
メルヴィルは柊をじっと見つめた。
「……あの、何か」
「いや失礼、つい癖でね。剣を携えるということは、君は剣士なのかい?」
「はい、そうです。全然、まだまだですけど」
「初めは皆そうだよ。僕も剣を習いたての頃は苦労したものだ」
メルヴィルはその厳格な雰囲気とは裏腹に、話してみると物腰の柔らかい青年であった。これが所謂ギャップ萌え、というやつだろうか。
「しかしながら……ふん。僕は君に少し興味が湧いたな。よろしければ、稽古をつけさせては貰えないだろうか」
いきなりの申し出に「え?!」と大声を出してしまう。突発的すぎて脳の処理が追いつかない。
「いや、そんな俺なんか……」
「なんか、なんて言ってはいけないよ。人は皆才能を秘めているものだ。それに、私はこう見えて、冒険者の経験があるんだ。試しに、どうだい?」
確かに、騎士に稽古をつけてもらえる機会など早々無く、単独でクエストに行くより優秀な指導係がいた方が余程ためになるだろう、と柊は考えた。
「ぜひ!お願いします!」
「はは、いい返事だ。近くに稽古場があるから、そこで指導してあげよう」
「となると、ここいらで俺はお役御免だな」
「いいのか?滅多にない機会だぞ」
「教え手が私でよければ、君も参加しないか」
ジェイは少し考えてから、
「う〜ん、やっぱり大丈夫です。俺拳闘士なんで。剣術と武術じゃ、身のこなしとか全然違うでしょ」
と断った。メルヴィルは少し残念そうに、
「君の言う通りだ。生憎、私に武術の心得はない。すまないね」
と言った。
「いえ全然!じゃあ、俺は先宿に戻ってるから。頑張れよぉシュウ!」
「ああ、また後で」
ジェイはシュウにぐっと親指を立ててギルドを後にした。
「シュウくんと言ったね、それじゃあ行こうか」
「はい!」
(偶然騎士の目に留まって、そんでもって稽古?!運よすぎか俺!明日死ぬんじゃないの?)
柊は内心飛び上がっていた。まるで本当に『アルカディア・ドラグーン』の世界観じゃないか、と。これも勇者になるための第一歩なのだろう。
ギルドを出ようとすると、一枚の貼り紙が目に入る。紙にはこう書いてあった。
『指名手配 アルバート・コックス。10代後半〜20代前半と思しき男性。反社会組織『アンノウン』所属。』
転生してからというもの、柊はこの世界の文字が自動的に読み書き出来るようになっていた。正直、このオプションはとても有難い。言語というのは大事なコミュニケーションツールの一つだ。せっかく転生しても、言葉が通じないことには意味が無い。
そしてその貼り紙を見て、今朝オーナーが言っていた指名手配犯はこれか、と納得する。
「あの、これって……」
「ああ、例の指名手配犯だね。こちらでも調査を進めているのだが、全くと言っていいほど情報が無くて、正直お手上げ状態だ」
「アンノウン、というのは?」
「そこに書いてある通り、反社会組織の名前さ。目的は不明。活動は暗殺や武力抗争などが主だ。まさに、野蛮を実体化したような組織だね」
メルヴィルの目付きが険しいものに変わった。それほどまでに捜査が難航しているらしい。
「アンノウンの構成員には、いくつか共通点があってね」
「共通点、ですか」
「黒い外套、錆びたロザリオ、そして鮮血のような紅い瞳。……君もそのような人物を目撃したら、私や街の衛兵に伝えて欲しい」
そう言うと、メルヴィルは爽やかな笑顔に戻った。その切り替えの早さに、少々戸惑ってしまう。
ちなみに、今の会話がドラマによくある刑事とその助手っぽくてかっこいいと思ったのは秘密の話。
(まあ、俺達には関係の無い話か……)
今までも大丈夫だったし、これまでもきっと大丈夫だろうという謎の自信が柊にはあった。それに、自分も仲間も決して弱い人間じゃない。もしそんな奴が現れたらぶっ飛ばしてやる!くらいの勢いが無いと冒険者なんてやってられないだろう。
仲間と協力してボスを倒したり、また新たな出会いがあったりと、忙しない日々だ。しかし、柊が思うことはただ一つ。
これだから異世界は最高だ!
「はっ、ふっ、でやっ!」
木刀のぶつかり合う音が響く。その音に合わせて、自分の呼吸が乱れていくような感覚。対して相手は、息が切れるどころか一瞬の隙も見えない。
(こちらが攻撃を仕掛けても、全て受け止められる。このままじゃ俺の体力が消耗するだけだ。隙さえ出来れば……)
やけにならないよう自分を奮い立たせて、また木刀をぶつける。が、先程同様受け止められる。押し返そうと力を込めるがビクともしない。
「段々焦りが見えてきたね。呼吸が乱れている。落ち着いて、相手の間合いを読むんだ」
間合い、と言われても柊にはいまいちピンとこなかった。相手の動きを読み取り、それに合わせて木刀を振る。頭では分かっていても、体が思うように動かない。
「このままでは埒が明かないね。では、私から仕掛けてみよう」
メルヴィルの振り下ろした剣は速く、そして骨に響くような重さがある。その重さはゴーレムの拳とは比べ物にならず、受け止めているのがやっとだった。一体この細腕のどこからそんな力が出ているのやら。
手が震え、木刀が落ちそうになるのを必死で堪える。なんとかこの剣を押し返さなければ。
「木刀を垂直にしてご覧。斜めにして受け止めると、木刀が滑って攻撃を受けてしまうよ」
垂直にしようにも、相手の攻撃が重く中々動かせない。垂直に、剣を垂直に、と心の中で念じた。攻撃を受け止めつつ、ゆっくりと木刀を動かす。
「これ、でっ!」
メルヴィルの木刀が柊の一撃に押し返される。刹那、メルヴィルに一瞬の隙が見えた。
「取ったっ!」
木刀を思い切り振り上げメルヴィル目掛けて一気に下ろす。
「甘い」
が、逆にその勢いを利用され木刀が弾かれた。思わず体制が崩れ地面に腰をつく。目の前には、木刀の切っ先。
「……参りました」
メルヴィルは木刀を下ろし、「ふぅ」と汗を拭った。
「良くはなってきたけれど、まだまだ動きが堅いね。それに、一点に集中しすぎて周りが見えなくなる傾向がある。これは、鍛え甲斐がありそうだ」
メルヴィルは柊に手を差し伸べる。夕陽に照らされ、汗がキラリと光った。どこまでもイケメンなんですこの男。
柊は彼の手を取り、立ち上がった。
「今日はこのくらいにしておこうか」
「はい、ありがとうございました。よろしければ、また稽古をつけていただけないでしょうか」
「もちろん。時間がある時であれば、いくらでも付き合うさ。僕こそ、今日はありがとう。いい運動になったよ」
そうして二人は握手を交わす。夕陽が二人の姿を見届けていた。
(こうして、強くなっていくのかな……)
日が傾きかけ、橙色の空は徐々に紫がかってきていた。
「結構いい時間になっちゃったな」
宿への道を歩きながら、今日のことを思い返す。実に充実した一日だった。欲しい武器も買えて、鍛錬も出来て、これ以上、申し分がない。これが「達成感」というものなのだろう。
(宿に戻ったら、明日受けるクエストの作戦を立てるか)
そんな事を考えているうちに、宿へ着いた。
ふと、違和感を覚える。このくらいの時間帯は、いつもクエスト帰りの冒険者が宿に一斉に戻ってくるはずなのだが、今日は異様に人が少ない。というより、居ない。それに、森が異様に静かだ。木々が風に揺れる音だけが、森の中に響く。ふと、頭上を一羽のカラスが飛んでいった。
(なんだか不気味だな。早く中に入ろう)
ドアを開ける。
―― 絶句した。今朝まで綺麗に並べられていたテーブルやイスは散らかり、ところどころ脚が折れている。壁や床には傷や穴が空いており、血痕までついていた。恐らく、争ったであろう形跡。そして何より、人が、いない。
「どう、なってるんだ……?」
恐る恐る足を踏み入れる。と、カウンターに誰かが項垂れているのが見えた。オーナーだ。
「大丈夫ですか!しっかり!」
首元に触れると、既に脈は無く、冷たくなっていた。
「ジェイは、他の皆は、どこにいった!」
真っ先にパーティメンバーのことが頭に浮かぶ。まずは皆の無事を確認しなければ、と2階へ上がる。柊達の部屋は2階にあり、一番右奥の部屋が柊とジェイ、その隣がリズとソフィアの部屋になっていた。
2階も1階同様壁や床に傷やら血痕やらがついており、散々な状態だった。暗い廊下を、一歩一歩、慎重に進んでいく。手足の痙攣が止まらない。
(落ち着け、きっと無事だ。大丈夫、大丈夫)
なんとか自分を落ち着かせようとするが、その不安は拭えなかった。また一歩、一歩進んでいく。と、いきなりグチャという粘着質な音が耳に飛び込んできた。靴にべっとりとした気味の悪い感触。見ると、死体が、あった。肌は黒ずみ、既に腐敗を始めている。血液も紫色に変色していた。おそらく、自分と同じ冒険者。この宿に宿泊していたであろう、冒険者の、腕を踏み潰したらしい。
「うっ……ぇ」
得体の知れない嫌悪感と吐き気が襲う。思わず口元に手を当てる。
(早く、仲間を、探さないと……)
辺りには同じような死体がいくつか転がっていた。吐きそうなのを我慢し、仲間を探す。早く、早く早く早く早く早く早く早く早く早く早く早く早く早く早く早く早く早く早く早く早く早く早く早く早く早く早く早く早く早く早く早く早く早く-------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------
いた。いた、仲間が。ジェイだ。赤いチョッキに、棘付きのグローブを身につけていた。同じように、転がっていた。死体と、同じように、死体になっていた。体中に切り傷があり、肉が抉れていた。あの赤の中の白は骨だろうか。
「じぇ、い……あ……おっ、うえぇっ…」
堪えていた嫌悪感を吐き出す。息が、出来ない。
「ソフィ、アは……?リズは……?」
辛うじて繋ぎ止めていた意識で残りの仲間を探す。二人の部屋の前まで来ると、扉を開けた。
いた。同じだった。同じ死体だった。リズは喉を掻き切られ、ソフィアの胸元には大きなナイフが刺さっていた。
「うあっ、うぇっ……リズ、ソフィアっ……」
また嫌悪感を吐き出す。仲間の名前を呼ぶ。返事はない。
「どうして、どうして……ど、して……あぁ、あああぁあぁああああぁぁぁぁぁああああああああぁぁああぁあぁああああぁぁぁぁぁああああああああぁぁああぁあぁああああぁぁぁぁぁああああああああぁぁああぁあぁああああぁぁぁぁぁああああああああぁぁああ」
叫び声が捻り出る。涙と鼻水と汗でぐしゃぐしゃになりながら。ただ、叫ぶ。
「しゅ……さ……」
か細い声が聞こえた。吐息くらい微かな声だが、すぐに誰かわかった。ソフィアだ。すぐさまソフィアの元へ駆け寄り、抱き抱える。その体からは既に温もりが抜け落ち、どんどん冷たくなる一方だ。
「ソフィア、お願い、だ。死なないで、死なないでくれ、頼む!」
精一杯伝わるように、叫んだ。もう無理だと、助からないと分かっている。それでも、叫ぶ。
ソフィアは最後の力を振り絞り、柊の頬に触れる。その瞳を潤ませながら。
「しゅう、さん……に、げて…とお、くへ……」
本当に小さな、柊にしか聞こえないくらいの小さな声でソフィアは言う。その生気の無い声に、胸が締め付けられる。
柊はソフィアの腕を取り、
「無理だ、お前らを置いていくなんて、俺には出来ない!しっかりしてくれ、お願いだから……」
「にげ、て。ここ、から……に、げ…」
やがてストン、と腕が落ちた。雫が彼女の頬を伝う。その瞳に、もはや光はない。
「ソフィアぁっ……リズ……ジェイ……」
もう一度、名前を呼んだ。ガラガラの喉で、愛おしい名前を呼ぶ。何度も、何度も呼ぶ。
(どうして自分の仲間が、誰に殺された、これは現実なのか。いやきっと夢だ。覚めろ、覚めろ、覚めろ、いいから覚めろ)
柊はこの悪夢が覚めることを祈った。が、目の前のそれは紛れもない現実であり、柊の前から泡沫の夢として消え去ることは無い。
「あれぇ?まだ一人残ってたんだ」
突然声が聞こえた。声の主を見る。緋色の髪の少女がニタニタ笑っていた。
「全部片付けたと思ったんだけどな〜。あ、てことはさっきの叫び声って君の?あはは、凄い凄ぉい!レネ感動しちゃったァ♪」
その態度からして、この惨劇の犯人は一目瞭然だった。
「どう、してこんなこと……を」
「え、ああ。そこの、今君が抱いてるお嬢さん。ソフィアちゃん、だったかな?その子結構な名家のお嬢さんでさあ。で、その子の家を敵視する財閥から一家全員皆殺しにしてくれって依頼が入ったの!でもでもぉ、その子冒険者じゃんここ宿じゃん人いっぱいいるじゃん?衛兵とかに報告されたら面倒だな〜って!だから全員殺した、それだけだよ?てか全部説明してあげちゃうレネってば優しすぎぃ〜!」
その少女の装いを見て、唖然とした。
緋色のボブヘアー、黒いティアラのような飾りを身につけ、黒い外套を羽織り、錆びた十字架を首から提げている。そして、鮮血のような、紅い双眸。背筋が凍りつく。
「アン、ノウン……!」
「えー凄い!レネ達のこと知ってるんだ!お兄さん物知りだね〜。でもそうなると、このまま生かしておくのって危険かな〜……ということで、お兄さんのこと殺しちゃうけど、いいよね?」
少女はダガーナイフをクルクルと回しながら楽しそうに言う。
その瞬間、柊に燃え上がるような怒りが込み上げてくる。すぐさま剣を鞘から抜き、少女に向かって飛びかかる
……はずだった。ここで憤りを感じなければ、ならないはずだった。
(立て、立つんだ。今ここで立たないと。仲間の仇を、とらないと。なんで、立てよ。立てよ!)
柊は本能的に悟っていた。目の前にあるのは絶対的脅威であり、自分では到底叶わないことを。故に、呆然と座り込むしかない。
そこにあるのは生への執着でも、殺される痛みへの抵抗でもなく、ただの、虚無感。
(もう、どうでもいいか。終わったんだ、もう。俺の冒険者生活ってやつは。幸せな非日常は……)
「いいよ、殺せ」
「は?」
「だから、殺して、いいよ。たった今、生きる理由、無くなったから」
生きていても死んでいても、どうせ変わりはしないだろう。向こうの世界でも死んで、こっちでももうまもなく死ぬ。後に残るものはもう無い。それでいい。いっそ、それがいい、と。
しかし少女は先程の楽しそうな表情とは一転、不服そうに頭を掻いている。
「……なにそれ、つまんな。命だいじにしてる奴殺すのが楽しいのに。なぁんかシラケたわ。どうしよ、このまま殺すのやなんだけど。……あ、そうだ!いつもみたいに、レネのおもちゃにしちゃえばいっか。そうしよ!飽きたらミラ姉に拷問させればいいし!それがいいや、うんうん」
柊は既に思考を放棄していた。少女が訳の分からないことを言っている。何を言っているのか、もう聞こえなかった。と突然、少女がずいと顔を近づける。
「ねえ、君。"こっち”においでよ」
「え……」
その言葉の意味が、柊には理解出来ずにいた。理解、したくなかった。
少年の冒険譚は、静かに幕を閉じる___________。
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